第二章 この世は舞台、ひとはみな役者

〈アステリズム〉の甘い夢

〈アステリズム〉が新装開店を始めて、早くも二十日近くが経過した。外の空気は次第に厳しさを増して行き、今日もまた暖炉の中で石炭は激しく燃え続けている。


 店の客足も順調に増していき、今では給仕をするチョチョの尻を狙う男まで現れるほどだ。その度にチョチョは不躾な客を金縛りであしらっているのだが、これもまたドMな男にはサービスと受け取られ、好評となってしまっている。


「こ、これもおもてなしなのです……」と震え声で答えるのもご愛嬌。



 また、〈アステリズム〉で眠ればが見られるとも評判だ。これは、おもてなしを受け、気持ちが良くなり、快適に眠れるからだとチョチョは説明。あくまで、幸福になるのは座敷童子自体の力ではなく、客の力だと繰り返し強調もしていた。



 そんな〈アステリズム〉の酒場はまだ開店前だが、若き亭主カイトは汗水を流してる最中だ。


「よし、もうすぐ……」


 カイトの手に握られているのは金槌。振り下ろせばトンッ、トンッとリズミカルに釘を打ち続ける音が響き渡る。カイトは以前から問題となっていた軋んだ床の貼り替え作業を行っていた。


「ふふ……霧の民の魂の安息地〈アステリズム〉は真の意味で生まれ変わろうとしている」


 セィルから替えの板を受け取り、作業は順調に続いていく。


「がんばっているね、亭主殿」


 階段のほうから声が投げられ、カイトは振り向く。そこには太い眉と、生い茂る草のような髭を携えた男がタップルームを眺めていた。


「イグナチウスさん」


 彼は、数日前からこの〈アステリズム〉に連泊している客だ。


「今日もまた博物館へ?」


 カイトがそう訊くと、イグナチウスは軽く頷いた。この毛深い男は基本的には部屋に閉じ篭り、何かの拍子に外へ出ては大英博物館へと足を運ぶ行為を繰り返していた。ときおり知性を感じさせる瞳を輝かせるのがイグナチウスの特徴だ。おそらく、学者の類だろうとカイトは睨んでいた。


 イグナチウスを見送り、それからしばらくして全工程は終了となった。


「よし、これで床は安泰だ。日本のスモウトリが百人やって来ても潰れないぜ」


 金槌をテーブルに置いて、カイトは手拭に顔中の汗を吸わせる。


「……その前に百人も入りませんけどね」


 ふふっと笑いながら、キッチンから〈アステリズム〉の仲居チョチョが顔を出した。


「お疲れ様ですよ、カイトさん。ついでにセィルさん。これ、差し入れなのです」


 差し入れと聞いてカイトの目が輝く。チョチョは見惚れるような清らかな姿で、心を打つ聖女のように思えてしまい、疲れが一気に吹き飛んだ。チョチョがお盆からお椀を持ち、カイトの近くのテーブル席に置いた。カイトがお椀を覗くと、そこには団子のようなものが二つ浮いている。


「ん? なんだこれは」

「『けいらん』です。チョチョの地元の名物料理なんですよ。ささ、こうして割ると――」


 チョチョが箸を器用に扱い、けいらんの真ん中を割った。分断されたゆで卵のような形になるが、その中にあるのは黄身ではない。

 セィルがけいらんの中に隠れていた具を指差す。


「この闇に染まりし魂の如き黒き物体は何だ?」


 中にあったのは、粘り気のあるモノ――


「餡です。ほら、食べてください」

「おれは箸なんか使えないぞ」

「ではチョチョが食べさせますので。はい、あーん」


 ごく自然にチョチョは箸でけいらんの片割れを摘み、カイトに向かって突くように差し出した。


「…………」


 今まで経験したことのないシチュエーションにより心臓が高鳴り、息が詰まりそうになるが、言われるまま口を大きく開ける。


「ぐ……このジャパニーズフェアリースペクターガールめ……カイト亭主に気に入られようと……必死だな」


 セィルが唇を噛み、ジト目を向けるがチョチョは気にしない様子でけいらんをカイトの口の中へと放り込んだ。もぐもぐと口の中でけいらんを転がし、カイトは日本の味を舌に覚えさせる。餡の甘さが口中に染み渡り、温かい出汁の力もあって得も言われぬ快楽を味わうような錯覚に陥った。


「へえ、美味しいな」


 イギリスでは味わえない逸品に感嘆の息を漏らすと、


「けいらんを食べたところで相談があるのですよ」


 チョチョが改まってカイトの向かいの席に座り、身を乗り出した。


「この店も、順調に客数を伸ばしていますが、まだ足りない物があると思うのです」

「足りない物?」

「この〈アステリズム〉にしかない『名物料理』ですよ」


 なるほど、とカイトは得心する。イギリス各地のフランス料理店などでは、その店の個性を活かした料理があると聞いたことがあった。この店でしか提供できない料理を作れば、それを目当てとしてさらに客が増えることは間違いない。


「だったら、このけいらんを採用したらどうだ?」


 まだ口に残る甘さを味わいながら指差すが、チョチョはかぶりを振る。


「ロンドンでは材料がなかなか揃わないですし、箸に慣れないようでは食べるのが困難なので不採用です。……これはチョチョの専売特許なのです」

「ふうん、難しいな。やはり、コックの意見を聞かないと」


 カイトは暖炉の上に置かれている時計に視線を走らせた。針は三時を刺している。


「そういえば、我が魂の友、シャーロットの姿が見えぬ」


 けいらんを素手で摘み、行儀悪くセィルが呟く。

 いつもは出勤時間よりも早く自転車で駆け付けるシャーロットだったが今日はその気配を見せていない。古い付き合いをしているカイトも、シャーロットの異変を不思議がった。


「何かあったのかもしれないな」


 そして、カイトが大工道具を片付け、チョチョとセィルが清掃をしている最中だった。


「はぁ……」


 と、今世紀最大級の溜息とともに、〈アステリズム〉のコックシャーロットが現れた。

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