シャーロット
「それじゃあ、あたしからいくわよ、カイト」
シャーロットが勢いよくサーブを打ち出し、身構えていたカイトは素早く打ち返す。ボールはそのままシャーロットの元へ戻って行く。
「変わらないクセね……カイトっ」
エメラルドの瞳が輝き、シャーロットはスナップを利かせて打ち返し、ボールは何もできずおろおろするチョチョの足下を回転しながら滑り込んだ。
「じゃじゃじゃー! すごい動きなのですっ」
「あたしくらいの探偵になれば、腕の事前動作、息遣い、目の動きでボールがどこに行くのか手に取るようにわかるわ。だから、負けることはないっ」
シャーロットがラケットをカイトの顔に向けながら、勝気な性格を露に話す。そして、一瞬の間を置いてから、「あ」と口元に手をあてた。
「探偵業は引退したんじゃないのか?」
「フフ、職業病というやつなのである」
「……あ、あたしだってぇ、負けたくないんだからっ!」
闘志に火を点け、シャーロットは本音をぶちまけた。すっかり女の皮を被った虎の心を取り戻したようでカイトは安堵の息を吐く。
それからも四人はしばらくの間、テニスに興じた。
当然のように、カイトとチョチョのペアは点を入れることができず、シャーロットとセィルのペアが圧勝。それでも、心も体も弾ませた四人は、さっぱりとした表情で結果を受け入れることができた。
カイトとシャーロットはベンチに座り、休憩する。コートの上では、座敷童子とバンシーが対抗心と共に引き続きボールを打ち合っていた。
「喰らえ、ブラン・マク・フェヴァル・ウェイブ!」
セィルの叫びと共に、名前の付いたただのサーブが叩き込まれる。
「技名を叫ぶなんて子供っぽいのですっ。ボールは金縛りにっ」
チョチョがボールを目の前で止め、その場で勢いよく飛び上がるとスマッシュを叩き込む。
「なっ、金縛りとは卑怯だぞっ! お手前には騎士道というものはないのか!」
「勝てばいいのですっ」
「ぐっ、ならば封印されし我が力を使い、覚醒するまでだ! う、うわあああああああん!」
「ぐっ……頭が、痛い! 頭の中で猪が暴れているようなのですっ」
「フフ、バンシーを侮ったな柔き供物よ。我の【
「ま、負けるわけにはいかないのですっ。チョチョの血が怒りと闘志で沸騰するのです。正義の力を受けるのですっ」
「かかって来るのだ――ぐ、動けんっ。チョチョめ、とうとう我に金縛りを――」
「ちょいなっ!」
もはやテニスではないスポーツを始めた精霊と妖精。カイトは眉を顰めた。
「何やってんだか、あいつら」
「ふふ」とスペクタクルショーを眺めていたシャーロットが唇に微笑を過ぎらせた。
「ごめん、カイト。色々気を遣わせていたみたいね。ありがとう。カイトたちと遊べて、少しは気が紛れたわ」
〝――それでも、少し……か〟
「カイトは……やっぱりあたしに優しくしてくれた」
シャーロットは一度天を仰ぎ、カイトに向き直った。瞳の中に懐旧の色を添えて。
「覚えている? あたしが小学校で……探偵としてやったことを……」
「ああ、まあな」
それはドイルの小説「緋色の研究」が世間に発表されて間もないころだった。すぐにシャーロック・ホームズの冒険譚の虜となったシャーロットは、探偵を目指し勉学に励み、その影響を学校の中にまで持ち込んだ。そうして、シャーロットは学校内で発生した細かい問題を、全てその推理力で解決するまでに至った。花瓶を割ったのは誰か。クラスの人気者アナと恋中なのは誰か。
その結果、シャーロットは栄光を手に入れた。探偵のタマゴとまで言われ、将来はロンドンの全ての怪事件を解決するとまで持て囃された。
だが、その栄光の最後に待っていたのは――孤独だった。
シャーロットはいつからか、その推理力を邪険に扱われてしまった。何もかもを見通す瞳は、綺麗だが不気味とまで思われてしまった。あげく、シャーロットは同級生の女子から気味悪がれ、執拗ないじめを受けるまでになってしまったのだ。
そんなときに現れたのが、カイトだった。カイトはいじめられていたシャーロットを助けると友好を結び、親友となった。
「あのときも、カイトはあたしを助けてくれたわよね」
「まあ、それは爺さんが、新時代は男子たるものジェントルになるべきだと言っていたからだが……」
探偵の真似事を続けるシャーロットを、カイト自身もまた奇異の眼差しで見つめていたのは確かだった。しかし、迫害のように責められ、孤立される少女を放っておくこともできなかったのだ。
「ううん、でも、あたしは嬉しかったわよ。あたしを不気味に思わない、友達ができて」
その「友達」という響きがカイトの頭に着想を齎した。
「……もしかして、ベイカーからうちの〈アステリズム〉に来るために、わざわざ自転車を買ったとか……じゃないよな?」
ロンドン市内とはいえ、シャーロットの家から〈アステリズム〉まではかなりの距離がある。だが、自転車さえあればその問題は一気に解決。カイトはかねてから懸念していたことがあった。本当にシャーロットは、静かで、本に集中できるから〈アステリズム〉に来るのかと。
もしかすると、シャーロットの狙いは〈アステリズム〉自体ではなく、カイトだったのではないかと。自惚れかもしれなかった。それでも、たびたびカイトを見つめていたシャーロットの瞳は、少し寂しそうに思えてしまったのだ。
シャーロットは頬を色づかせて、目を伏した。
「カイトってさ、ときどきあたし以上の勘の良さを見せるわよね。ファルコ探偵事務所の営業妨害なんだけど」
「それは失礼。だけど、探偵としてまだやりたいって気持ちはあるんだな」
「……まあ、ね」
「ならさ、シャーロット。おまえも、死んでしまったシャーロックの分まで、思うまま我儘にこのロンドンで活躍してみせるっていうのはどうだ」
「……小説のような大事件は、起きそうにないわよ」
「むしろ、日常の中に小説のような出来事は潜んでいるんだぜ。おれは、チョチョと出会ってからそれを実感した。だから、〈アステリズム〉にいる限り、あいつと一緒にいる限り、何かが起こる。おれはそんな気がする」
「……わかったわ。あたしも、コック探偵として、経験を積ませてもらうから。あなたたちと一緒なら、悪くない」
また妙な肩書きになっているが、それでもカイトはシャーロットの復活を歓迎した。
目の前のコートでは、まだチョチョとセィルがインチキのような技を使って新次元のテニスを繰り広げていた。あの中に入る気はとっくに滅入っている。カイトは、シャーロットと話を続ける。ようやく、本題に入ることができた。
「チョチョが言っていたんだ、〈アステリズム〉には〈アステリズム〉だけの料理が必要なんだと。シャーロット、一緒に考えてくれるか?」
「名物料理……フランス料理店でいう、シェフの気まぐれメニューみたいな感じかしらん」
シャーロットが小首を捻り、推理するかのように思案顔になった。
「期待しているぞ、ロンドン一のコック探偵」
そう呼びかけると、シャーロットはこくりと頷く。鬱屈だった表情は、もう消えていた。
そよ風が吹き、梢がゆらめき、干渉してさらさらと音を奏でる。交響詩の一片のような空間の中で、カイトとシャーロットは微笑み合った。
〈アステリズム〉の定休日。心の調子を整えた従業員たちは、次なる試練に向けて羽ばたきだそうとしていた。
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