第13話 計画の目的は・一
一人で収蔵庫を出て一度研究部門の部屋へ立ち寄り、作業を少しした後。展示室の一角を巡り、アルビナータは大部屋へ入った。
最奥にクルトゥス島の遺跡から運ばれた祭壇が鎮座し、何体もの彫像が部屋に入った者を見下ろすこの部屋は、来館者が少なくなる時間でもさすがに人が多い。他の展示品から漂う歴史の香りには関心を抱けない者でも、古代の彫像の美しさとなれば、足を止めてしまうからだろう。学者なら歴史的遺物に振り返るが、万人にとっては美こそが振り返る対象だ。
懐中時計を見てみると、閉館時間を過ぎようとしていた。アルビナータは過ぎるのを待って、まだ来ていない警備員の代わりに閉館時間が来たことを告げ、来館者を退室させる。来館者は名残惜しそうにホールへ、そして館外へ出ていく。
室内がすっかり静かになり、アルビナータは彫像同様に人々の視線から逃れられたと、ほっと息をついた。譲渡会のときは鑑定に夢中だったが、作品解説などで衆目を集めているのを自覚すると、まだ恐怖がじわりとこみ上げてくるのだ。
深呼吸をして心を落ち着かせると、アルビナータは間近に置かれている彫像を見上げた。
トーガをまとい、巻物を手にして演説しているような立ち姿の男性像だ。歳は若く、細い面は歳月を経てなお端正で気品を感じさせる。
ティベリウス・アウレリウス・ベネディクトゥス・ピウス帝の彫像。ドルミーレでもっとも人気があり、ここ三ヶ月は特に注目されている立像である。
見上げていると、来館者がいなくなって完全に静寂に支配された中に、かつかつと足音が響いた。
「お、アルビ。ここにいたのか」
「コラードさん」
アルビナータが振り返ると、もっとも親しい先輩学芸員が目を丸くして大部屋の中に入ってくるところだった。鞄を持っているので、帰るところなのだろう。
「帰るんですか?」
「おお。明日は屋敷へ行かなきゃなんねえからな。姉貴に見つかる前に逃げねえと」
と、コラードは肩をすくめる。前回のどたばた劇を思い出して、アルビナータは半笑いになった。
コラードとルネッタは、四ヶ月に一度、休日を利用してルディラティオの実家へ顔を出している。二人の父親である将軍は子煩悩で知られており、自立した子供たちを恋しがるあまり、そんな約束をとりつけたらしい。
当然、ルネッタが異母弟と一緒に実家へ帰りたがらないわけがない。だからコラードは早々と仕事を切り上げ、姉より先に本土への連絡船に乗るつもりなのだろう。
コラードはベネディクトゥス・ピウス帝像を見上げ、横目でにやりと口の端を上げた。
「お前はわざわざこれを見なくてもいいだろ? お前が一番、生のこいつを知ってるんだから」
「それはそうですけど、展示室に来ると、なんとなく来てしまうんです」
首を傾け、アルビナータは苦笑した。
アルテティアの学問の歴史に名を残す学者を何人も輩出したクレメンティ家に生まれ、希書があるからと学者や王立学院の教授が訪れる自宅の書庫に入り浸って育ったアルビナータは、幼い頃から学問に親しむ少女だった。中でも強い関心を持っていたのは、数学や地理、そして歴史だ。分厚い歴史書や文献の書写本を書棚から一生懸命引きずり出しては読みあさり、屋敷を訪れた歴史学者に尋ねていたものである。
だから、家族旅行の最終日だったあの日。本で見た美しい賢帝の像をどうしても見てみたくて、アルビナータは日頃と旅の疲れからか寝込んでしまった家族をどうにか説き伏せ、渡された帽子を目深に被り、一人でドルミーレを歩いたのだ。
人の波で狭まっていた視界が急に開け、賢帝と形容された人の真っ白な像が現れたときの感動は、今でもよく覚えている。帰りに土産物屋で彼の像の絵を買おうとして小遣いが足りず、残念に思ったこともだ。――――もっともそれは、買わなくて正解だったわけだが。
そして、彼とたくさん話をして、もっと彼がいた時代のことを知りたくなった。彼はそんなアルビナータの熱意に応えてくれて、わざわざルディラティオの自宅まで来て話をしてくれた。両親や家に来る学者たちに彼の存在を知られないよう、二人であれこれ工夫したものだ。そうやってアルビナータは、古代アルテティアのことも、彼のことも知っていった。
そうしてアルビナータは、ドルミーレの学芸員になると決めたのだ。
この像は、そんな他愛もないけれど奇跡と呼ぶべき時間を共に過ごした人の像だ。アルビナータの未来を決めた時間の一欠片。そう思えるほど心に深く刻まれていて、展示室を歩く際にここを訪れるのは、もうアルビナータの習慣のようなものになっている。見ないまま帰ろうとすると、物足りない気がしてしまうくらいだ。
ホールへ向かいながら、コラードは先ほどまでとは色を変えた視線や声をアルビナータに向けた。
「ところで、あれからティベリウスはどうなんだ? 結局、失踪のことは何も書いてなかったんだろ?」
「はい……一応は、普段と変わらないように振る舞ってはいます。でもぼんやりしていることが多くなっていて、精霊たちも心配していて…………本当は、あの日から無理をしているのかもしれません」
アルビナータは足を止めると、顔を曇らせた。
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