第33話 神の御手・二

 アルビナータは深呼吸をしてから、ガイウスさん、と自分と同じ金細工を持つ男を呼んだ。


「その首飾りを、声の主に返させてください。声の主の怒りを鎮めないと駄目です。それに、持ち主にそれを返せば、私が元いたせ……場所に帰してもらえるかもしれないんです」

「……確かに、これを返さなければならないし、返せば何かをしてもらえるのだろうが……しかし……」

「お願いしますガイウスさん。私、元いた場所へ帰りたいんです」


 渋るガイウスに、アルビナータは食い下がった。ガイウスから目をそらさず、まっすぐに見つめる。


 先ほど尋常ならざる領域では、ティベリウスはアルビナータを連れ戻そうとしてくれていたが、それには力が足りず、扉を開けることができていなかった。あれではきっと無理だ。まだ何かをしなければ、あの扉は開かないに違いない。

 ならば、自分も何かしなければ。ティベリウスをさっき助けたように、ティベリウスが守り助けようとしてくれている自分が動かなければ駄目なのだ。アルビナータはもう確信している。


「……………………わかった」


 アルビナータの必死な気持ちが伝わったのか、ガイウスは視線をさまよわせた後、最後には頷いた。袋の前から離れて、アルビナータに首飾りを渡してくれる。


 ガイウスに礼を言って、アルビナータは袋の前に腰を下ろした。中にあるものを手探りで確かめ、力を放ち続けているものを指先に感じて取り出す。

 それは、両手にそれぞれ別のものを携えた壮年男性の像だった。重厚なしわを刻んだトーガをまとい、顔の半分を隠す立派な髭を蓄えている。威厳に満ち溢れたその立ち姿は、見る者を今にも叱りつけそうだ。

 在りし日の姿で威厳を払う、現代でティベリウスが心のよりどころにしていた像を見つめたアルビナータは、ガイウスから手渡された首飾りの金細工に視線を向けた。


『これは神の御力を留めて刻んだもの。我ら時刻む者の使命。時の向こうを眺める扉の鍵』


 首飾りの金細工に刻まれた文は、アルビナータの腕輪のものと一言一句違わない。それは、腕輪の金細工の、この時代での姿だからだ。

 この時代では彫像の首を飾っていた小さな装身具は、時代が下るにつれて彫像から離され、さらにばらばらになってしまっていたのだ。その欠片をたまたま手に入れたコラードの知人夫婦は、本来の価値を知らず、腕輪として加工したのだろう。在りし日の彫像を知る現代のティベリウスがそのことに気づかなかったのも、腕輪に用いられていたのが装身具の欠片だけだったからに違いない。


 オキュディアス一族の巻物やこの彫像が身につけていた金細工を重ねることで、アルビナータは何度も時間と空間を超えてしまった。ならば、金細工を声が命じるまま本来の置き場所――――この彫像の首にかければ、また何か奇跡が起きるはずだ。この彫像にも、不思議な力が宿っているはずなのだから。


 どうか、神様。貴方の物を返しますから、私を元の世界へ帰してほしい――――――――

 奇跡を願い、アルビナータは、ウィンティリクス家が代々伝えていたという首飾りを彫像の首にかげた。


「!」


 途端、彫像が光り輝いたかと思うと、神事の最中の神殿よりも清く美しく、一切の穢れを拒む強さと威厳に湖畔が満たされた。その眩さに耐えられるはずもなく、アルビナータは両腕を顔の前にかざして目をきつく閉じる。

 強大な力がアルビナータの前に現出し、それと共に光は収まった。アルビナータは両腕を下ろし、目を何度も瞬かせて、採り入れる光の加減が狂った視界を取り戻していく。


 そして、アルビナータはまみえた。

 アルビナータの前にいたのは、金の縁取りがされた赤紫のトーガをまとい、背に純白の翼を生やした壮年の男だった。波打つ白髪と同色の立派な髭に縁どられた顔は厳めしく、眼力だけで人を射すくめる鋭さがある。

 両手に持つのは、血の色をした砂時計と、数多の骨を集めて作ったような大鎌。

 どちらも、元々はオキュディアス一族の故郷とされる地方が由来だという神、クロノス――――時間を刈り取る神の持物だ。


 ――――汝、在るべき時へ帰れ。


 ‘時の翁’とも呼ばれる神はそうアルビナータに告げるや、砂時計を高く高く放った。血の色をした砂時計はものすごい速さで、木々よりもなお高いところからアルビナータの頭上へと落ちてくる。

 砂時計を目で追ったアルビナータは、これが最後であることを悟り、ティベリウスたちを振り返った。


「早く、ルディラティオへ帰ってください。どこへも立ち寄らずに。でないと――――――!」


 貴方はこの世からいなくなってしまう――――――――


 一番伝えなければならないことを伝えようとしたそのとき、鎌が振り下ろされた。砂時計はアルビナータの頭上で割られ、ガラスの破片や砂がアルビナータの身体に降り注ぐ。

 ガラスの欠片や砂がアルビナータの身に触れた瞬間、アルビナータの身体はぴたりと静止した。四肢はおろか、唇を動かすこともできない。

 冷たいものがアルビナータの身を切り裂く。それを最後に、アルビナータの意識は途絶えた。

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