第6話 櫃の中・二

 そしてあっという間に、一時間余りが経過した。

 番号札と目録を見比べたティベリウスは、巻物を無造作に手に取り、広げた。


「――これ、コルテスの『内乱記』だね。エルスファスの戦いについて書いてある。保存状態はいいけど……アルビナータ。確か、ドルミーレにあったよね?」

「はい。購入候補でもないですし、次を見ましょう。えと、次は……」


 事前に配布されている目録や資料と見比べながら歩き、アルビナータは胸像に関心を寄せた。立派な顎髭をたくわえた、温厚そうな男性の像だ。


「ティベリウス、これ、見覚えありますか?」

「うーん、ないなあ。少なくても、ルディラティオの皇宮や神殿で見た記憶はないよ。僕が知っている人の顔でもないし……あったとしたら、どこかの公衆浴場か誰かの屋敷じゃないかな」


 と、両腕を組み、ティベリウスは首を捻る。アルビナータは目録をぱらぱらとめくった。


「目録にも、うちの購入候補には入ってませんね。コラードさん、どうしますか?」

「それもよそ行きだな。美術館と美術商が狙ってるだろうし。代わりにこの金貨、狙おうぜ」


 と、自分が鑑定していた金貨をアルビナータに投げて寄越す。金貨に彫られた彫刻は、ティベリウスから数えて二代前の皇帝の横顔だ。ほんの一年あまりで病死してしまったために製造枚数が少なく、実績がほとんどないにもかかわらず希少価値が高い。購入候補目録にも入っている。


「さあて次のは……お、あれいいんじゃね?」


 そうコラードが指差したのは、金貨とは反対に若い男の像だ。甲冑には、戦乱の様子が刻まれている。


「ゼペダ戦役の戦勝記念の像、ですよね」

「うん。まだあるんだ……」


 アルビナータが呟くと、ティベリウスは照れくさそうな、複雑そうな顔をする。自分を題材にした彫像が目の前にあるのだから、当然だろう。

 コラードはにやにやして言う。


「これ、うちで飾ったほうがいいんじゃね? 庭にでも置けば、来館者が喜ぶぞ」

「コラード、僕の彫像なんてもうあるんだから、要らないだろう? 土産物屋にも、小さいのが売っているし……」


 だから勘弁してよ、とティベリウスは頬を赤らめる。アルビナータは苦笑した。

 当たり前だろう。自分を模した彫像の前に多くの人々が押し寄せ、土産として小さな彫像を買い求めているあの光景は、当人からすればいたたまれないの一言に違いないのだ。特にこの三ヶ月、ベネディクトゥス・ピウス帝に関する土産物と書籍はドルミーレだけでなく、ガレアルテの土産物屋や書店でも品切れになるほど人気なのである。おかげでガレアルテの職人工房は大忙しらしいと、アルビナータは先輩学芸員から聞いている。


 そんなふうに、時々自分にまつわる品が発見されては反応するティベリウスや、他の参加者たちの助けを借りながら、ドルミーレ王立歴史博物館の代表たちの鑑定は少しずつ進んでいった。事前に配布された資料を読んで絞りこまれた購入候補についてはある程度調べてあるとはいえ、それでも見識は不足するのだ。また逆に、他の参加者が二人に意見を求めてくることもある。検分の場は、同時に学芸員や商人たちの交流の場でもあった。

 そうして言葉を交わすうち、最初こそ生身のベネディクトゥス・ピウス帝に見惚れ、圧倒されているばかりだった参加者たちも、何人かは意を決してティベリウスに声をかけてくるようになった。アルビナータの眼差しや手によって人々に認識されたままのティベリウスは快く応じ、巻物の内容を説明してやったり、自分の治世や当時の生活について語ったりしている。その横顔はどこか嬉しそうだ。

 譲渡会について来てほしいと頼んだのは、彼に喜んでもらう意味でも正解だったようだ。ティベリウスを横目で観察して嬉しくなったアルビナータは、頬を緩ませた。


 ティベリウスを視界に入れつつ辺りを見回していると、古びた櫃がアルビナータの目についた。目録によると、老朽化に伴い取り壊された修道院で発見されたものであるらしい。修道院の所有者が他の品々とまとめて国に寄贈したので、譲渡会に出品されたのだという。

