第39話 出会えてよかった・三

 それをきっかけに、アルビナータは口を開いた。


「……私も、ティベリウスと出会えてよかったです。一緒にいられる時間を、忘れたくないです」

「…………うん」

「ティベリウスが皇帝だったときのことも、もっと話してください。私も、ティベリウスの時代にいたときのことを話します。宿営地の様子とか、側近の人たちの話とか……ちょっとしかないですけど、ガイウスさんのことも話しますから」


 身を乗り出し、アルビナータはティベリウスに約束した。

 今やアルビナータは、現代の人々とティベリウスを結ぶ‘皇帝の巫女’であるだけではない。古代アルテティア帝国の賢帝、ベネディクトゥス・ピウス帝の時代をわずかでも肌身で感じた者の一人だ。一方的に過去のことを話すか、逆に現代の研究の成果を聞くだけだったティベリウスにとって、おそらくは世界で唯一の同胞のようなもの。――――古代アルテティア帝国の人々や出来事を、歴史上の人物や出来事ではなく、身近なものとしてティベリウスと語りあえるのは、この世でアルビナータしかいないのだ。

 ならば、語るしかないではないか。それが、アルビナータがティベリウスのために考えられる、そして、してあげられることなのだから。

 だからアルビナータは今夜、ティベリウスに贈り物をすることにしたのだ。


「……ティベリウス。今日は、ティベリウスに贈り物があるんです」

「贈り物?」

「はい」


 目を瞬かせるティベリウスに頷くと、アルビナータは足元に置いた鞄から、白い布で巻かれたものを取り出した。ここを訪れるとき、土の精霊に運んでもらっていたのだ。

 保護のために巻いた白い布をアルビナータが慣れた手つきで外していくと、白い布の向こうから、損壊したクロノス神像が姿を現した。今は力を失ってしまった、神を象り、宿す像。その首を、紐に通された金細工が飾っている。

 ティベリウスは目を丸くすると、差し出されるままクロノス神像を受け取り、戸惑ったふうでアルビナータを見た。


「アルビナータ? これ……」

「館長と主任に今回のことを報告した後で、このクロノス神像をティベリウスにあげられないか、相談したんです。あちこち破損してますけど、親しかった人の持ち物がそばにあれば、少しはさみしさも紛れるかと思いまして」


 ちゃんと必要な許可はとりました、とアルビナータは、悪戯が成功した子供の顔で笑ってみせた。


「…………僕のものにしていいの?」

「はい。今夜からティベリウスのものです。この部屋にでも書斎にでも、好きなところに置いていいんです」


 まだ信じられないといった表情のティベリウスに、アルビナータは頷いてみせた。

 館長やマルギーニと今後のことについて話しているときに、ふと思いついたのだ。館長もマルギーニも、クロノス神像の扱いをどうしようかと頭を抱えていた。今やあの神像は単なる歴史的資料ではなく、クロノス神が宿りうる本物の器と判明しているのである。不特定多数の目にさらしたままにしておくなんて、罰当たりにもほどがある。口にはしなかったが本音は、首飾りを失くしてしまったことや手間をかけさせたことをクロノス神に深く詫びた上で、どこかの神殿に寄贈したいところだったろう。


 館長とマルギーニは、古代アルテティアの賢帝であったティベリウスに多大な敬意を払っている。彼のためだと言えば簡単に献上を許可してくれるだろう――――そう考えてアルビナータがびくびくしながら提案してみると、推測どおり、二人はあっさりと許可してくれた。国王にはまだ話していないが、ティベリウスのためにとドルミーレの‘皇帝の間’を返還し、さらには古代様式の調度の用意も約束するような御仁なのである。事後承諾は簡単に得られるだろう。


 コラードにも金細工だけを腕輪から外してクロノス神像の首飾りにすることを伝えると、さっさとやってしまえとむしろ推奨された。彼もまたティベリウスのことを案じていたし、何より神の力の恐ろしさを体感しているのである。神様なんざ怒らせるもんじゃねえ、とかなり本気の顔で言っていた。


 ガラスケース越しに見つめることしかできなかったクロノス神像に触れたティベリウスの青白い面が朱に染まり、歓喜と幸福に満たされた。最高級のサファイアが強い感情をあふれさせて、きらきらと輝く。


「ありがとう、アルビナータ。僕、すごく嬉しい……」


 言って、それでも感情を表しきれないとばかり、ティベリウスは傍らにクロノス神像を置くと、片手でアルビナータの手を掴み、指を絡めた。なんとかしてアルビナータに自分の感情を伝えたいという気持ちが、指先から伝わってくる。

 ティベリウスがこれほど強い感情をあらわにしたのは、いつぶりだろうか。あまりに美しくて見惚れ、アルビナータは息を止めた。頬を真っ赤に染め、顔を俯かせずにいるのがせいいっぱいだった。

 ねえアルビナータ、とティベリウスはどこか泣きだしそうな顔でささやいた。――――まるで七年前、アルビナータが名を告げたときのように。


「僕はこれでいいんだよ。こうやって、君が一緒にいてくれて、僕のために何かしようとしてくれる。――――僕にとって、それが一番さみしい気持ちを忘れさせてくれる慰めなんだよ」

「……!」

「ありがとう、アルビナータ。僕を見つけてくれて。君がいたから、僕はこの時間を迎えることができた。……ありがとう」


 そうティベリウスは、神に祈る敬虔さでアルビナータに感謝を告げる。深い、万感の思いがこめられた声音がアルビナータの胸に落ちていく。

 指先から伝わるぬくもりが、アルビナータの涙腺をたちまち緩ませた。


「はいっ……」


 頷くと同時に涙が一筋、アルビナータの頬をすべり落ちた。あふれる感情とこれ以上の涙を抑えるのに必死で、言葉が出なかった。


 脳裏に浮かんだ過去のティベリウスの微笑みを、アルビナータはきつく目を閉じることで消そうとする。

 ごめんなさい、とアルビナータは心の中で呟いた。

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