終章2 ザシキワラシの旅籠(イン)

地上の星座

 本物の座敷童子には会ったことがない。たぶんこれからも会うことはないだろう。

 幸福の象徴である座敷童子。そんな座敷童子自身は、本当にいつも幸福なのだろうか。人間と同じ心を持つのならば、願いを胸に星に祈るときもあるに違いない。

 そんなことを考えながら、カイトは今日も〈アステリズム〉の経営に励む。

 賑わう店内に、レモン・ソールの焼き物の載った盆を華麗に給仕する仲居の姿があった。

 かけがえのない、肝胆相照らす存在。カイトを幸福にしてくれた、おちゃめで愛嬌のある少女。今も酔客に尻を触られ、微笑みながら反射的に金縛りを使っている。

 キッチンでは、赤毛のコックが忙しなく鶏肉を捌き、魚を切り開いていた。その傍らには、皿を磨き上げるバンシーの姿があった。

 カウンター席でビールを注ぐカイトに、客が声をかける。


「見事なものだ。あの男の妨害があったにも関わらず、こうして持ち直している」


 すっかり顔馴染みとなったHGだった。いわく、ロンドンのパブなどでは、秘密結社の密会が行われることが多いらしい。その監視のために、出入りすることが増えたようだ。

 もっとも、酒と料理に夢中となっており、本当に任務を覚えているのか疑わしいが。


「爺さん、天国で見ているかな」


 ぽつりと呟いたとき、店の扉が勢いよく開いた。


「おう、ここか! ザシキワラシがおるっつうインはっ」


 カイトの体が委縮する。来店したのは黄ばんだフロックコートを着た、熊のような体躯の東洋人だった。太い眉を尖らせ、男はカイトを睨む。


「い、いらっしゃいませ……」

「なンや、声が小さいなァ。小生を日本の田舎モンと思ってナメとるんか。小生は南の方と書いてミナカタや。これから常連になるかもしれん。覚えとき」


〝――ミナカタ? どこかで聞いたような……〟


 かつて、チョチョに星の話をしたことをカイトは思い出し、姿勢を正した。

 彼こそが科学雑誌ネイチャー誌上で博覧強記を披露し、カイトにも影響をほんの少し与えた男――ミナカタだった。カイトはこの邂逅に、ふっと穏やかな表情で微笑む。

 ミナカタはずかずかと店内を闊歩し、一人の男を見つけた。


「おう、ウェルズ君やないか。ここでネタ出し取るんか? 地球を攻めてきた火星人が菌で死ぬっつうSFはどうなったんや?」

「ごふっ……がはっ……」


 別の名を呼ばれ、さらには小説の結末のようなものを聞かされ、HGは大いにむせた。


「知り合いですか」

「まあね……別の酒場での飲み仲間だったんだが……。見つかってしまったか」


 さすがに軍事探偵ということは見抜かれていないようだが、HGはグラスをカタカタ鳴らし狼狽している。カイトはその理由をすぐに知ることとなった。


「まあええ、ここで会ったのも何かの縁や、今日は君の驕りやで。ごちになるわ」

「今日もだろう……」


 豪快に笑うと、ミナカタはHGの肩をばしばし叩きながら、彼の隣の席に尻を着かせた。


「いらっしゃいませ、お客様」


 盆を胸にあて、チョチョが会釈すると、ミナカタの機嫌も良くなる。


「おう、別嬪やないか。やっぱ女の腰にはコルセットやのうて帯やな」

「じゃじゃじゃー! 照れますよぅ」


 チョチョがにこりと笑い、陽炎のように舞う。


「さあ、相手が誰だろうと関係ないのです!」


 今晩も騒がしそうになると確信したチョチョは蝶の簪を光らせ、声を弾ませた。


「ああっそうだ。おれたちにできるおもてなしをするだけだ」


 カイトとチョチョは声を揃えて、上客を大歓迎する。


「ようこそ、〈アステリズム〉へ!」


 ロンドンのブルームズベリー区に位置するイン〈アステリズム〉――

 ザシキワラシ「たち」が働く店は小さいが、大きな奇跡をいくつも生み出してきた。

 そこでは誰もが幸せな心地に包まれ、絆を紡ぎ出すという。

 星々はいつまでも、地上で輝き続ける。

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ザシキワラシ イン ロンドン アルキメイトツカサ @misakishizuno

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