第23話 不審者を追って・一
「これ、クラウディウス帝の章……そういえば、よく読んだって言ってました……こっちはなんでしょうか……」
一人でぶつぶつ言いながら、アルビナータは机に置かれた巻物を紐解いては読んでいく。現代で見るものとは彩色の具合がまるで違う巻物が、金で装飾された机の上に広がった。
己が置かれている状況を強制的に理解させられた夕暮れから、早十日。アルビナータは古代アルテティアの近衛軍にこっそり同行し、帝国北部の国境、ルディシという地域に来ていた。首都ルディラティオから遠く離れた、帝国の辺境。ティベリウスの故郷たる樹海が広がる大地である。
その樹海の近くに設営された宿営地の、他より一際大きな天幕が、今アルビナータがいる天幕だ。大きさだけでなく、内部も他とはまったく異なっている。設けられては解体される宿営地らしい簡素なものではあるが、調度の数とその贅沢ぶりが、住まう者の位の高さ――皇帝の天幕であることを主張していた。
現代では見ることができない皇帝の仮住まいに目を見張り、目移りしながらもアルビナータの探索は止まない。机に置かれた巻物や胸像、魔法道具を調べ、そのたびに落胆する。
アルビナータがこうして家探しをしているのは、現代へ帰る方法を見つけるためだ。自分がこの時代へ来てしまったのは、オキュディアス一族が作った、ギリル語の一文が刻まれた巻物の木の軸と金細工が原因だとアルビナータは理解している。二つを近づけ触れ合わせた途端、こんなことになってしまったのだ。そうとしか考えられない。
ならば、オキュディアス一族が作った道具を探せば手がかりになるかもしれない。アルビナータはそう推測し、そういうものが置いてありそうな場所の一つである皇帝の天幕の中を捜索しているのだった。
だが、今のところ、手がかりは見つからない。あるのは皇帝の天幕に相応しい品々と、読書用の歴史書だけだ。強い力を放つ魔法道具の一つもない。
「ここにないとなると、他にはどこがありそうでしょうか……軍属の魔法使いさんのところも特になかったですし……」
調べたところを数えてみるが、他に手がかりがありそうな場所はまったく思い浮かばない。腕輪の金細工を見下ろしても、今はまったく異常が見られない。こうして見る限りは、ただの装身具だ。
いつまでもここにいても仕方がない。今はいないようだが、いつティベリウスたちがこの天幕に入って来るかわからないのだ。アルビナータはまだ何かないかと辺りに目をやりながらも、皇帝の天幕を後にした。
皇帝の天幕の外へ出てみれば、離れたところから声が聞こえてくるものの、おおむね静かな天幕の数々と通路がアルビナータの眼前に広がる。天幕は等間隔に整然と並び、左右どちらにもまっすぐ伸びて見通しがいい。
高位の者たちの天幕が並ぶ一画を抜けると、兵士たちの宿舎やその他の施設が見えてくる。そちらでは、宿営地の警護を任された兵士たちが訓練を終え、皇帝や主だった幕僚が出払ったこの自由な時間を思いきり楽しんでいた。広場に集まってふざけあったり、最寄りの植民都市から来た芸人一座の芸に喝采したり。女性や子供と談笑する姿も見られた。
古代アルテティアの軍営基地は、近隣の植民都市などにも一部の施設が開放されていて、商人が基地内の市場で商売し、住民が軍病院で治療を受けることは当たり前の光景なのだ。そうした交流によって現地女性と恋愛関係になり、退役後に近くの植民都市で新しい生活を始める兵士も少なくなかったのだという。
一時しか存在しない皇帝の宿営地もその例外ではないようで、一体どこから話を聞きつけたのか、設営した翌日から近隣集落の人々が商売をしに訪れて賑やかだ。もし、古代アルテティアについてよく知らない現代の一般人がこの光景を見たなら、少し物々しいところが見受けられる古代の集落、と思うことだろう。
「……」
現代と変わらない、人々のぬくもりを感じさせる一場面を見つめ、アルビナータは唇を噛みしめた。
