幸
鐘が鳴り、扉が開かれる。そこには、HGを伴い手錠を嵌められ、夢に敗れた男の姿があった。
「ようこそ、〈アステリズム〉へ」
「ストーンズリバー君……何のつもりだ」
エクセレワン・オウストラル。〈グランド・ポラリス〉の元支配人だった。
「ちょっとした意趣返しですよ。あなたには、この店の雰囲気を味わってもらいたかった。そこで働くザシキワラシの姿も見てもらいたかった」
タイミングよく、珍客の来店に気付いた従業員が一人、階段からゆっくりと下りてくる。
「カイトさん……?」
目が覚めたチョチョだった。ふらふらとした足取りでタップルームを歩くと、ゲストと目を合わせて仰天した。金縛りの使い手が硬直している。
「何のつもりですか、カイトさん……」
「見ての通りだ。お客様の接客をしている。チョチョ。おまえも今は〈アステリズム〉の『客』だ。好きなところに座ってくれ」
「わかりました。それが、カイトさんの考えなら……」
はっとした表情でチョチョは頷くと、カイトに一番近いカウンター席に座った。
カイトはエクセレワンに目を向ける。あくまで、穏やかな表情で明朗に接客した。
「心ある限り、おもてなしは万国共通。そして、お客様は料理の前では平等……。あなたがおれたちに何をしたのかは、この際忘れて、インでの食事を楽しんでほしいのです。酒場は心労を忘れ、孤独を逃れる場所なのですから」
「そういうことか。なら、ありがたく受けよう。僕が今泊まっているホテルの飯はどうも不味くてね……」
ジョークを吐くと、HGの手によりエクセレワンは手錠を外された。チョチョと椅子を一つ分空けた先のカウンター席に座る。
「ご注文は」
「サプライズパイだ。黒ビールも一パイント」
「了解です」
しばらくすると、シャーロットとセィルが肩を並べて、チョチョの代わりに給仕する。丁寧に置かれた皿と、ナイフやフォークを見てエクセレワンは驚愕した。
「僕のホテルのプロン・ジュール(皿洗い)でも、ここまでは綺麗に磨かれないだろう。食器も、この店の内装も清潔そのものだ」
「それは我がバンシーの役目。食器の煌めきは魂を研ぎ澄まし、料理をさらなる至高へと導くのであるっ……って、カッコつけて言ってみただけど、ホントはただただ磨き上げただけ……わたしにはそれしかできないからっ」
照れながらセィルがプラチナブロンドの髪を揺らして答えた。
エクセレワンは輝くナイフとフォークを手に、サプライズパイを割る。
「このパイの中身は……まさか、ロースト?」
パイに隠されていた物の正体に、エクセレワンは愕然とした表情を浮かべる。
「ええ、あのときの料理を盗ませてもらいました。あたしたちは貧乏なので、さすがに牛の種類までは同じとはいかなかったけれど、ソースと香辛料の味付けはばっちり再現できているはずです」
得意気にシャーロットが説明。エクセレワンは次々とパイを切り分けては口の中へと運び、咀嚼を繰り返した。
「ザシキワラシは、チョチョだけじゃないということです。シャーロットも、セィルも、みんな心を込めて自分の役割をこなし、幸せを運んでいるのです」
そして、それらを纏めるのが亭主であるカイトの役割だった。
今までも、大事な仲間を失わないように――星を消さないように――繋ぎ止めてきた。
シャーロット、セィル、そしてチョチョをこの店に留まらせた。
この激動の二か月近くが、頭の中を駆け巡る。
しばらくすると、通常の営業時間となった。もはや馴染みの客となった労働者たちが我先に駆け込むと、酒や肴を注文し、騒然となった。
「温かいな、この店は。僕も知らなかった、幸福の力が確かにある」
「百万ポンドでも、この光景は買えない。高級なサービスだけでは、手に入らない力だとおれは思いますよ。ここは、皆の笑顔を繋ぐ場所だから……」
「それが〈アステリズム〉か……」
憑き物が落ちたような顔で、エクセレワンは微笑んだ。
「あなたの敗因は、チョチョだけにこだわり、この店全体を見ていなかったことだった。全ての罪を償ったとき、またこの店の扉を叩いてください。そのときはきっと、今よりもっと素晴らしいおもてなしができていると思います」
「わかった。ならば君に託そう。このロンドンの、宿場の未来を……」
ビールを呷り、エクセレワンは涙ながらに笑う。
その光景に心を打たれたのは、もう一人の客も同じだった。
「チョチョ。ローストチキンとヒラメのフライだ」
いつか出せなかった料理を、カイトはチョチョに差し出した。
「おれが作ったんだ」
にっこりそう伝えると、チョチョは目を丸くする。
「カイトさん……」
「おもてなしは驚かせるのが、基本だったよな。さ、食べてくれ」
「いただきます……」
チョチョがチキンに手を付ける。その様子を亭主は感慨深く見つめた。
チョチョが初めて〈アステリズム〉を訪れた日には客が一人もいなかった。それが今、こうして多くの人々で賑わい、酒も料理も楽しむことができるようになったのだ。チョチョはかつて、料理は店の雰囲気を含めて楽しむものだと言っていた。カイトは、この人心地ついた空間をチョチョに提供できたことが、何よりのおもてなしだと確信する。
「ううっ……」
ぽろぽろと宝石のような涙をこぼしながら、一口一口味わいながらチョチョはフライを食べていく。衣が取れそうになるも、はふはふと口先を器用に使い、テーブルに落とすことはなかった。
「チョチョ。おまえは今、幸せか?」
カイトの質問に、鼻をひくひく動かしながらチョチョは答えた。
「よごじゃます……」
「おれもだ」
目を赤くして、涙を流しながら、かつて座敷童子と名乗った少女は花が咲いたような笑顔を見せた。
「カイトさん、ありがとうございます……。チョチョを受け入れてくれて……居場所まで守ってくれて、チョチョは……うれしいです……」
愛しい人たちの笑顔を受け止め、微笑むチョチョの顔を見ていると、カイトも何とも言えない心地になってしまう。鼓動が高鳴り、胸に溜まっていた澱みが一気に浄化される。
これが真の〈アステリズム〉のあるべき姿――カイトの目指したかった姿だった。
バベルの塔のように高い人種を問わず、年齢を問わず、罪も問わず――
ただ、誰もが笑顔で、心地良く過ごせ、幸せを繋ぐ「夢」のような空間。
その洗練された場所をチョチョと共に作り上げ――
カイトは幸せだった。
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