終章

終章

 日々はあっという間に過ぎていく。気づけば、もう国王が来訪する日を迎えていた。


「アルビナータ。用意、できた?」

「はい」


 海風や眩い陽光、海鳥の鳴き声が窓から吹きこみ、落ちてくる正午過ぎ。アルビナータは扉越しに聞こえてくる声に応え、部屋を出た。

 用意と言っても仕事なので、いつものように制服に着替えるだけだから手間はかからない。違うのは、鞄を持って行かなくていいことくらいだ。


「ティベリウス、陛下は今どちらにいらっしゃいますか?」

「さっき博物館のほうを歩いていたら、食堂のほうで見かけたよ。まだ食べている途中だったから、こっちへ来るのは遅れるんじゃないかな」

「そうですか……展示室の見学が長引いたんでしょうね」


 国王が持ち前の知的好奇心を発揮して、接待役の館長を質問攻めにしたからに違いない。アルビナータはその光景が容易に想像でき、相変わらずだと苦笑した。

 昼食も済ませているために時間を持て余したアルビナータとティベリウスは、‘皇帝の間’の一角にある展望台へ足を向けた。二人が展望台を訪れると、見張りの兵たちが気づいてティベリウスに見惚れる。


「御役目、御苦労様。悪いけど、少しだけ外してくれないかな。国王が来るまで、ここで時間をつぶしたいんだ」

「は、はいっ」


 ティベリウスが微笑んで頼むと、兵士たちは慌てて敬礼するや二人の横を通り抜け、展望台から出ていく。中年兵士さえ頬が染まっていたのは、気にしてはいけない。


「……やっぱり、そうやって人に命令しているのを見ると、ティベリウスは皇帝だったんだなあって納得できますね」

「あはは。宿営地でも、こんな感じだったでしょう?」


 苦笑してティベリウスが聞いてくるものだから、アルビナータは同意するしかない。宿泊地や視察先でのティベリウスの振る舞いは、それほど人々が思い描く皇帝らしかった。


 特に印象的だったのは、視察した軍団基地での演説だ。演説台に立って話す内容、涼しくも芯が通った声音、きりりとした眼差し。初めて見る生身の皇帝の眩い姿と真摯な鼓舞に、屈強な兵士たちは皆酔い、涙していた。現代でも彼を皇帝だったのだと思うことはしばしばあるが、あれほど五感で感じ、納得できるものはなかった。


 それほど民を熱狂させた古代の賢帝と、末裔たる王国の知的好奇心あふれる若き国王が対談するなんて、改めて考えてみるとすごい話だ。どちらとも親しいし、話題の大半は古代アルテティア史についてなのだろうが、現代の政治の話も多少はするだろうから、アルビナータは場違いなところに臨席することになっている気がしてならない。‘アウグストゥス’をこの世に顕現させる‘巫女の学芸員’である以上、逃げられないのだが。


「そういえばティベリウス。今朝会ったときに館長が、もしよければ今度、古代アルテティアの暮らしについてティベリウスに講義してほしいと言ってました。先日の譲渡会で会った学芸員や教授の方々から、そういう要望があったそうでして」

「もちろんいいよ。アルビナータは大丈夫?」

「はい。じゃあ後で、館長に伝えておきますね」


 快諾をもらえ、アルビナータは顔をほころばせた。

 この講義が告知されれば、国中の古代アルテティア史を専攻する学芸員や学者、学生からの応募が殺到するに違いない。古代史に興味を持つ一般人も、知れば聴講を希望するだろう。

 ティベリウスの言葉に、彼が語る古代アルテティアの世界に興味を持って知ろうとしてくれる人が増えているのだ。それが、アルビナータは嬉しかった。


 ばたばたと誰かの足音がする。二人が振り返ると、ミケロッツォが駆けて来ていた。いつもなら着崩している制服ではなく、今日ばかりは喉元までボタンを留めた、白地に青と金の装飾が映える正装をまとっている。

 ミケロッツォはティベリウスを見るや、うお、と目を丸くした。


「展示してた像よりもずっと美形じゃねえか。こりゃあいつらがぼうっとなるわけだ」


 開口一番、礼儀も何もない発言である。国王が聞いていたなら、極寒の空気の中で冷ややかな一瞥が投げられることは間違いない。

 ティベリウスは気に止めた様子もなく、首を傾けた。


「君は誰? 国王の伝令?」

「あ、そういえばティベリウスは会ったことがなかったんですよね。国王陛下の伝令のミケロッツォさんです」

「どーも、ミケロッツォ・シモンチェッリです」


 アルビナータが紹介すると、ミケロッツォは道化師めいた大仰な仕草でティベリウスに頭を下げる。正装だからか、一層おどけたふうでおかしい。この人らしい、とアルビナータは小さく笑った。


「ミケロッツォさん、どうかしましたか? 国王陛下がおいでになられたんですか?」

「ああ。今こっちに向かって来てるところだ。……というわけで」


 そこで一度区切ると、ミケロッツォはそれまでの砕けた態度はどこへやら、貴族の末席に相応しい洗練された動作で一礼した。


「‘アウグストゥス’、お待たせいたしました。まもなく、国王陛下がお見えになられます。書斎へおいでくださいませ」

「わかった。教えてくれてありがとう」


 と、ティベリウスはミケロッツォに微笑みかける。ぱっと見ただけでは驚くだけだったミケロッツォだが、これはさすがに効いたようだ。赤くなりこそしないものの、代わりに硬直する。


「じゃあアルビナータ、書斎へ行こう」

「はい」


 アルビナータは頷き、‘巫女の学芸員’として、ティベリウスの斜め後ろに付き従った。中庭に配置された兵士たちの視線を受けながら書斎へ向かい、つい数日前に国王から贈られたばかりの古代風の調度で調えられた書斎で、国王を待つ。

 やがて空気がさらに変化し、国王が姿を現した。

 古代に生き、今を生きる悲運と美貌の皇帝が、軽く目を見張る国王を笑顔で歓待する。アルビナータはその赤い目で、高貴な人々の対面を見守った。

 古代から在り続ける白亜の別邸に、今日も精霊の風が吹いている。

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アウグストゥスの巫女 星 霄華 @seisyouka

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