第2話 皇帝を映す少女・二
そんな一幕を経て、質問の時間が皇帝陛下も加えて再開された後、アルビナータはコラードと共に、参加者たちを本館のホールへ案内した。そこで改めて解説見学の終了を告げ、解散する。
参加者たちが他の来館者に紛れていくのをアルビナータが見ていると、コラードがアルビナータの頭にまたぽんと手を置いた。
「アルビ、初めてにしては上出来だったぞ。声は震えてたし顔も引きつってたけど、緊張して間違ったことを話したりはなかったし。学院の発表会でがちがちだったのとは大違いだ。成長したな‘白兎’」
「あのときは五十人くらいいたじゃないですか。それに、モレッティ教授もいましたし。今回とは全然違いますよ。それより、‘白兎’はやめてください」
資料を片手に口の端を上げるコラードはからかう口調だ。アルビナータは眉を下げ、困り顔で抗議した。
肩にかかる長さの髪は雪のように白く、大きな瞳は最上質のルビーの鮮紅。白い肌の華奢な身体と細い首の上にある、見るからに大人しそうな顔立ちは可愛らしいと言われることが多い。それが、コラード命名の‘白兎’のアルビナータの外見である。
世界は広く、アルテティアの都市を行きかう人々の肌や髪、瞳の色は多様だが、アルビナータのような二色を生来まとう者は珍しい。少なくても、アルビナータは見たことがない。コラードはそうしたアルビナータの性質を、動物園で見た極東の島の固有種にたとえて以来、何かとその呼び名でからかうのが常だった。
「ま、気をつけながら場数踏んでりゃ、そのうち慣れてすらすらしゃべれるようになるだろ。これからお前も解説見学やるんだから、話すほうだけじゃなくて表情にも気をつけろよ。不安そうな顔した奴に話されちゃ、聞いてる側はそれが本当かどうか疑いたくなるからな」
「はい」
コラードに白い髪をわしゃわしゃと撫でられ、アルビナータは小さく頷く。一応は褒めてもらえたのが照れくさかった。
「それはそうと、悪かったなティベリウス。帰ってきて早々にこき使って」
「ううん、このくらい構わないよ。大したことじゃないし。それより、今日は館内見学の日だったんだね。もしそうだったらいけないと思って下の通路から来たんだけど、ちょうどよかった」
「でも、参加者の皆さんにとってはいい思い出になったと思います」
「そうそう。あのガキんちょもこれを機に歴史に興味を持って賢くなってくれりゃ、やった甲斐があるってもんだろ。さ、戻るぞ」
そう笑い、コラードはアルビナータとティベリウスを促す。二人は頷き、先行く彼の後を追った。
「アルビナータ、コラード。こっちは変わりなかった?」
「ああ。こっちは半月前と同じだ。なあアルビ?」
「はい。皆さんが良くしてくれましたから、怖いことは何もありませんでした」
歩きながら、コラードから話題を回され、アルビナータはティベリウスにそう報告する。するとティベリウスは表情を緩め、よかったと呟いた。
三人は来館者の間で賑わうホールを抜け、魔法道具で封じられた扉を開けて、関係者以外立ち入り禁止区域へ入る。途端、喧騒は扉にかけられている魔法によって遠ざけられ、辺りは静かになった。しかし、様式や建材の小さな欠けが静けさと共に建物の歴史を感じさせるのに、乱雑に置かれた荷物が台無しにしている。その美しさで人々の目を惹きつける表とは大違いだ。
そんな裏方の空気に満ち満ちた廊下の柱の一本に、葡萄酒色の双頭の蛇が巻きついていた。それだけならまあまだ普通のことだが、蛇の頭は大きい上、背に翼が生えており、さらに身体の一部が氷でできている。明らかに普通の蛇ではない。水の精霊だ。
精霊は、ティベリウスが近づいてくると両方の頭を丁寧に下げた。
普通、精霊にとって人間は距離を置くべき相手と認識されている。だが彼らは、ティベリウスに対してはこのように、まるで彼の友か臣下であるかのように従い、そばにいたがるのが常だ。アルビナータに対しても、弟妹や年下の友人のように労わり、優しい。二人の周囲に精霊がいるのは、珍しいことではなかった。
そういやさ、とコラードは興味津々といった様子でティベリウスに目を向けた。
「ティベリウス。お前がさっき持ってた麻袋はなんだよ。土産か?」
「うん。土の精霊たちが宝石交じりの石をくれるって言うから、もらったんだ。書類の重しか部屋の置物になると思ってね。終業時間になったら、職員の皆に渡しに行くよ。アルビナータ、付き合ってくれる?」
「もちろん。皆さん、きっと喜んでくれると思います」
ティベリウスに頼まれ、アルビナータは首肯する。ドルミーレでひとりでに物が動きだす事象はティベリウスによるものと学芸員のあいだでも認識されているが、彼が直接人々と言葉を交わすためにはやはり、アルビナータの存在が必要なのだ。これもまた、アルビナータが‘巫女の学芸員’と呼ばれる所以である。
そんなふうに談笑しながら、三人が廊下を歩いていたときだった。
「コラード!」
曲がり角の向こうから金髪に縁どられた美女が顔を見せるや、アルビナータたちのほうへ猛然と走りだした。ぱっと大輪の花が咲くような顔の輝きようである。アルビナータたちがあ、と声をあげた様子なのに、まるで聞いていない。いや、聞こえていないのだろう。
この廊下は一本道で、他に逃げ道はない。コラードは躊躇いもせず、自分より頭一つ半は小さなアルビナータの後ろに隠れた。情けない行動だとは考えない、というか考えている余裕はないらしい。
が、美女の突進はこんな小さな盾では防ぎきれないと悟ったのか。直前になってコラードはアルビナータを盾にするのをやめ、逃げだした。が、もう遅い。美女はアルビナータの横を走りすぎ、敵前逃亡を図るコラードに背中から抱きつく。
「だああああ! 抱きつくなよ姉貴!」
「だあって疲れたんだもの。さっきまでろくでもない侯爵に施設の案内をさせられていたのだけど、あのスケベ髭親父、私のことやらしい目で見ていたのよ? 可愛い弟に癒されたいのよ」
「十九の弟に癒しを求めるなよ!」
白い手を振りほどき三歩どころか五歩は距離を置いて、極上の笑みを浮かべる金髪碧眼の美女――――自分の異母姉をコラードは抗議した。
社交場では花となること間違いなしのこの美女は、ルネッタ・フローラ・レオンカヴァッロという。名将を何人も輩出した大貴族レオンカヴァッロ家の令嬢であり、アルビナータとは部門違いの先輩学芸員である。
姉弟でありながらコラードと姓が違うのは、彼があえて母方の姓を名乗っているからだ。とは言っても、その事情はこのとおり、二人の関係に影をわずかも落としていない。学生時代から見慣れているアルビナータはもちろんのこと、ドルミーレの職員も、こうしたやりとりを数日に一度は見かけるものだから、今ではつっこみすら入れないようになっているのだった。
「今日も仲が良いねえ、二人とも」
「良くねえ!」
ほのぼのと笑うティベリウスに、コラードは吠えるように睨みつける。これもまた三ヶ月前から加わった、ドルミーレの学芸員たちの日常なのだった。
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