枕の上で極上の時間を

 縞々模様のシャツと半ズボンをの水着姿となったカイトが、浴場全体を見渡す。

 そこは、かつてのローマの浴場を再現した温泉であった。女神像の抱えた壺から注がれた湯が浴槽を満たし、大理石のドームに覆われ、風趣は満点。


「ふう、日ごろの疲れが一気に消えていく……」


 背筋を伸ばしてから両手で湯をすくい上げ、カイトは茶髪に浴びせた。ほくほくと湯気が立ち、体の奥底から温もり、気持ちよくてたまらなかった。


「じゃじゃじゃー……海外のお風呂は遠野の温泉とは、まったく違うのです。浸かれば笑顔になるのは同じですけどね」


 のほほんとした表情で、異国の少女は濡れた長髪を梳き始める。水分を吸い、濡鴉色となった髪は墨のように美しく、カイトの胸を打った。自然と、頬が茹でられ紅潮する。

 そこにいたのは、見慣れたチョチョとは別人のようで、天女の如く綺麗だった。

 見つめていると、視線に気付いたチョチョがはっとして提案する。


「あっ、そうでした。カイトさん、頭の上から足の先まで、洗ってあげますよ」

「待てい、チョチョよ。洗うのはこのスカラリーバンシーセィルの専売特許であるぞ!」


 濡れたプラチナブロンドを体や水着に貼り付けたバンシーがばしゃばしゃと泳ぎ、カイトとチョチョの間に割って入る。


「そうは言っても、お背中を流すのは仲居であるチョチョの専売特許なのですっ」

「なにいっ。ならば勝負だチョチョ。二人でカイト亭主を洗い、どちらが気持ち良かったのか判定してもらうのだぞ!」

「望むところです」


 いつの間にか、勝手にカイトは二人に洗われることとなってしまった。


「ほら、『おもてなし』を受けてきなさい」


 ぱちんと背中を叩かれ、その勢いのままカイトは浴槽から上がり、


「さあ、覚悟するのだ、カイト亭主。極楽悦楽の洗浄を受けるがいい!」

「バンシーには負けられません。翠山荘で磨いた腕を披露するのですっ」


 手拭と石鹸を手にした二人に挟まれ、亭主は戦慄。大嵐の中に突入したようにカイトの体は精霊と妖精によって洗われていくのだった。


「……おれの店の皿の気持ちがわかった。これはいい経験だ……」


 つるつるぴかぴかてかてかの体となったカイトが、湯船に戻る。


「……どうやら引き分けのようですね」

「何だと、では我が魂の友シャーロット。我らの奉仕を受けるがいいっ」


 獲物を見つけたハイエナのような四つの目が、シャーロットを映し出す。


「きゃっ、あああ……」


 シャーロットが二人の手により強引に引き摺り出され、カイトと同じように浄化された。シャーロットは体を輝かせながら、無言で湯船に浸かる。


「……判定不能のようです」

「仕方ない、洗いっこだ。チョチョよ、お手前に我がバンシー最大の洗浄力を見せつけてやる。魂が躍動するぞー、うっひっひ!」

「な、何をーっ」


 にこやかに泡まみれになるチョチョとセィルを睥睨し、カイトはただただ嘆息する。



 バスローブに着替え、騒々しかった浴場から退散したカイトは部屋に戻るなりベッドに体を埋めた。疲れを癒しに浴場に行ったはずが、余計に身が重くなってしまった気がしたからだ。


 なのに――


「チョチョよ、第二ラウンド開幕だ。我が暗黒の【魔枕ブラッディ・ピロー】を受けよっ」

「ふふーん、チョチョにはがあります。は無効ですっ」


 無邪気に枕を投げ合う精霊と妖精がカシオペアのベッドの上を舞っていた。


「客だからって羽目を外し過ぎだ。まあ、こういう一面も見られて、良かったんだが」


 カバのように大きく欠伸をすると、目尻に涙の粒が浮かんだ。いつの間にか、睡魔が傍に来ていたようだ。


「すまんな、皆。おれは先に寝るぞ」

「あら、もう消灯なのですか、カイトさん」

「ああ、極上のサービスを、ホテルからも身内からも受けた。目を瞑れば三秒で眠りそうだ……って、うおっ?」


 俯せになっていたカイトの体を、チョチョが反転させた。天蓋と一緒に、チョチョの麗しい顔が視界に飛び込み、ぎょっとした。その瑞々しい唇が開く。


「よく眠れるよう、物語を聞かせましょうか。楽しいお話ですよ。鬼や天狗や狐や陰陽師や化け猫てんこ盛りの、涙あり、絶叫あり、恐怖ありの全百話です」

「どう考えても怪談だろ、それ……」

「冗談です。お休みなさい、カイトさん」


 チョチョはカイトの頭を上げさせると、武器にしていた枕を置いた。チョチョの温かさを枕越しに感じ、カイトは笑んでみせた。

 視界を闇に預けると、怒涛の研修旅行が頭を過ぎる。今日は貴重な、少女たちの一面も垣間見た日だった。

 カイトはいつか、この四人で旅に出たいと思った。かつてのジョージのように、外国を旅してみたい。他の旅籠を覗いてみたい。そこでのおもてなしも吸収したい。できれば、チョチョのいた日本の旅館に泊まりたい。そんな未来を思い描いて、カイトの意識は沈んでいった。

 



 その夜、カイトはを見た。夢にしては明瞭で、現実感のある世界だった。

 繁盛している〈アステリズム〉の店内を、忙しなくかつ可憐に動き回るチョチョの姿。自信満々の笑みを浮かべながら、ときに目を輝かせて料理をするシャーロットの姿。奇妙な妖精の言葉を呟きながら、食器やシーツを洗うセィルの姿。

皆、楽しそうに働いていて、カイトにも笑みが伝播する。

 客たちも会話を弾ませ、極上の時間を過ごしているようだった。金以上の報酬を、カイトは受け取った気がした。

 いつまでも、この四人で〈アステリズム〉を支え続けたいと、心から願った。


 だがそれは、だった。

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