第三章 光るもの必ずしも金にあらず

「片岡骨董店」

 空はどんよりと灰色。ちらちらと粉雪を撒き散らしては、往来の人々の足を早めさせる。 フロックコートを着込んだ紳士。ふかふかのマフを両手に装備した貴婦人。木陰で寒さを凌ぐ猫たち。彼らの頭上では、一灯おきに点されたガス灯が幻想的に輝いていた。


〈アステリズム〉定休日の今日、防寒着に身を包んだカイトと着物のチョチョは買い出しのためロンドン市内を巡っていた。少しずつ年末に向けて変わりゆく街並みを眺めながらカイトが呟く。


「もうすぐクリスマス。そしてボクシングデーだな」

「ボクシング? 殴り合うんですか?」


 言いながらチョチョはシュッシュとジャブを繰り出す。


「違う違う。プレゼントを箱に入れて交換する行事なんだ」

「ああ、なるほど」


 得心したチョチョがぽんと手の平を打った。


「クリスマスが近づくと、鳥肉の値が上がる。今のうちに色々買い溜めしておかないとな」


 二十五日の〈アステリズム〉には、近隣の小学校からクリスマス会の予約が入っていた。そのための食材の吟味に、今は大忙しなのだ。カイトがメモ用紙を取り出し、贔屓にしている店を巡ろうとしたときだった。

 目の前を、見覚えのある少女が横切った。くしゃくしゃにもつれたプラチナブロンドの髪は粉雪を溶かし込み、美しさを引き立てている。


「セィルじゃないか。偶然だな、こうして街中で会うなんて」


〈アステリズム〉のスカリヨン――バンシーのセィルだった。


「あっ」とセィルは間抜けそうな顔を一瞬作ると手を伸ばして、「フフ。神々が与えし休日と言えど、こうして邂逅のときを迎えるとは、我らの契約は悠久という証に違いないな」


 いつも通りの芝居がかった口調で挨拶を返した。


「セィルさん、今日は何をしていたんですか?」

「フフ。星々の導きにより縁が結ばれ、我は他なる契約者と邂逅し、秘められた姿を後世に残すべく――」


 長々と話していたセィルの体が、凍ったように動かなくなった。カイトが一瞥すると、チョチョが目を光らせている。金縛りだ。


「もう、妖精の言葉は面倒臭いので普通に話してください」

「えと、バイトだよぉ。絵のモデルの……」

「絵のモデルって。まさか、この前の『アーサーズ・ルーム』の人たちのところか?」

「うん。そうだよ。わたしのこのミステリアスな姿はシックスセンスを呼び覚まし、新たなインスピレーションを得て、アーティストはイノベーションを起こすのだ!」


 ぺったんこな胸を反らしてセィルが威張る。このバンシーは降霊会の日にアーチウォルトからアプローチを受けていたが、どうやら本当にモデルとしての仕事を手に入れたようだった。


「セィルさん、えらいですね。休みの日も働くなんて」

「我が野望の成就のため、資金は一ペニーでも多いほうがいいっ」

「野望って? 世界でも征服するつもりか?」

「あ、うん、そうだ。二人とも、我に付いて来るのだ。我が野望と対面させてやろう」


 再び偉そうな態度になると、セィルはふんわりとした髪を翻し、颯爽と歩を進めた。

 ふんふんと鼻歌を鳴らすセィルに連れられて辿り着いたのは、高級住宅や高級商店街が並ぶメイフェア地区だった。その一角に、豪邸を改装した店がどんと構えられていた。

「片岡骨董店」という漢字で書かれた看板が異彩を放つ、古美術店であった。


「今日も邪魔をするぞ、店主殿!」


 堂々とした声色でセィルが入店。カイトとチョチョも恐る恐る足を踏み入れた。

 中は骨董店の名にふさわしく、アジア地域の古美術で溢れていた。中世の絵画に、古代中国の壺、そして日本の掛け軸や焼き物、日本人形などが目立っている。


「わあ、とても時代を感じる店なのです。よごじゃます!」


 目を爛と光らせ、鼻息を荒くして、チョチョは店内に飾られた骨董品の数々と対面。酔ったような顔で店内に視線を彷徨わせる。異国でありながらその空気は東洋――いや、日本と同じものだったからであろう。


