第21話 救いの手・一

 ドルミーレの来館者たちが名残惜しそうに坂を下りていき、空では夜の帳が下り始める時刻。カタレッラに再び収蔵庫を開けてもらい、奥で震えていた水の精霊から話を聞いたティベリウスは、‘皇帝の間’のアルビナータの部屋へ向かった。

 アルビナータの部屋にコラードはおらず、代わりに精霊たちが寝台の周りを取り囲み、心配そうにアルビナータを見守っていた。しかし、ティベリウスが部屋に入った途端飛び上がり、窓やティベリウスの横から逃げてしまう。一体として残らない。

 収蔵庫の作業机の上に転がっていた腕輪をティベリウスが持っているのだから、精霊たちの反応は当然だ。この腕輪からはまだ、力の残滓が漂っている。近づけば自分たちなどひとたまりもないと、本能で察知したのだろう。


 精霊たちが危険を察知して逃げたことを気にせず、ティベリウスは腕輪を寝台横のテーブルに置いた。

 途端、ティベリウスは収蔵庫に漂うものよりはるかに弱いが同じ力から解放される。先ほどからつきまとっていた感覚が失せ、ティベリウスは安堵の息をついた。

 精霊たちがおそれて逃げだしたのは言うまでもなく、アルビナータがコラードに買ってもらった腕輪――――正確にはその一部である、淡く光を放つ金細工が原因だ。ティベリウスはこの腕輪を掴んでいる間中、吐き気や目眩、どこかへ吸いこまれそうな感覚にとらわれ続けていた。ティベリウスの意識を吸いこもうとする力は強く、少しでも気を抜けばティベリウスはアルビナータの二の舞になっていただろう。

 寝台に横たわるアルビナータを見下ろし、ティベリウスはぐっと両の拳を握った。


 ティベリウスは昨夜、アルビナータにこの腕輪を見せてもらっている。だがそのときは、力の欠片すら感じなかったのだ。今のティベリウスは、かつてよりも力の気配に敏感になっているのに。普通の腕輪にしか見えなかったから、見過ごした。


 重い扉が開く音に続いて焦りを乗せた足音が聞こえてくるや、コラードが部屋の扉を荒々しく開けて姿を現した。

 ティベリウスがアルビナータの手を握り、認識できる状態にすると、コラードはすぐ口を開いた。


「ティベリウス、アルビは」

「まだ起きない。ルネッタは大丈夫? 他の皆も」

「ああ、姉貴は医務室でまだ青い顔してたがそれだけだし、他の奴らも無事だ。けど、ものは全然無事じゃねえ。収蔵庫は魔法道具がほとんどやられた。扉も一枚は潰れて、前室と作業場側のも魔法が剥がれる寸前、保存管理部門が予備の魔法道具で保存環境を再構築してるとこだ。展示室は点検してる最中だが、俺が聞いた限りじゃ保存環境用の魔法道具は壊れてねえ……ってとこだな。ちなみに、動力制御室の管理人は大混乱中だ」


 そう報告し、コラードはくそ、と前髪を掻きむしった。


「一体なんなんだよ。その腕輪のせいだろうけど、コッタのおっさんは何も言ってなかったぞ。収蔵庫に入った姉貴とアルビ以外、皆平気だし……」

「うん。……多分、これが誘発したんだと思う」


 ティベリウスは言って、『帝政』ベネディクトゥス・ピウス帝の章をコラードに見せた。


「『帝政』のお前の章が?」


 コラードが眉をひそめると、ティベリウスは重々しく頷いた。ほらこれ、と、巻物の木の軸と腕輪に刻まれたギリル語の文を示す。


『これは神の御力を留めて刻んだもの。我ら時刻む者の使命。河の向こうを眺める扉の鍵』


「アルビナータが昨夜、言っていたんだ。君に買ってもらった腕輪に僕の章の軸に刻まれたものと似た文がある、もしかしたらこの腕輪もオキュディアス一族が作ったものかもしれないって。だから、二つを比べてみようとしていたんだと思う」


 市場の店頭で腕輪の金細工に刻まれたその文を読んだとき、アルビナータは大層驚いたのだという。何しろ、『帝政』ベネディクトゥス・ピウス帝の章の軸にも、『我ら時刻む者の使命』と刻まれていたのだ。ただし、そちらは『これは神の御許に留まる河を眺めて記したもの。我ら時刻む者の使命。河へ続く扉の一つ』と、少しだけ異なる一文で刻まれていた。

 オキュディアス一族が鉱山を所有していたとは聞いたことがあるが、金細工を製作していたなんてティベリウスも初耳だ。夕食の席でアルビナータとこの腕輪の金細工について話してくれたときは、二人で不思議がったものだった。


「『これは神の御許に』……って、なんだよそれ。何かの比喩かよ」

「うん、多分…………アルビナータの精神は今、巻物の中というか、僕の治世の何年目かに飛んでいるんだと思う」

「……は?」


 嘘だろ、とコラードは渇いた笑いを漏らす。あまりにも突拍子もない話だから、にわかには信じられないに違いない。

 ティベリウスとてこんな事実、嘘だと思いたい。だが刻まれている二つの文が刻む『河』を時間だと考えると、腕輪と巻物が時空を超えるために必要な鍵や扉なのだと解釈できるのだ。アルビナータの身体から精神の存在が感じられない事実、そして、オキュディアス一族にまつわる噂とも符合する。

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