第四章 すばらしい新世界
五つ星ホテルからの招待状
ガス灯から光が輝き出し、一月のロンドンの街を照らしていく。
この日もまた、イン〈アステリズム〉は盛況となっていた。あの約二か月前の有様は夢か幻のようである。
「失礼……します」
入店した白髪の老人が、グラスを磨いていたカイトにしゃがれた声をかけた。
「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」
にこやかに対応するカイトに、老人は一枚の封筒を差し出す。
「すみません。今日の私は客ではなく……配達員なのです」
「これは……?」
怪訝な顔でカイトは渡された封筒を眺めた。差出名のところには、星の形のマークが刻まれている。沿うように、添えられているロゴに目を通し、カイトは左手のグラスを落としそうになった。
「〈グランド・ポラリス〉……?」
超高級ホテルの名に、カイトは声を荒げる。
「私はロンドン宿場協会の者。このイン〈アステリズム〉の評判を聞き、会長を務めるオウストラル様から、祝儀代わりの贈呈です。どうぞ受け取ってください」
深く礼をすると、宿場協会の老人は〈アステリズム〉を去っていく。
馬車の鞭の音が響いたのを確認したあと、
「わわ、ご祝儀ですか。ありがとうございますっ」
ひょこっと顔を出したチョチョが、子供っぽくじゃれるように封筒をカイトの手から奪い、中身を確認した。
「〈グランド・ポラリス〉無料宿泊券……ちゃっかりしっかり四人分ですよ」
「ああ……しかし、〈グランド・ポラリス〉か……マークされていたとは思わなかった」
ロンドン宿場ランキング一位の高級ホテル〈グランド・ポラリス〉――かつて、次元が違うと評したホテルだ。
「わはー」と声を漏らし、目を光らせて宝物のように宿泊券を掲げるチョチョ。
「チョチョはホテルに興味あるのか?」
「もちろん。前々から、どんなところなのか見てみたいと思っていたのですよ。働く人の敵情視察もできるのです」
「前にも言ったけど、客の層が違うんだから競合相手にはなり得ないと思うんだけどな」
額に指をあてて唸ると、キッチンからシャーロットが現れる。
「いいじゃない、カイト。あたしみたいな低所得民に一生縁がないと思っていた超高級ホテルに泊まれるのよ。あたしも超豪華なフランス料理を味わってみたいし、超高級なワインも飲んでみたいし、超優雅にくつろぎたいし、超楽しみだわ」
シャーロットの唇が涎で潤い始めてしまった。スーパーディテクティブコックの欲望を目の当たりにし、カイトは溜め息を吐く。
「ま、刺激になるかもしれないな。それなら、行こうじゃないか。ホテル〈グランド・ポラリス〉へ。いわば研修旅行だな」
次の休業日の日の昼下がり――
「ここが……〈グランド・ポラリス〉……!」
ストランド通りに構えられた〈グランド・ポラリス〉――その荘厳な姿はまるで宮殿や古城のように豪壮であった。中世の時代からそのままコピー&ペーストされたかのような建物に、威圧感を抱いたカイトは、自然と踵の先を揃えてしまう。
「ふふ、古城か。我が故郷を思い出す……」
ただ一人、セィルだけは口笛を吹くかのように気楽だった。
「ささ、早く行きましょう。あたしに味を覚えさせるための美味しい料理が待っているはずだわっ」
インヴァネスコートを着用したシャーロットがバッグを揺らしながら、はしたなく駆け出した。慌てて、セィルがその揺れる赤髪を追う。
「……さて、どんな『おもてなし』が待っているのか、敵ながら楽しみなのです」
あくまでライバル視を止めないチョチョが、口端を吊り上げながら歩いて行く。カイトはお気楽な三人娘の背中を見比べながら、鞄を片手にホテルへと入る。
「ようこそ、〈グランド・ポラリス〉へ! ステイッゴールド!」
四人を待っていたのは、それこそ兵士のように整列した従業員の声であった。耳を劈くような熱烈歓迎に、カイトは怯んでしまう。従業員の一人――さっぱりとした短髪。皺のない白シャツに、黒いベストを着た男が一礼すると、カイトに声をかける。
「失礼ですが、お客様は〈アステリズム〉一行様でしょうか」
貴族の邸宅で雇われている執事のようなベルマンが、にこやかな笑顔を見せた。
「ああ……おれ……いや、私が亭主のカイト・ストーンズリバーです」
その雰囲気に飲まれてしまい、カイトは珍しく畏まってしまった。そのまま、カイトはポケットに入れていた無料宿泊券を差し出す。ベルマンの胸元をよく見ると名札が掲げられ、「グレイ」と名が彫られていた。
「よく、チョチョたちが〈アステリズム〉の店員だとわかったのです」
「はは、簡単なことですよ。このロンドンの宿場を、男一人、女三人の若者で切り盛りするのはあなたたち〈アステリズム〉のみ。何より、その日本の着物姿、美しい黒髪はこの街では何より目立ちますから一目瞭然です、『チョチョ』さん」
自然に流れるようにお世辞を浴び、チョチョは頬に両手を添え悶えた。
「じゃじゃじゃー。本当に、チョチョたちは有名になったのです」
「って、あれ……」とワンテンポ遅れてカイトが目を見開く。
「チョチョに感動と驚きを与えている……さっそくおもてなしを受けたようね」
シャーロットも思わず感心。
「今回は〈アステリズム〉一行様特別宿泊コースを設けております。では、お荷物は私が持ちます。部屋まで案内しましょう」
グレイがにこやかに会釈し、カイトとシャーロットから鞄を預かり、先導する。
フロント、ロビーを抜けてカイトたちが次に通過したのは――中庭だった。
「わあ……冬だというのに、花が洪水のように溢れているのです」
「おおっ、あれぞ【
「……ヒナギク、スイセン、ヘルボレスね。妙な名で呼ばないで」
三人娘は女らしく、彩られた花たちに蝶のように誘われていく。
馥郁たる香りを嗅ぎ、なんとも和やかな光景にカイトも思わず笑みを浮かべるが、
「マリーゴールドはないようですよ、カイトさん」
悪戯っぽくチョチョが言うと、胃が冷えてしまった。
「当ホテル自慢の中庭です。季節に応じて花を入れ替えるのはもちろん、結婚式場やパーティー会場として提供するサービスなども行っていますよ」
真鍮のボタンを光らせ、グレイがすらすらと憩いの場を説明し、カイトは感服する。〈アステリズム〉では真似できない庭園を、カイトはしっかりと目に焼き付けておいた。
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