 ドルミーレの購入候補に入っていないのは、魔法で保存された痕跡ありと資料に記されているものの、特に珍しい特徴があるわけでもないからだろう。見るからに古くさい、ただの箱である。

 しかし、そういう品でも実際に調べてみると新たな価値が見つかったりすることがある。そうでなくても、実物をじっくり見ることは学芸員にとって大事な作業の一つであり、勉強だ。


「ティベリウス。ちょっとこれ、見てもいいですか?」

「うん。魔法はもう解除されてあるみたいだけど、気をつけてね」

「はい」


 ティベリウスに断りを入れ、アルビナータはその場に膝をつくと、箱を開けた。

 空っぽの内部には埃以外、何も入っていない。内部も時代を経た木製の櫃そのもので、下手に触れると壊してしまいそうだ。運びこんだ役人たちの苦労がしのばれる。

 ざっと調べた限りは、ドルミーレにわざわざ持ち帰る価値のない品である。特別凝った装飾がされているわけでもなさそうだ。

 そう思ってアルビナータは立ち上がったのだが、そこでふと違和感を覚え、眉をひそめた。


「……?」


 立った状態で櫃の中を眺め、アルビナータはもう一度腰を下ろした。今度は、櫃の外装をじっと見つめる。

 やはり、中を見下ろしたときとしゃがんで外装を見たときとでは、底の高さの印象が違う。中をまっすぐ見下ろしたときのほうが、しゃがんで外装を見たときより、底が浅く感じる。


「アルビナータ? 何をしているの?」


 ティベリウスが、アルビナータの奇行を見つけてか目を丸くした。コラードも寄って来る。

 アルビナータは二人を見上げた。


「この櫃、二重底にしてあるような気がするんです。もしかしたら、まだ本当の底のほうに何かあるかもしれません」


 そう返し、アルビナータは櫃をもう一度調べてみようと考えた。これがもし二重底になっているなら、底板のどこかに取っ手になるような部分があってもおかしくない。あるいは、外装か底に引き出しか扉があるかもしれない。

 が、その手を屈んだティベリウスが止めた。


「待って。僕が一度見てみるよ」


 そう言うと、ティベリウスは櫃に手をかざした。

 すると、ティベリウスの手に淡い光が灯り、櫃の中を照らした。彼の手が動くのに合わせて、底のさらに下の様子が衆目にさらされる。

 魔法の行使は、ティベリウスの得意分野だ。生まれつき図抜けた魔力の持ち主で、人生で唯一経験した戦乱であるゼペタ戦役では、その甚大な魔力を用いて多くの兵の命を救ったという逸話がある。現代で目覚めてからはさらに魔力が増したらしく、こうして透視をすることなど、彼にとっては息をするように容易いことなのだった。

 ティベリウスの魔法によって、櫃の底に三つの細長い影が浮かび上がった。どれも両端が細く、中央部分に紐が巻きつけられているようだ。

 アルビナータは目を瞬かせた。


「巻物……?」

「かもしれない。端から四分の一くらいのところに取っ手があるよ。ほら、あの辺り」


 と、ティベリウスは白く細い指で櫃の底を示す。それと同時に透視の魔法は切れ、細長い影は消えた。

 アルビナータはすぐさま、端から四分の一辺りのところにあった目立たない取っ手に手を入れた。すると底板は簡単に持ち上がった。たちまち独特なにおいが漂い、底板に固定されていた巻物が三巻、姿を現す。


「アルビ、でかした! さすが‘白兎’!」

「コラードさん、犬みたいに言わないでください」


 褒めているつもりなのか背後から頭をかき回すコラードに、アルビナータは口を尖らせ抗議する。兎は犬ではないのである。隠された物を見つける才覚はないはずだ。

 ともかく、中身を確かめなければならない。アルビナータは膝の上で巻物の軸を回し、ゆっくりと羊皮紙を伸ばした。ティベリウスとコラードが、肩から覗きこんでくる。

 古代言語で書かれた内容を脳内で翻訳した瞬間、アルビナータは一瞬硬直した。思わず、間違いではないかと翻訳し直す。

 しかし、答えは変わらない。ティベリウスに教えてもらった古代文字の知識は、一つの内容しか示さない。

 アルビナータの頭の中は真っ白になった。鼓動が速くなるどころか、気が遠くなりそうになる。

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