新装開店〈アステリズム〉
靄のかかった夕陽を背中に受けながら、チョチョは〈アステリズム〉の前でジャグリングをしていた。
「さあさあ、見てらっしゃい寄ってらっしゃい。新装開店のイン〈アステリズム〉ですよ」
客引きである。チョチョの服装とその技は往来の人々の奇異な眼差しの格好の的となり、足を止めさせた。これにはチョチョもほくそ笑む。
「ほう、この店……雰囲気変わったな」
「営業していたんだな。今まで暗くて気が付かなかったぜ」
「可愛い東洋人だな。気に入った、今日はここで飲むぞ」
「はい、このチョチョも勤めています。イン〈アステリズム〉をご贔屓に~」
チョチョの功労により、〈アステリズム〉に空き腹を抱えた労働者が三人も来店。カイト亭主は「いらっしゃいませっ」と声を弾ませ歓迎した。
「奇跡の夜だ。この〈アステリズム〉に客が三人以上もいる……」
写真に撮ってジョージに見せたい光景だった。あれだけ閑散としていた店内に声が響き始めたのだ。感極まり、泣きかけたが、チョチョに目の下を指で突かれる。
「カイトさん。接客接客」
桜色の尖った唇で囁かれ、カイトは口角を軽く吊り上げると身を正して注文を伺った。
「黒ビールとソーセージアンドマッシュ」「俺はニシンのフライだ」
労働者たちの注文を聞き、カイトはシャーロットに内容をパスした。
「キッチンメイドで鍛えた腕を……見せてやる。そして、金もいただいてやるんだからっ」
「シャーロットよ、我のこの女神に祝福されし清らかな手を貸してやろうぞ。その……協力……しようね?」
腕をまくったシャーロットの傍らでスカラリーバンシーがアシスタント。その光景を、カウンターから遠目で一瞥し、カイトは胸を撫で下ろす。この連携感こそ、かつての〈アステリズム〉で見られていた光景だったからだ。
タップルームでは時計のように滑らかな動きでチョチョが給仕。春風に揺れる百合の花のような美しさに労働者たちも鼻の下を伸ばし、心を奪われそうな顔だった。
労働者たちは骨付き肉を出された犬のように目を爛々と輝かせると、サバンナの動物のように料理に食らいつく。
「やっぱり店の雰囲気ってのは大事だねえ。こんなに若い子たちががんばってんだからよ。おっさんたちも気力が満ちてくるわ。はっはっは」
舌鼓を打ち、ビールを飲みながら、上機嫌でカイトたちに話しかけてくる労働者たち。磨き込まれたフォークに肉を刺し、竜巻のように平らげては陽気に会話を繰り広げていた。
チョチョが一人いるだけで、店の空気は一変。和みと癒しの効果は抜群のようだ。
〝――悪くは、ない〟
胸の中でこみ上げてくる達成感や充実感。目指している〈アステリズム〉にまた一歩近付くことができた。
料理と酒を全て胃に納めた客たちは、微笑みながら会計を支払った。
「ありがとうよ、若亭主に看板娘。またな」
「ありがとうございました。夜道に気を付けて」
一言を付け加えると、酔客もまた目の下を赤くしてカイトに頭を下げた。
「そうなのです。何気ない一言もまたおもてなしになるのですよ」
「ああ!」
一歩近付くのではない。祖父の〈アステリズム〉を追い抜いてやるんだ。その意気で、カイトは次の客を待った。
そして、〈アステリズム〉の扉が開かれベルが高らかに鳴る。
「……はぁ。どうも。兄ちゃん、とりあえずビールだ」
現れたのは、痩せこけた男だった。声に力がなく、背中も猫のように丸まっている。
「次のお客さんは……一人ですね」
「なんだか表情が暗いな……」
見れば見るほど無気力な顔をぶら下げた客だった。
グラスにビールを注ぎながら、カイトは客の表情に注目する。
「何かあったのかしらん」
カウンターにシャーロットが現れ、その碧の瞳を煌めかせた。チョチョははっとした顔をコック――いや、探偵に向ける。
「そうです。シャーロットさん。あなたの彗眼で……あのお客さんに何があったか分析してください。探偵なのですよね? できますよね?」
妙に高圧的にシャーロットに迫るチョチョ。探偵は小さく顎を引いた。
「……わ、わかったわ」
シャーロットが細い顎先を手で抓み、窓際の席に着いた男を凝視する。カイトが初めて見る探偵の表情だった。小さく息を吐くと、凛々しく赤い眉を引き上げる。
「わかった。あの人……飼っていた鳥。おそらくオウムを亡くして憂鬱になっているんだわ。それを晴らすために、この〈アステリズム〉に来た」
「どうしてそこまでわかるんだ」
エメラルドの瞳に翳りを見せて、シャーロットは水が流れるように説明する。
「あの人の肩のコート。右肩にだけ点々のようなシミがあるでしょ。あれは糞の跡よ。それに、何か事あるごとにあの人はその右肩に首を向けては、溜め息を吐いている。右肩が定位置だったようね」
「すごいですよ、シャーロットさん」
チョチョの声におべっかの響きはなく、本当に心の底から探偵としてのシャーロットを評価しているようだった。
「鳥の話は厳禁ですね。悲しい気持ちに水を差してはいけないのです。チョチョたちはそれとなく気遣い、接するべきなのです」
生温かい息と共に、チョチョの言葉が耳の奥まで響く。
「お客さんが求めているものを、言われるよりも先に提供するのがおもてなし。ですが、そっとしておくのもまたおもてなしなのです」
「わかった、チョチョ。シャーロットもご苦労さん」
「どういたしまして」とシャーロットはエプロンの裾を翻してキッチンへと戻る。
「あのお客さんは……静かにビールの味を楽しんでもらおう」
チョチョがうんと頷いたときだった。
「ふう、冷えるなあ、あんちゃん」
新たな客が現れた。帽子を被った、少し肥えた客だ。カイトはチョチョの教えの笑顔を貼り付け、接客モードに切り替える。
「いらっしゃいませ、お客様」
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