「いらっしゃい。ああ、自称妖精のケネディくんかい?」


 ひょっこりと、古代の銅像の陰から店主らしき男が姿を現した。手にはハタキを持ち、商品から埃を取り除いていたらしい。


「じ、自称ではない。我は正真正銘バンシーのセィルなのだ!」

「はいはい。今日はお仲間も一緒かい? ゆっくり見て行って。なんなら買って行ってよ」


 気さくな笑顔を振るう店主の顔立ちは、チョチョと似たところがあった。


「あなたは、日本人ですか。ずいぶんと英語が達者なようで」


 カイトは率直な感想を店主に向けていた。


「よく友に言われます。僕はマサ・カタオカ。この古美術店のオーナーです。何でも気に入ったら、買ってください」


 店主カタオカは白い歯を見せて骨太に笑う。若く、美男子という言葉が似合う男だった。


「ど、どうもカタオカさん! チョチョです。そして、こちらは〈アステリズム〉の亭主、カイト・ストーンズリバーです。よしなに!」


 緊張しながら、チョチョは勝手にカイトを巻き込んで自己紹介する。


「これはこれは。うちの商品が勝手に動き出したのかと思った。はは、それじゃ妖怪か。よろしく、チョチョちゃん。君は日本人だね? ここには日本の品も多いから、気に入ったら買ってほしいね。僕もさっき、日本産の壺が売れてゴキゲンなんだよ」


 カタオカの達者な英語を耳にしながら、カイトは嘆息。


〝――いい人そうに見えるが、さっきから露骨にセールスしているな……〟


「ここは大英博物館の民族誌学部員や英国古美術協会会長、そしてホテル〈グランド・ポラリス〉の支配人も御用達の店なんだ。〈アステリズム〉の話はケネディ君から聞いているよ。他のインやパブと差を付けるためにも、この店の商品を買ってほしいな」


 甘いフェイスのカタオカはまたもや気障な笑みを放出。カイトは財布と相談することもなく、堂々と無視した。


「セィルはよくこの店に来るのか?」

「フフ。週に一度、こうして魔の脅威に襲われていないか偵察に来ているのだ」

「目当ての商品が売れていないかチェックしに来ているんだよね。ああ、大丈夫。あれならまだ残っているから。今週こそ買いに来てくれたのかな?」


 カタオカの手はいつの間にか揉み手になっていた。

 赤い瞳を揺らして、セィルが店の片隅に置かれている品に顔を向ける。


「我が愛しの品。今一度辛抱してくれ。必ず、お手前は我の物となるのだ。むふ、むふふ」


 にやにやと、古美術を見つめて不気味に笑うセィルに、カイトは肩をすくめた。


「セィルはそれが欲しいのか」


 そこに置かれていたのは、豪奢かつ精緻な絵が描かれた――一フィートほどの大皿であった。中央には空を優雅に舞う龍、その周囲には花や鳥が詰められている。


「勇ましい東洋の龍の姿と、華やかで美しい花鳥の姿……非の打ちどころがない……我が魂が疼くッ」


 大袈裟なポーズとは裏腹に、その瞳と声はどこまでも子供っぽかった。


「こ、これはっ」と電撃を浴びたようにチョチョも皿に反応する。


「知っているのか、チョチョ」

「はいっ! 江戸時代の染綿上手大皿ですよっ。いやあ、まさかこのロンドンで巡り合えるとは! 合縁奇縁、そして綺麗な円です! 皿だけにっ」


 チョチョは花の上で踊る妖精のようにはしゃぎだす。


「値段は……十ポンド? この皿一枚で?」

「値が張るのは仕方ないね。これはもはや歴史的な芸術品なんだ。ケネディ君はこれが欲しくて、君たちの店以外の仕事も引き受けたそうだよ。そろそろ買ってくれるのかな?」


 値段に目を飛ばしていると、カタオカがセィルに迫る。


「まだだ、まだその時ではない。我の力が満ちるには、もうしばらくの時間の巡りが必要」

「要するに金がないってことだな」とカイトが通訳すると、カタオカは苦笑い。


「はは、そうかい。僕はいつでもケネディ君がこの皿を買うときを楽しみにしているよ。だけど、この店はこの周辺の貴族たちも利用する店だ。できるだけ、早くお金を用意することを僕は推奨するよ」


 カタオカの目配せを受け、セィルは口元をほんの少しきつく結んだ。


「ああ、わかっているともっ!」

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