第31話 まだ大丈夫・二
主君の無事を確認したガイウスは、それはもう、と怒りを湛えた笑みを浮かべた。
「夜中に嫌な予感がして、無礼を承知で陛下の天幕を訪ねてみれば、案の定中はもぬけの殻。樹海へ行かれたに違いないと踏んで追いかけてみれば、突然陛下の御力が強大な力とぶつかりあっているのが伝わってきましたから。アルブムは、偶然会った古木の精霊が引き渡してくれました」
「そ、そうなんだ……」
「まったく、いくら顔馴染みの精霊が多く棲まうといえど、盗人が逃げこんだ樹海へ真夜中に一人で行かれるなど、一体何を考えておられるのですか! あれほど我らにお任せくださいと申し上げたというのに……もし御身に何かあれば、どうされますか!」
町へ行かれるときはちゃんと仰られるのに、とガイウスは青筋を浮かせる。一分の隙もない正論である。ティベリウスは反論できず、大人しく説教を聞くしかない。
ガイウスにはしばしば私生活の面で怒られていたことは、現代でティベリウス当人から聞いているが、こんなふうだったとは。宿営地で人払いをした後などの親しさよりさらに砕けきったやりとりは、現代の王宮でしばしば見た、王弟とその従者を想起させる。
アルビナータは宿営地の内部同様、このやりとりも興味深く観察していたのだが、それに武人が気づかないはずがない。不意にガイウスがその武人らしい鋭い目を向けてくるものだから、臆病なアルビナータは立ち竦んでしまった。
「あ、この子はアルビナータ・クレメンティ。この樹海で会ってね、そこの盗人を捕まえる手伝いをしてくれたんだ」
「ア、アルビナータです……」
ガイウスが口を開く前に、ティベリウスは二人の間に割って入り、アルビナータを紹介した。話題を変えて説教から逃げたかったからだろう。武人の視線から逃れられてほっとしたアルビナータも、ティベリウスの背後からそっと顔を出して名乗り、小さく頭を下げる。
怒気をひとまず収めたガイウスは、眉をひそめた。
「この樹海で……? しかし、彼女はこの辺りの原住民ではないようですが」
「うん。今身につけている腕輪の不思議な金細工のせいで、住んでいた場所からここへ来てしまったそうなんだ。ほら、変な気配がするって、ここしばらく、僕が言っていたでしょう? あれ、その金細工のせいで姿が見えなくなってしまっていた彼女の気配だったみたい。その金細工に反応するものを盗人が持ち去るのを見たから、それを調べたら元の場所に帰れるんじゃないかと思って、探していたんだって。あ、ガイウスの持ち物の首飾りは、彼女に渡したよ」
とティベリウスが説明したので、アルビナータは手首にはめた細い腕輪をガイウスに見せた。
「……確かに、私が持つ首飾りと同じ金細工だな。随分古びてはいるが」
「はい。人からもらったものなので詳しい来歴はわからないのですけど、同じ人か師弟関係にある人が作ったものかもしれないと思って……とりあえず、この首飾りはお返ししますね」
「……! 感謝する」
アルビナータが首飾りを胸ポケットから取り出しガイウスに渡すと、ガイウスはほっと表情を和らげた。すると先ほどまでの厳格で頑固者の印象がたちまち失せ、端整な顔立ちの好青年になる。
ところで、とガイウスは辺りを見渡した。
「陛下。他の盗品は、まだ見つかっていないので?」
「他の盗品は、これから探そうとしていたんだ。さいわい、その男にまといついていた力の残滓がまだ残っているから、それを辿っていけば見つかると思う」
「そうですね……」
とガイウスはティベリウスの考えに賛同するふうで、アルビナータを思案の目で見る。力の残滓を追う間、主と見知らぬ娘をどうするかとでも考えているに違いない。護衛隊長として、当然の思考である。
皇帝の護衛隊長は、主を素性の知れない娘と共に樹海へ置いていくよりは、近くで監視するほうがいいと判断したのだろう。数拍の沈思の後、三人で力の残滓を追いかけることを了承した。
「じゃあアルビナータ、行こう」
「へっ? ――――わ!」
アルブムの背に乗ったティベリウスは、言うやアルビナータの手を握って馬上へ引き上げ、自分の前に横乗りに座らせた。アルビナータは慌てるが、ティベリウスはどこ吹く風だ。ガイウスも目を見張るだけで、止めてくれない。
「大丈夫だよ、落としたりしないから」
ティベリウスは優しくそう言うが、異性との接触に免疫のないアルビナータが、この状況で緊張しないわけがない。アルビナータは力の残滓を追うことに神経を集中させ、年上の異性のぬくもりからできるだけ意識をそらすよう努めなければならなかった。
三人で樹海を移動している途中。ティベリウスが不意に、そうそう、と口を開いた。
「ねえガイウス。もしこの子が故郷に帰れなかったら、皇宮へ連れて行くから」
「……は?」
唐突な主君の宣言に、ガイウスは呆気にとられた顔と声になった。精悍な容姿が台無しだ。
「だって、帰れなかったらこの子は一人ぼっちじゃないか。彼女はその首飾りの金細工と同じ意匠の腕輪を持っているから、君の家族の人に聞けば帰る方法の手がかりがつかめるかもしれないけど、それでも駄目なら皇宮で保護してあげるのは当然だろう?」
と、ティベリウスは平然とした顔で言う。言葉どおり、それが当然だと思っているようだ。
唖然とした顔をしていたガイウスは、やがて額に手を当て渋面になった。
「……恐れながら陛下。その娘が盗人を捕らえ、盗品を発見するのに一役買ったとしても、素性の知れない者を宿営地のみならず皇宮へ連れて帰るのは……」
「この子は悪い子じゃないよ。もし彼女が僕に指し向けられた刺客なら、自分が死ぬかもしれないのに盗人に突進していったりしないよ。大体、ここで僕を見つけたときに殺そうとしているはずだろう? でもそんなそぶりなんて、一度もなかった。悪い子のわけがないよ」
苦言を呈するガイウスに対し、ティベリウスはそう反論する。普通の会話のような口調であるが、何か恐ろしいことを言っているような気がしてならないのは、アルビナータの気のせいだろうか。
「それにガイウス。この子は白い髪と赤い目をしているんだよ? アルテティアで見かけない容姿だから、一人でいたら、奴隷商人や賊にさらわれてしまうよ。保護してあげなきゃ」
「…………わかりました」
更なる諫言を試みようとしていたガイウスだったが、その前にティベリウスがたたみかけるのだから何も言えなくなる。とうとう、苦虫を噛み潰した顔で諦めの息をついた。言っても無駄か、という言外の声が聞こえてくるようだ。ティベリウスがよかった、とにこにこしているのとあいまって、アルビナータはガイウスに同情すると同時に、申し訳なく思わずにいられなかった。
ともあれ、アルビナータの当面の生活はこれで確保してもらえたわけである。肩身は多少狭いだろうが、殺されたりひどいことをされないのは保証されるのだ。ありがたいと思わなければ。
まだ大丈夫だ、とアルビナータは自分に言い聞かせた。
金細工の腕輪に触れると、コラードと市場を回ったことが自然と思い出される。夜空の下、‘皇帝の間’でティベリウスと語りあったことも。
そう、まだ大丈夫だ。元の時間に帰るための手がかりはあるし、一緒に探してくれる人もいる。希望は残っている。
アルビナータは強く自分の胸に刻んだ。
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