妖精来店

 片岡骨董店をあとにし、三人はロンドンの街を歩き続ける。


「ふう、まだ買われていなくてよかったぁ……じゃ、なかった。フフ。我が未来の愛器もまた、我との真の邂逅の日を楽しみにしているようで、安堵するしかない」

「セィルさんはあの皿を買ったら、家で飾るのですか?」

「否! 我に流れるバンシーの血が騒いでいるのだ。あの皿をこの手で洗ってみたいとな」


 セィルが瑞々しい手の平を、曇り空に向けて伸ばした。その小さな手に粉雪が降り注ぎ、セィルはぎゅっと指を折り曲げ拳へと変化させる。強い覚悟の表れだった。

 カイトはくっきりと唇を曲げ、呆れ顔で頬を掻いた。


「はあ、ただの愛玩具ってことか。ずいぶんと高級な趣味のようで」

「というのは、バンシー流のジョークで……」


 セィルは突然頬を染め、人差し指同士をつんつんと合わせながら真実を告げる。


「ほんとのことを言うと、わたしの恩師にプレゼントしたいんだ」

「恩師?」

「そう、セアラ・ケネディ。孤独だったわたしを引き取ってくれた、偉大なる魔女」

「孤独……セィルさんが……」


 チョチョはきゅんと胸が締め付けられたような表情でセィルを見つめた。


「初めて〈アステリズム〉に来たときに、そんな話をしていたな」

「セアラ様は、安息と豊穣の地アイルランドの大魔女だ。あらゆる妖精を従えた、魔女の中の魔女。我はそのファミリーの、下っ端妖精……ではなく、将来有望な妖精だ」

「いや、下っ端なんだな」

「蝶よ花よと育ててくれたセアラ様に感謝の証として、我はあの皿を贈りたいのだ! それがわたしなりの……えっと、こういうの何て言えばいいんだっけ……」

「親孝行ってことですね。いやあ、セィルさんってちょっと妖精の言葉がくどいですけど、根は優しい女の子なんですね。感心感心、よごじゃますっです」


 屈託なく笑い、チョチョはお姉さんっぽくセィルの頭を撫でた。


「ふふっ、て、照れるぞチョチョ……」

「……あの皿を手に入れるためにも、明日からの仕事は気合を入れてくれよな?」


 カイトはぽんとセィルの肩に手を置いた。


「うむ、全知全能のアイルランドの神々よ! 我に究極の愉悦と給料を与えたまえ……」


 セィルは〈アステリズム〉を影で支える、まさに妖精のような存在だ(妖精だが)。セィルによって洗われた清潔な食器やリネン類は、使用する人々の心も磨き上げるような錯覚があると、カイトは常々思っていた。


〝――働き次第じゃ、ボーナスを加えるのも悪くないかな〟




 その翌日。ロンドンはどす黒い雪雲に覆われ、普段以上に暗い世界へと変化していた。こんこんと雪が降り積もり、明日は朝から必死に雪かきに励むことになるだろう。


「ありがとうございました!」


 カイトとチョチョは肩を並べて、最後の客を見送った。

 ロンドンの夜は寒さを増していき、客の気配は途絶えた。今は北風が窓ガラスを叩くだけだ。酔客たちの残り香を嗅ぎながら、カイトたちは閉店作業を始める。


「今晩は宿泊客もいないし、楽だったな」


 肩をぐりぐりと回しながら、カイトは息を吐く。宿泊客こそ少ないが、タップルームで暖を取り、酒を飲む客はカイト亭主時代最初期よりもかなり増えているため、収益は十分なものとなっていた。これも、献身的におもてなしをするチョチョや、必殺料理を生み出したシャーロットの手によるものだ。

 カイトが今日の売り上げを計算しようと、カウンターの席に着こうとしたときだった。

 突然、暖炉の薪が燃焼活動を起こしているというのに、身に纏ったベストを突き抜けて寒波が押し寄せた。この感覚にはカイト自身覚えがあった。これは――座敷童子がこの〈アステリズム〉に初めて訪れたときと同じだ。

