最後の舞台
目が覚め、夢の心地が静かに体から抜けていく。普段なら忘れそうな夢は、今回も強烈に頭の中に残っていた。夢だが、夢でない世界。金縛りを受けない目覚めは、カイトにはすっかり物足りなくなってしまっていた。
また、朝が来た。どうやら丸一日眠っていたようだ。
「チョチョ……」
チョチョはすうすうと寝息を立てていた。昨日よりは顔色も少し良くなっている気がした。香りも感じる。大自然に咲く百合のような香りだ。大丈夫だ、目が覚めるはずだと確信して、カイトはタップルームへ下りる。
痛む体に鞭を入れて、〝作業〟に取りかかろうとした。
自転車が止まる音が聞こえ、からんと扉の鐘が鳴り、カイトは目を滑らせた。
「カイト!」
亭主の容体を確認しに来たシャーロットだった。
「おはよう、シャーロット。今朝も冷えるな……っと」
箒を手にしていたカイトの体が、大きくよろめき、倒れそうになった。翠の目を光らせると、シャーロットがカイトを受け止める。
「もうっ。あたしも手伝うから、命令してよ」
優しい両手に包まれ、カイトは笑みで好意を受け取る。お互いの顔が近く、みるみるうちに頬が茹で上がった。その光景を、闖入が好物のような男がじっと見つめていた。
「私もお見舞いに来たんだ。邪魔だったかな」
「グレイさん……!」
シャーロットが慌ててカイトの体を近くの椅子へ強引に押し込んだ。ずきりと体が痛み、カイトは呻いた。これが介護を受けている主人ならば、このメイドは即解雇だ。
ニンジャのように音もなく現れたHGは頭を下げる。
「すまない。この結果は奴が行動を起こすまで動けなかった私の責任でもある。ドイルの言う悪魔のデパートを潰せたものの、面目ない」
「あなたはドイル先生の知り合いですか?」
興味深く、シャーロットがHGに訊いた。
「君がドイルを口説いたミセス・ファルコだったね。確かに、彼とはSFを嗜む仲だ」
「SF……? ドイル先生は推理小説家では……」
「……彼にも色々事情がある。だが、いずれ君の愛する人も帰って来るだろう」
ぽんとシャーロットの肩に手を置き、HGはカイトに尋ねる。
「チョチョ君のほうはどうだい?」
カイトは赤い頬のまま答えた。
「すっかり良くなりました」
「それは本当かい。牛も殺すオオムカデの毒だと、エクセレワンは供述していたが……」
その毒を洗い流したのはセィルの力。それから精神を取り戻したのはチョチョの力。蘇らせたのはカイトの力だ。
「チョチョは……おれたちとは違う存在ですから。生命力も違うんでしょう。何より……この世を去るにも未練があるようです」
カイトは夢の世界での出来事を、掻い摘んで話した。チョチョが座敷童子ではなく、枕返しだということも。
「そう……チョチョはザシキワラシじゃなかった。それで、あたしたちが代わりに幸せを提供するって約束したのね」
「すまん。皆を勝手に巻き込んで……」
「いいじゃない。本物のザシキワラシが羨むくらい、皆を幸せにさせましょうよ」
シャーロットはカイトの耳元に、吐息を込めて囁いた。
「お疲れ、カイト。チョチョを連れ戻してくれて、ありがとう」
「うん……」カイトは静かに頷く。
そして、真剣な表情でHGに尋ねる。
「グレイさん……はっきり聞かせてください。確かにあなたはおれたちを助けてくれた。けど、おれはある懸念を抱えている……それは、あなたもチョチョを欲しがっているんじゃないかってこと……」
カイトは痛切な声を絞り出して、HGに迫る。ホテル王の欲望の魔手を退けても、相手が女王陛下に変わっただけなのではないかと、思えて仕方がないのだ。相手は、この世界の頂点と言っても過言ではない存在だけに、カイトの胃の痛みは最大にまで高まる。
「異国の精霊の力は興味深い。だけど、彼女たちはこの森羅万象の一部の存在。だからこそ、気ままに吹く風のように、彼女たちの好きにするべきだと私たちは考えている」
「じゃあ……」
「私たちは、チョチョ君を奪って研究をしたりはしないさ。彼女の居場所は、ここだろう?」
「ありがとうございます、グレイさん」
深く頭を下げ、固い決意の表情に切り替えると――
「……一つお願いがあります。おれの心残りを……聞いてください」
一連の騒動の最後の舞台。その幕が、静かに上がった。
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