最初の衝撃が去ってから数日は、アルビナータは好奇心が赴くままに古代アルテティアの近衛軍の宿営地を見物していた。どれほど資料やティベリウスの話でありようを知り、想像を働かせても、やはりありのままの当時を体験することには及ばないのだ。本物の古代アルテティアの世界を体験するという知的好奇心への刺激に、ドルミーレ王立歴史博物館の学芸員が抗えるはずもなかった。
ましてや、この時期なのである。
皇帝に就任して以後、ベネディクトゥス・ピウス帝がルディラティオを離れて近衛軍を連れて旅したのは二度だけだ。一度目は、ゼペダ戦役による南大陸への出征。二度目はこの――――――――謎の失踪を遂げるルディシ樹海周辺への視察である。
つまり、このまま古代アルテティア軍について行き、ティベリウスの近くにいれば、彼が失踪する現場を目撃することができるかもしれないのだ。そんな奇跡、見逃したいわけがない。
しかし、ここがどれほど学芸員の知的好奇心を刺激すると言っても、所詮は過去の世界。アルビナータがいるべき世界ではないのである。コラードもルネッタもいないし、ティベリウスはアルビナータが知る彼ではない。誰にも存在を認めてもらえず、誰かと語りあうこともできない。そんな身の上に耐え続けることは、アルビナータには無理だった。
ティベリウスはこんな気持ちだったのだろうか。師であり友人でもある人が過ごした十年に、アルビナータはこの数日間、何度も思いを馳せた。そして、自分がしてあげられる慰めは彼にとって到底足りないものだったに違いないと、自分の幼さや無力さを改めて思い知り、落ちこみもしたのだった。
「よし! 俺の勝ちだ!」
アルビナータが宿営地のあちこちをうろうろしていると、一般兵士の天幕が並ぶ通路で、高らかな勝利宣言が聞こえた。歓声に興味を引かれて覗いてみれば、向かい合う二人の男がいかにも勝者と敗者といったふうの感情表現をしている。どうやら、太い縄を使って力比べの類をしていたようだ。暇潰しの方法は、古今変わらないものである。
この程度なら、微笑ましく見ていられるのだ。が、これに続いて防具をいかに誰が早く磨けるか競争し、負けた者が罰則をするとなって広場が盛り上がるや、アルビナータは硬直した。
というのも、男たちのやりとりによると一言で言えば男臭い、もしくは下品の部類に入ることが罰則だったのである。健全な十六歳の乙女であるアルビナータには、あまりにも刺激が強すぎる。
いよいよ始まりそうになって、アルビナータは慌ててその場から逃げだした。逃げる先なんて考えていない。ともかくこの一画から逃げたかった。
「……?」
適当に通路を走っていたアルビナータは、前方の他に誰もいない通路にいる男を見つけて、目を瞬かせた。
明るい金髪が眩しい、筋骨たくましい若い男だ。その容姿と身なりからすると、この辺りかもっと北の異民族の血を引く、従者か兵士なのだろう。広大な領土を有し、市民権を持っていれば出身を問わず自国民と認め、奴隷が貴人のそば近くに侍ることも当たり前としていた古代アルテティアでは、異民族出身の従者は珍しいものではなかった。
しかしアルビナータは、この男が気になった。
誰かの従者らしき男とすれ違ってすぐ、一瞬だけだが振り返ったのだ。その後は、左右の天幕を忙しなく観察している。その目つきがなんというか――――――――怪しすぎる。
ここは、部外者の立ち入りが禁じられた上層部の天幕が並ぶ区域だ。だがその上層部の耳目がない今、兵士たちは緩みきっていて、常よりどうにも緩い空気と警備である。その隙をついて、平民が従者のふりをして入りこむことは可能だろう。あるいは、本当に上層部の誰かの従者なのかもしれない。
「……」
男の正体がどうしても気になり、アルビナータは男の後を追った。
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