 からんと、鐘が鳴り響いた。


「夜分に失礼する。もう閉店するところだったかな?」


〈アステリズム〉の入り口に、トラベルコートに身を包んだ三人が立っていた。体格が小中大とバランス良く揃ったトリオだ。

 チョチョは暖かい笑顔で、三人を歓迎する。


「いえいえ。ちょっと閉店の準備をしていただけで、まだまだご注文なら何でも受け付けるのですよ。ね、カイト亭主」

「あっはい。外は寒かったでしょう。ゆっくりと休んでください」

「そうさせてもらうよ」


 大柄の女がハットを脱ごうとして――その頭が胴体から離れた。


「な――!」


 顔を引き攣らせるカイト。チョチョも汗を散らしながら、異形の客へ鋭い声をかける。


「じゃじゃじゃ! お客さん、頭が取れていますよ!」

「すまない。こんな構造なのでね」


 抱えられた頭が平然と答えた。その仕草によりカイトは余計に戦慄。まるで白刃のエルバート(当時名を馳せていた奇術師。切断トリックが得意)の手品を見ているようだ。


「ちょっと、何なの、大声出して。強盗でも出たの?」

「強盗だと! 我が黒き妖精の力にて撃退して――」


 キッチンを片付けていたコックとバンシーがタップルームへと飛び出す。一秒もしないうちに二人はカイトと同じように顔を青白くさせた。


「ぎょっ! この人たち……人間じゃない!」


 咄嗟にテニスで鍛えたステップでシャーロットは動き回り、カイトの背中に隠れた。


 だが、セィルの反応は少し違うものだった。


「はっ! お手前は、ファルミ! それに、そっちはオルサンにコンか!」

「おおっ! セィル。会いたかったぞ!」


 残りの二人もそれぞれ帽子を脱ぎ、その容姿をカイトたちに晒した。

 オルサンと呼ばれた者は、黒い毛並みを自慢げに伸ばした、猫の顔。細長い瞳孔を煌めかせながら、〈アステリズム〉の店内を眺めていた。

 コンと呼ばれた者は子供のような体格で緑の服を着ていた。しかし、皺の刻まれた顔には髭が生えており、とんがった鼻には眼鏡と中年男性のような容姿。背中には布に包まれた荷物を背負い、まるで行商人のような身なりだ。


「セィル、おまえの知り合いなのか? 明らかに人外な方たちだけど!」

「ああ。セアラ様の知己で、よく我とも戯れてくれていた。デュラハンのファルミに、ケット・シーのオルサン、そしてレプラホーンのコンだ」


 セィルが優雅な手つきで紹介すると、三人が同時に頷いた。


「じゃじゃじゃー! ということは、アイルランドの妖精さんなのですか! あ、どうも仲居のチョチョです。いつもセィルさんがお世話になっているのですよ」

「その、妖精の三人組が……何をしにロンドンへ?」


「観光だ」とデュラハンの顔が即答。「セィルが働いているインがあることを思い出してな。こうして一杯やろうとやって来たのだ」


「そ、そうですか」


 普通に受け答えをしようと試みるが、その顔は凍ったままだった。チョチョがにこやかな表情で、カイトに耳打ちする。


「カイトさん、お客さんの前ですよ。笑顔笑顔」


 チョチョの無茶振りに応えようと、カイトは固い笑顔を浮かべた。


「ちょちょちょっと、チョチョ! もしかして、この三人を客として受け入れるわけ?」

「当然ですよ。何より、セィルさんのお知り合いとあれば、おもてなしをしないわけにもいきませんっ。はい、シャーロットさん、料理の準備を!」


 身を強張らせていたシャーロットが名指しされ、カイトの背中で蛙のように跳ね上がる。


「うっ……もう帰れると思っていたのに。残業代は出してよね……」


 薄い笑みを浮かべながら、コックは持ち場へと戻っていった。


「さあっ! 腕が鳴るのです。カイトさん、この御三方に最高のおもてなしをしましょう!」


 チョチョは瞳を恋するように輝かせ、万歳しながら声も心も体も弾ませた。異国の妖精たちを接客できるまたとない機会に喜んでいるようだ。


「あ、ああ……そうだな」


 対照的に、カイトはどこか不安な色だった。人生初、〈アステリズム〉初の客――本場の妖精を相手に、緊張に蝕まれてしまったからだ。


「おおっ、体の底から歓喜が轟く! 妖精の魔力が暴走する~」


 そして、セィルは大興奮し、同郷の三人の接客に徹するのだった。

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