第22話 救いの手・二


 そう、噂。アルテティア帝国が存在していた時代、オキュディアス一族には、神より与えられた時空を操る力をもって権力者たちの政治を振り返り、記しているのだという噂があった。事実、ティベリウスの父帝の章にはごく少数の者しか知らないはずの政治の暗部を記している部分がいくつかあり、ティベリウスも調査の上重臣の処分をせざるをえなかったことがある。それでも信じる者よりは、幅広い人脈を駆使して真実を探っているのだろうと考える者が大半で、当時のティベリウスも半信半疑だった。

 だが、こうなっては噂は真実だったと認めざるをえない。アルビナータは意図せずして扉に鍵を当ててしまったために、おそらくオキュディアス一族が執筆のためそうしていたように、精神だけが時空を越えてしまったのだ。


 ティベリウスが表情と雰囲気を崩さないのを見て、さすがにコラードもそれが事実なのだと理解したようだ。くそ、と吐き捨てた。


「どうすりゃいいんだよ。時間に関わる魔法は、三百年前の国際条約で研究の禁止が決まって以来、誰も研究書や論文を出してねえぞ。空間関係のほうにしても、今すぐ魔法使いに聞けるわけねえし……」

「うん。だからコラード、手伝ってほしいんだ」


 と、ティベリウスがコラードに頼もうとすると、彼はあのなとティベリウスを睨んだ。


「何のために、俺がこっちに来たと思ってんだ。わざわざ姉貴や館内のことを伝えるためだけに来ねえっての。後輩がわけわからんことになってて、俺にできることがあるならやってやるに決まってるだろ」


 コラードは高らかに宣言する。ただでさえ怖いと言われがちな目は強い意志を湛えてさらにきつく、狩りの態勢に入った猛獣を思わせる。

 そう、彼はアルビナータを、王立学院に在籍していた頃から気にかけていたのだ。手伝ってほしいなんて、言う必要もないことだった。見た目で少々損をしているが、後輩を可愛がっている先輩なのだと改めて感じ、ティベリウスは頬を緩めた。

 ティベリウスがしてもらいたいことを話すと、コラードは唸った。


「……それが今のところ、唯一アルビを連れ戻せそうな方法なんだな」

「うん。外れているかもしれないけど、今はこれ以外、別の場所でさまよっているかもしれないアルビの精神をこちらへ連れ戻す方法を思いつかないんだ」


 それは、ティベリウスの希望が多分に混じった推測でしかない。多少魔力が増し、世界の理について感覚で理解できるようになっているとはいえ、ティベリウスは学者でも神でもないのだ。

 しかし、アルビナータを過去世界から連れ戻す手がかりになりうるのなら、探すしかない。

 コラードは、わかったと頷いた。


「じゃあ、ちょいと行ってくる。お前も、自分の章の中にアルビがいるっていうなら見つけろよ。魔法が得意な‘精霊帝’なんだからな」

「そうだね。――気をつけて」

「おう。肉体労働は任せとけ」


 そう、おどけた物言いで場の空気を和ませたコラードは、ティベリウスの髪をくしゃりとかき回す。今度ははっきりと頼もしい笑みをひらめかせ、部屋を出て行った。足音が遠ざかっていく。

 ティベリウスは、乱された髪を撫でた。緊張と不安から強張っていた頬や口元がふと緩む。


「すごいなあ……」


 コラードが来るまでは後悔で沈んでいた心が、少しだけ心が軽くなっている。彼とこの事態の情報を共有したからか、信じて任せてもらえたからか。大丈夫、と誰かが背中を後押ししてくれているような心地さえする。

 そのせいか、かつて常に傍らにあった青年の頼もしい後ろ姿が、ティベリウスの脳裏をよぎった。故郷を離れルディラティオへ来てすぐに出会い、ティベリウスの治世を支えてくれていた護衛隊長もまた、その存在そのものがティベリウスを勇気づけてくれていたものだった。


「……」


 一つ頷いて表情を改めたティベリウスは、アルビナータの頬を一撫でしてから、念のため部屋に防護の魔法をかけた。回廊へ出て、集まっている精霊たちに告げる。


「皆、申し訳ないけど、ここから離れてくれないかな。これからここで、あの巻物を開くから。僕にも悪い影響があるだろうし、何かあっても君たちを守れるかわからない。他の子たちにも、今夜は‘皇帝の間’へ近づかないよう伝えて」


 ごめんね、とティベリウスは精霊たちに謝る。精霊たちは一様に不安そうな顔を見合わせたが、この状況や腕輪から漂う力の異様さは彼らも理解しているのだ。ティベリウスやアルビナータのことを気にしながら、‘皇帝の間’を離れていく。


 それを見送ってから、ティベリウスは書斎の書棚に飾ってある鉱物の置物を持ち出した。床に膝をつき、巻物を置く。

 そして深呼吸をして心を落ち着かせると、ティベリウスは緊張した面持ちで巻物を広げた。

 瞬間、力が巻物からあふれ、ティベリウスを引きずりこもうとした。床がぐらぐらと不規則に揺れているような錯覚に囚われ、目眩と吐き気をティベリウスは覚えて顔をゆがめる。

 不快な感覚に耐え、ティベリウスはそばに置いておいた置物を巻物の端に置き、重しにする。破れてしまわないよう、ゆっくりと紙面を広げていった。

 そうして巻物を広げた先に、一部分だけ、文字が揺らめいている箇所があった。まるで絶えず波紋を広げる水面越しに見ているかのように、その部分だけ文字が常に揺らめいている。

 ここだ。この時期にアルビナータは引きずりこまれている。確信し、ティベリウスは唇を硬く引き結んだ。


「……よし」


 深呼吸を一つして覚悟を決め、ティベリウスは紙面に触れた。

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