第15話 街歩き・一

「ティベリウス、行ってきますね」

「うん。いってらっしゃい。君がガレアルテに行くことは、町にいる精霊たちにも風の精霊を通して伝えておいたよ。だから気にかけてくれるだろうけど、念のために気をつけてね」

「はい」


 玄関まで送ってくれたティベリウスが、心配そうな顔でアルビナータの頭を撫でる。そんな彼に笑顔を返し、クレメンティア女神像が見守る庭園を通って、アルビナータは久しぶりに一人でドルミーレの外へ出た。

 休館日である今日はガレアルテ行きの乗り合い馬車の運行がないので、徒歩で急な坂道を下りていく。休館日を知らないのか、知っていて尚なのか、坂を登る観光客の姿はいくらかいた。館内に入れないだけで、ピクニック程度ならできるのだ。‘皇帝の間’で暮らすようになってから数度あった休日でも、日中に展示室のほうへ行くと賑やかな声が外から聞こえてきたものだった。


 坂道を下りていくと、クルトゥス島で唯一港を有する町の街並みが見えてきた。

 白い外壁と青い屋根で統一された建物、大通りで人々を見下ろす彫像、人々が思い思いに過ごす広場。港には多くの船が停泊しており、水夫が倉庫群と船を往復し、観光客や荷車が船と町を行き交っている。

 さらに町へ近づけば、島民よりも多い観光客で賑わう大通りの様子が音声も含めて鮮明になっていく。軒を連ねる店先の商品を目に留めた人々が足を止めているのも、店頭の見世物に喝采を送っているのも、食堂からは美味しそうな匂いが漂っているのも、町のすべてがアルビナータに届く。


 こんな曇り空でなければ、それらはさんさんと降り注ぐ日差しを浴びて鮮やかに目に焼きつくことだろう。美しい町だ。

 アルビナータは、ガレアルテを前に立ち止まった。

 町を歩く人々の動きが気になって仕方がない。灰白色の頭巾を深く被り、外れないよう飴色の装身具で留めてはいるが、万が一のことがある。

 もし、この人ごみの中に人さらいや悪い魔法使い、魔法学者がいたりしたら――――――――


 そこまで想像が膨らんで足が竦みそうになり、アルビナータは慌てて首を振った。風の精霊が上空からついて来てくれているのだ。もしアルビナータに何かあっても、助けてくれる。怖いことなんて何もない。

 大丈夫だと自分に暗示をかけるように言い聞かせ、アルビナータはガレアルテへ一歩踏み出した。


 ガレアルテを歩くのは久しぶりでも、それまでは普通に歩いていただけあって、町の地図はすぐ頭の中に浮かんできた。頭の中の地図に従い、アルビナータは周囲を警戒しながら、早足で目的地へ向かう。

 行き交う人の流れを極力無視し、早く着くことばかりアルビナータが考えていたときだった。


「おい、クレメンティのお嬢か?」

「――――っ!」


 横からかかった男の声に、アルビナータは驚きのあまりびくっと肩を震わせ、振り返った。叫ばなかったのが不思議なくらいだ。

 声をかけてきた人を見上げ、アルビナータは目を瞬かせた。


「シ、シモンチェッリさん……?」


 黒髪に黒目、大柄な体格、良く日に焼けた精悍な顔立ち。上等な身なりは思いきり着崩していて、どこの没落貴族か金持ちのどら息子かといったふうである。酒場にいても違和感はなさそうだ。

 そんな身なりでもアルテティア王国国王の伝令という役職を拝命しているミケロッツォ・シモンチェッリは、やめてくれよ、と照れくさそうに笑った。


「ミケロッツォでいいって。あんたは仕事以外での知り合いなんだし、他の奴みたいに姓で呼ばれると居心地が悪い。――――それにしてもあんた、そこまで驚くことはねえだろ。そんなに変質者に見えたか?」

「す、すみません……」


 やんわりと文句を言われ、アルビナータは頭を下げる。確かにそうだ。ここまで派手に驚かれたら、誰でもむっとするだろう。

 ミケロッツォは慌てた。


「いや、そんなに本気で謝んなくてもいいって。あんたが最近、大変な目に遭ったってのは聞いてるし。俺は、部屋に引き籠りそうなあんたが一人で町へ来てることが驚きだよ」

「いえ、ここ最近はずっと、休みの日は外へ出てなかったんです。でも先輩に、たまには外へ出たほうがいいと言われたもので……一応、風の精霊さんについて来てもらってはいるんですよ。それで、後で先輩と合流して、一緒に町を回る予定なんです」

「へえ。じゃあ、それまで俺もついててやろうか? そのほうが安心だろ」

「いえ、ミケロッツォさんは、用事があってこちらへ来られたのでしょう? お邪魔するわけには……」


 と、アルビナータは首を振るのだが、そんなアルビナータを小路の脇へ誘導しながら、そうでもないさ、とミケロッツォは頭を掻いた。


「用っつっても、あんたと‘アウグストゥス’だっけ? 今話題の皇帝様に会いたいからその旨を書いた書簡を博物館へ届けてくれって、王様に頼まれただけさ。でもその博物館が今日は閉まってるって港で聞いて、仕方ねえから時間潰しに何しようか悩んでたところなんだよ。――あ、これ、王様からあんたにってさ」


 と、ミケロッツォは鞄から王家の紋章の封蝋がされた手紙を取り出し、アルビナータに渡した。


 先代国王の御代、王立学院の教授だった父が当時の王子たち――現国王と王弟の家庭教師に任命されていた縁で王宮へ出入りしていたアルビナータは、とあるできごとがきっかけで父の高貴な教え子たちと交流するようになった。学問の豊かな知識と古代アルテティア史への強い関心という共通点から、意気投合したのだ。以来、王宮へ通わなくなってからも、アルビナータは手紙のやりとりで二人と交流を続けているのだった。


 結局、アルビナータはミケロッツォに目的地の前まで送ってもらうことになった。クルトゥス島へ来るのは初めてだという彼に町のことを説明しながらなので、歩みはゆっくりだ。できるだけ説明に集中しようとしたこともあって、アルビナータは人の流れの中に身をさらす恐怖をそれほど感じなくて済んだ。

 アルビナータが観光案内役を務めていると、ミケロッツォが不意に口を開いた。


「そういやあんた、今は博物館の奥で‘アウグストゥス’と一緒に暮らしてるって聞いたんだけど」

「はい。……一ヵ月半ほど前に、ティベリウスが誘ってくれたんです。ドルミーレの‘皇帝の間’……皇帝が住んでいた区画なら下宿できるし、安全だからと」

「なるほど、そりゃ安全だよな。王城にある王族の棟より警備がいいんじゃね?」

「はい。だから安心だと、両親もドルミーレの館長や先輩たちも勧めてくれました」


 うんうんと何度も頷き太鼓判を押すミケロッツォに、アルビナータは苦笑して返した。実際のところ館長たちの反応は、早く‘皇帝の間’へ引っ越ししろ、といった言外の声がひしひしと感じられたものだったのだが、それは言わなくてもいいだろう。

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