ザシキワラシのテニス

「小春日和……と呼べそうな天気なのです」


 翌日は冬のロンドンには珍しく晴れ間が広がっていた。チョチョが雪雲を晴らすように「テルテルボウズ」なるものを作っていたのをカイトは思い出し、その効力が発揮されたのだと驚嘆した。

 大理石造りの凱旋門が、物見遊山サイトシーイングを楽しもうとするカイトたちを歓迎する。

 ここ、ロンドン西部のハイドパークは青と緑が広がり、憩いの場所と呼ぶには十分な環境であった。各地ではジョガーが逞しく足を動かし、ある場所ではタライを足で回す芸人が注目の的となり、さらに別の場所ではメイドを従え、腰をコルセットで細くしている上流貴族がティータイムの真っ最中となっていた。


〈アステリズム〉の三人娘は肩を並べて歩き放談。


「フフ、自然の中にいると魂が瑞々しくなるな、チョチョ!」

「あら、セィルさんの実家も山の中なのですか?」

「実家……そ、そうだ。暖かな春と厳しい冬を同時に楽しめるいいところなのだぞ」

「ますます親近感が湧くのです。ね、シャーロットさん?」

「そうね……」


 キコキコと自転車を押しながら、シャーロットはぶっきらぼうに相槌を打っていた。その目線はうねうねと伸びる木々に注がれている。


〝――外には出たものの、まだ重症のようだな……〟


 その様子を、二、三歩後ろからカイトは眺めていた。


〝――気分転換には新鮮な空気を吸い、体を動かすのが最適だと「ガールズ・オウン・ペーパー(少女向け雑誌)」にも書いていたのだが……〟


 シャーロットをどう励まそうか思案していると、


「シャーロットさん、せっかくこんなに広いところに来たのですから、自転車に乗らせてくれませんか?」


 チョチョがシャーロットに上目遣いで迫り、そう懇願していた。


「え……いいわよ。でも壊さないでよ。三ポンドもしたんだから……新米メイドの年収とだいたい同じなのよ。自転車に保険なんかないんだから……気を付けてよね」


 渋々シャーロットはチョチョに自転車のハンドルを預ける。チョチョはにんまりと微笑むと、普段のシャーロットの姿を真似し、車体を股越えようとしたが――


「あらあら?」


 着物の裾がサドルに引っ掛かり、大きく体勢を崩してしまった。


「ちょっ、あたしの自転車!」


 重力に引かれ、転倒しようとする自転車をチョチョごと受け止め、シャーロットはほっと大きく息を吐いた。


「大丈夫? 傷はないわね」

「ええ、ありがとうございますなのです」

「あたしは自転車に言ったの」


 シャーロットのにべもない返事に、チョチョは「むう……」と肩を落とした。


〝――なんだかんだで、少し生気が戻ったような気がするな……〟


 観察していたカイトは一人苦笑し、シャーロットの表情を引き続き注目する。引っ掛かっていた裾を取り除き、シャーロットは慎重にチョチョを自転車に乗せた。


「そこのけそこのけチョチョが通りますよ~」

「チョチョ、あとでわたしにも代わってほしい。お、お願いしますから……」

「ふっふー、これでチョチョもハイカラなのです」


 セィルに支えてもらいながらチョチョが天真爛漫にハイドパークの遊歩道を疾走。着物と自転車のミスマッチだが、本人は気にせず気持ちを弾ませた。墨が流れるような黒髪も重力に反発し、美しく龍のようにうねる。


「やれやれ、すっかりおもちゃにされちまったな」

「ええ、まあ、チョチョたちが楽しそうならいいわよ」


 シャーロットの表情が緩み出したところを見計らって、カイトは尋ねる。


「シャーロットはなんで自転車を買ったんだ? 三ポンドなんて、おまえからしなくても高級商品じゃないか」

「……探偵として華々しくデビューして多忙になったとき、移動に必要だと思って出世払いで買ったの。まだローンが残っているけど、その前にシャーロックが死んだ」

「あ……」


 ヤブヘビだったと思ったときには遅かった。シャーロットの表情が再び暗くなり始める。


「ううっ……シャーロック……」


 普段は怜悧な瞳が濁っている。これは手強いなとカイトが感じたときだった。


「カイトさん、シャーロットさ~ん」


 先行していたチョチョが車輪を滑らせ、カイトの目の前で砂埃を上げながら停止した。


「この先にテニスコートがあったのですよ。一緒にやりましょう」


 くいくいと後ろを指差しながら、チョチョは提案する。


「テニスか。いいんじゃないか。おまえも小学校でよくやっていたじゃないか」


 カイトの脳裏に小学校時代のシャーロットの姿が浮かび上がった。赤髪を翻しながら、コートを縦横無尽に走るお転婆少女の表情は、今のように無表情ではなかったはずだ。


「そうね……」

「また見てみたいな、おまえのラケット捌きをさ」

「う……カイト……」


 カイトは隙だらけのシャーロットのブラウスの袖を掴み、デパートの万引きに失敗した小僧のように引っ張る。そのままチョチョに案内され、ハイドパークの片隅にあるテニスコートへと辿り着いた。芝生が浅く生い茂る、いわゆるグラスコートだ。


「フフ、待っていたぞ、シャーロットよ」


 すでにテニスコートの管理人からラケットを四人分借りていたセィルが腕を組み将軍のように堂々と立っていた。


「この我と盟約を交わすがいい。二振りのラケットが未来を切り開き、ルーの必勝の加護があらんことを! えっと、つまりダブルスだ。めざせ、ウィンブルドン!」

「ウィンブルドンに女子ダブルスはないわよ」


 そう言い返しながら、シャーロットはラケットを受け取り、セィルの隣に並ぶ。


「では、チョチョはカイトさんと組むのです」

「おう。ところで、チョチョ。テニスの腕前はどうなんだ?」

「初めてなのでわかりません」

「ああ、そうだと思った」

「しかし、ラケットでボールを跳ね返せばいいのは知っているのです。チョチョには雪かきで鍛えた腕があるので、コートの奥までぶっ飛ばせますよ」

「それじゃ失点だ」


 しかし、今日はシャーロットを励ますためにここまで来ているのだ。カイトは、機嫌よくシャーロットに勝利の花束を贈るために、ハンデ代わりとしてチョチョと組むことを了承した。とにかく、自由に楽しくやればいいだけだ。

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