トオノ

 シャーロットは自転車に乗り込むと、夜のロンドンの霧の中へと消えていった。手を振って見送るチョチョを睥睨し、カイトはふと湧いた疑問を投げつける。


「……で、チョチョは下宿の家とか決まっているのか?」


 ロンドンの街で日本人を見かけることは珍しくないが、彼らの多くはイギリス人の知人の伝手で部屋を借りている。チョチョもこれからどこかの家に世話になるのだろうとカイトは推測した。


「ええ、決まっていますよ」とチョチョが即答。


「そうか。おれがそこまで一緒に付いて行ってやろうか」


 紳士的にカイトが言うと、座敷童子の少女は小さくかぶりを振った。


「その必要はないのですよ」

「え――」

「言ったはずですよ。カイトさんのお世話をすると」

「……もしかして、ここで暮らすのか?」


 英語の聞き間違いだと思い込んだカイトが、重々しい口調で訊くと、


「当然、必然、だから同居です」


 チョチョの突然の同居宣告にカイトの胸は爆発し、死んでしまった祖父を呪うのだった。



 カイトがランプの灯芯ウイックの栓を捻ると、闇が掃われ、全景が露になった。


「悪いが……おまえのために空いている部屋はない。しばらくはここで過ごしてくれ」


 チョチョが案内された場所は、埃も舞い、何よりも汚い空間――屋根裏部屋だった。古くなったソファや、壊れかけたテーブル、チェストなどが置かれ、一応部屋として機能はしており、カイトもかつてはここで過ごしていた。

 剥き出しになっている屋根の木組みを見ながら、チョチョが呟く。


「まあ、まるでセイラ・クルーですね」

「誰だ?」

「チョチョが英語とロンドンの勉強も兼ねて、読んでいたアメリカの児童文学……その主人公のことですよ。ロンドンの女学院に通っていたセイラは、父親の事業失敗のせいで財産を差し押さえられ、屋根裏部屋で過ごす使用人になってしまったのですよ」

「それは……気の毒な話だな。ちょっと同情するぜ」

「不幸な中でも気高く優しく生きるセイラ……まさしく『小公女リトル・プリンセス』……その気分を味わえるのなら、屋根裏生活も悪くないな、と思ったのです。それに、チョチョは座敷童子ですから。こういうところのほうが落ち着きます」

「ポジティブなやつで助かった」


 ソファに座り込み、チョチョは深く目を閉じた。


「ここに来たときから思っていたけど、ずいぶんと英語が流暢だな。たまに、聞き取れない日本語も使っているようだけど」

「仲居たるもの、ワールドワイドに対応しなければいけないのですよ。そして、それこそチョチョの夢の一つなのです」

「夢……?」

「ええ、チョチョを生んだ日本の心を世界に伝えるのです。その夢のお手伝いをしてくれたのが、ジョージさんでした」


 祖父の名前を出されると、カイトの表情も自然と柔らかくなってしまう。


「……だから、ここに来るよう……おれを手伝うように言ったのか……」

「チョチョはこれからカイトさんのお世話をします。だから、カイトさんもチョチョの世話をしてください」

「まあ、なんだ。おれからも頼む。おれを、〈アステリズム〉を立派なインにするために、導いてほしい」

「喜んでっ」


 ぱあっと桃の花のような笑顔が咲き、カイトは頬を染めた。


「じゃ、シーツや毛布はここに置いておく。明日から、また忙しくなるから……ゆっくり休んでくれ」

「ええ、『忙しく』なりますからね」


 一言強調するチョチョ。ランプを預けると、カイトは梯子を下りて自室――ジョージから受け継いだ亭主室へと戻る。亭主室には、ベッドと机はもちろん、ジョージが趣味で集めた世界中のお土産も飾られていた。ジョージは旅行好きだった。各地の宿泊施設を利用しては、〈アステリズム〉営業の刺激を受けようとしていたらしい。


「ここに……あったはずだ」


 カイトは机の中から一冊のノートを取り出した。それはジョージの旅日記だった。几帳面なジョージは旅日記に、宿屋の特徴や料理の感想はもちろん、従業員の態度までも事細かく残していた。


「あった、日本を旅していたときの日記だ。なになに、ヨコハマでビールと共にヤキトリなる料理を食す……か。ヨコハマってのはチョチョのいた場所じゃないな」


 目に宿した光を強めて、カイトは旅日記を読み進める。


「トオノはロンドンとは百八十度違う世界……。ビルもなく、あるのは大自然のみ。晴れ渡る空こそ綺麗だが、日が沈むのは早く、夜の世界もまた長い。また、大自然の中には『何か』がいる気配もする。わしはここで『翠山荘』という旅館に宿泊した。日本情緒溢れる素晴らしい旅館だが、わしは一人の少女(に見えるが、本当のところ何歳なんだろうな?)と出会った。まさしく日本美人な彼女はチョチョ(漢字で書くと『千代々々』らしいが、面倒なので終始チョチョと書くぞ)という名だ」


 旅日記にチョチョの名を見つけ、カイトの胸が弾んだ。


「スピリチュアルガールなチョチョと交流し、わしは和の心や『オモテナシ』を学んだ。チョチョもまた、世界の中心であるイギリスの文化に興味を持っているようだった……か。ここで、爺さんはチョチョに、自分が死んだら〈アステリズム〉に来るよう言っていたんだな。今日の日まで黙っていたのは、サプライズにもほどがあるというのに……」


 ぱたんと音を出してカイトは日記を閉じると、天井を見上げる。


「……とにかく、チョチョは悪いやつじゃなさそうだ。だったら、信じてやろう」


 ――我が喜びは東方にあり


 そんな言葉が、ふと脳裏を過ぎった。カイトはチョチョが自分を幸福にさせるために訪れたのだと確信し、ベッドで眠る。



 その夜、カイトは夢を見た。それはかつての〈アステリズム〉で、ジョージと暮らした日々の夢だった。ジョージはカイトと顔を合わせると、にっこりと微笑んだ。夢の中で、カイトはこの店を託されたような気がした。


 とても心地良い、だった――




序章 我が喜びは東方にあり 完




【CM】


彼女は岩手のお隣秋田からやって来た!

その「力」で怠惰な天使を叩き直す!?


大天使サリエルちゃんは怠けたい

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カクヨムコン短編参加作品、こちらもよろしくお願いします。




【次回予告】

生まれ変わろうとする〈アステリズム〉

チョチョはカイトとともにロンドンの街に飛び出す。

そして、かけがえのない妖精の少女と出会い……

さらなる試練が始まるのだった――


第一章 逆境が人に与えるものこそ美しい



次回更新日は1月14日(月)です。

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