探偵(自称)の華麗なる転職
「ちょちょちょ、あたしは探偵よ! こ、こんなところで働く必要なんか……」
「むしろ、探偵って仕事のほうがこのロンドンじゃ必要ないみたいだぜ」
「へえ、シャーロットさんは探偵でしたか」
チョチョは黒い瞳に好奇の光を湛える。
「他者紹介だ。こいつはシャーロット・ファルコ。ポーやドイルの小説の影響で探偵を目指した女だ。現住所もベイカーストリートだしな。よく鉄道文庫で推理小説を立ち読みしているから、見かけたら不憫そうな目を向けてそっとしておいてくれ」
「ふふ、探偵になってみたものの、小説のようにはいかなかった……ということですか」
探偵がぷくうと膨れっ面だが、
「わ、笑わないでよ! ほ、本当に……これしか仕事ができないんだから……」
その言葉尻は萎んでしまっていた。
「あ、あたしだって、本当なら高収入の職場で働きたいわよ。でもね、どこも『この毛』が目障りだって言って仕事に就かせてくれない」
シャーロットが真っ赤な乙女の象徴をかき上げ、涙目で訴えた。
「あたしが……アイルランド移民の子だから……」
「アイルランド……イギリスの隣の島国ですね」
「今じゃれっきとしたイギリスの一部だけどな」
アイルランド人の血を引くシャーロットへの風当たりは悪く、アイルランド独立派のテロ組織員やアイルランド系暴力団の一員という根も葉もない言いがかりをつけられ、職に就けなかったこともあったらしい。そうして自営業である探偵を始めたものの、それすらうまくいかず、シャーロットは暗中模索を繰り返していたようだ。
そのシャーロットの頭の靄を吹き飛ばすべく、カイトは手を差し伸ばす。
「そうだシャーロット。そういうわけで、ここで働いてくれないか? おれだって、おまえのことはそれなりに信用している」
「なんで!」と頬を膨らませ、憤るシャーロットにカイトは照れ臭そうに言葉を重ねた。
「だってさ……ずっと、この店に来てくれていたじゃないか。その、なんだ。やっぱり、おまえがいないとおれも寂しいというかだな……」
「わーかったわよ! やーればいいんでしょ、料理人!」
カイトの言葉を待たずして、顔をそれこそ調理されたロブスターのように赤くしてシャーロットが叫んだ。膨らんでいた頬は穴の開いた風船のように萎んでいく。
「だけど、この天才料理人シャーロット様は安くないわよ」
ばんとコップが飛び上がるほど大きくテーブルを右手で叩き、見得を切る。
「おい、探偵の肩書きはどこに行った」
「どこか嬉しそうですね」とチョチョは頬を掻きながら目元を緩めた。
「まあ、やっと職に就けたからだろう。工場で働いたり、スレイヴィー(身分の低いメイドの俗称)と呼ばれるよりは、いくつかマシだと思うぞ」
シャーロットは挑発するように腕を組んで、流し目をカイトに送る。
「貴族の家の料理人の年給は五十ポンドを超えると聞いたわ。あたしをここで働かせるからには、同等のギャランティが必要なのだけど」
ずかずかとシャーロットはカウンターから奥のキッチンに入り込む。そこでは開放式オーブンやオーブンコンロ、大きな調理台がどっしりと新任コックを待ち構えていた。棚には銅の鍋やフライパン、ボウルなどが並べられている。
それらを碧の瞳に映し、シャーロットは口元を緩めた。
「あたしが料理長ってわけね」
「料理人が一人しかいないからな」
「まあ、任せておきなさい。初恋のように忘れられない味を作ってみせるわ」
「ま、ここはレストランじゃないんだから。本格的な料理は作らなくても――」
「ふふ、どんな料理を作ってやろうかしら。この〈アステリズム〉のメニュー表が今の三倍以上になるのも時間の問題ね」
シャーロットはすっかりその気になってしまったようだった。
「こっちは洗い場ですか?」とチョチョがキッチンの隣の部屋に顔を出す。
「そう、洗い場はスカラリーって呼ぶんだ。皿はもちろん、リネンの洗濯もここでやる」
深いシンクの上には乾燥のための皿棚があり、皿の数々が白い肌を晒していた。洗い場の中央にはボイラーがあり、壁際の棚には真っ白なシーツやカーテンが何枚か重ねられて置かれている。ここもある意味、インの心臓部と呼べる場所だ。
「……おれも昔手伝ったことはあったけど、ここにもスカリヨンが必要だと思うな」
「スカリヨン? 妖怪ですか。オバリヨンみたいな」
「いやいや。洗い場の担当者のことだ。女ならスカラリーメイドとも言う」
「そうね。酒場だけじゃなく、宿屋としてベッドメイクなんかもやらなきゃいけないんだし、三人じゃとても無理よ。あ、あたしはスカラリーメイドにはならないから。酢や塩で鍋を洗い続けていたら、あかぎれで料理人の手に傷が付いてしまうわ」
チョチョが洗い場を眺めてから、ふうと軽く息を吐き、
「わかったのです。洗い場の担当を増やすしかありませんね」
顎に人差し指を添えて、ビジョンを描き出したようだった。
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