セィル

「……すまねえ、カイト亭主。俺たちのために、身を挺してあんな無茶な賭けを……」


 賭博クラブから解放され、寒空の下で息を白くさせながらコンが頭を下げた。

 それを見て、カイトは肩をすくめる。


「無茶な賭け、か。確かに、おれは分の悪い賭けは嫌いだが……今回ばかりは違う」


 隣を歩く少女にカイトは視線を注いだ。


「ありがとう、チョチョ。おまえの『調整』のお陰だ」

「どういたしましてなのです」とチョチョはにっこりと微笑んで応える。

「『調整』ってどういうことだ?」


 呆気に取られる妖精たち。カイトは口元に苦笑を添えて、「賭け」について説明した。


「さすがに、おれでもあんな距離からど真ん中を狙うことなんか、はっきり言って無理だ。だから――」

「チョチョの金縛りの応用で、少しずつ矢の軌道を調整したのです」

「そ、そんなのインチキじゃないか。バレたら、ただじゃ済まなかったのに」


 オルサンが毛を逆立たせて汗を散らす。影の功労者は「童子教」のことわざを再び口に出した。


「郷に入っては郷に従えなのです」

「イカサマが横行しているなら、こちらもイカサマするまでだ。一羽の雀が落ちるのは神の摂理だが、一本のダーツが刺さるのは、座敷童子の道理だ」

 

 シェイクスピアの言葉を改変し、カイトが付け足すと、妖精トリオは呆然とその場で足を止めてしまった。


「だけど、御三方。安心できる身分じゃないことは、自覚してほしいな。今から大事なおれの『仲間』に会わせてやる」

「う……、ああ……」


 歩き続け、カイトたちは我が家――〈アステリズム〉に到着。


「お帰り、カイト。うまくいったみたいね」


 亭主の帰りを出迎え、微笑むシャーロットにカイトはサムズアップで答えた。その赤毛の少女の傍らに、いじいじと身をくねらせているバンシーの姿があった。その泣き疲れ、腫れあがった赤い瞳に旧知の友を映すと、セィルは息を呑んだ。


「さ、今回の件を、セィルに謝ってもらおうか」


 カイトはコンの小さな背中を叩き、一歩前に進ませた。


「す、すまねえ、セィル……。お前から借りた金も、使い切ってしまった……」

「ははっ。金など、また貯めればいい話ではないか……わたしは、三人が無事ならそれでいい……いいんだ……」


 セィルは渇いた笑みを浮かべる。しかし、あれはセアラ・ケネディに贈る皿を買うために、必死になって稼いでいた金のはずだった。その精神的な苦痛は、大きいものだとカイトは予想し、歯を噛み締める。


「『金は借りてもいけないが、貸してもいかん。貸せば金はもとより友人まで失うことになり、借りれば倹約する心が鈍る』……」


 カイトは「ハムレット」の台詞を引用。


「この言葉の意味が、わかるな? それでも、セィルはおまえたちを信じて金を貸していたんだ。その想いを、無駄にしないでくれ……」

「お、おれはどうしたら……セィルに償えるんだ?」


 カイトは顎を擦り、思案顔。ほんの少し間を置いて決断を下した。


「そうだな、まずは……セィルの働く様子を見学してもらおうか。汗水と、水道水と、能力の水を流してセィルが稼ぐ様子をな。ファルミとオルサンも連帯責任だ」


「はっ……はい……」と残りの二人も頷いた。


「セィルもいいな。おまえの仲間たちに、その女神に祝福された妖精の手を見せてやれ」

「う、うん」


 小さく手を握り、セィルは普段通り働き始めた。

 愛用のハウスメイドボックスを置き、玄関の石段を磨き石で白くさせるセィル。

 客室のシーツを集め、洗い場で豪快かつ丁寧に洗うセィル。

 搾り機を使い、水を落とすセィル。

 そして、〈アステリズム〉営業中に大好きな皿洗いを行うセィル。ナイフ・ポリッシュで丁寧に洗い、退魔の剣のように銀の光を漲らせる。

 妖精たち三人はじっくりと、セィルのつつましい活躍を見届けていた。

 閉店となっても、セィルはモップや雑巾を使い、懸命にタップルームの清掃作業を進めている。さらには、宿泊客のブーツを洗うサービスも自主的に行っていた。

 カイトはテーブル席でうなだれていたコンたちに声をかけた。


「どうだ、セィルはこんなにがんばって金を稼いでいたんだ。これで一日の給料は二シリングだ。おれが言うのもなんだが、かなり安い。とっても安い。それでも、セィルは嫌な顔をせずにやってくれている。これが、あの子の天職のようだからな」


 カイトは優しい眼差しを、セィルに向けている。小さな体で働くセィルの姿は、カイトの舌にも力を与えてくれていた。


「コン、思い出してくれ。チョチョやセィルがおまえたちにほどこしたことを。シャーロットの料理に驚き、とても美味しそうに食べていたことを。おまえたちはその笑顔を、溝に捨てるのか?」


「う……」とコンは金槌で殴られたかのように呻いた。

「セィルは優しいやつだ。おまえたちが借金を踏み倒したと聞いても、ずっと信じていなかった。それに、〈アステリズム〉で稼いだ金と、モデルのバイトで手に入れた金で、恩師セアラ・ケネディに皿を贈ろうとしていたんだからな」

「あれは、セアラ様のための金……? ああ……本当に、俺は、なんて馬鹿なことを……」


 コンの目線が、布で包まれた荷物に向けられた。昨日からコンが肌身離さず持っていた物だ。何か怪しい。そう感じたのは、カイトだけではなかった。


「……まだ、セィルさんに言ってないことがあるのではないですか?」


 チョチョが目を研ぎ澄ましてコンに尋ねた。

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