ライトノベルは逃げない
数日前、自分の作品を読んでもらった友人の方々に作品の評価を頂いた。
お母さんは魔王さまっは、割と酷評だった。
酷評と言っても、別に
なるほど当然の感想、というものばかりだった。
書いている時は「誰に嫌われようとも自分が書きたいものを書く!」という信念のもと書いていたわけだが、いざ人の目に触れてそれが通用しないとなると、やり方を間違えたのかと思ってしまう。
あの作品では割と誰も踏み込まないような繊細で危険なテーマに踏み込んでいる。一歩間違えば炎上必至の作品だったことは認めよう。
で、当然そこへの「否」の感想もあったわけだ。
「こっちはラブコメ読んでるつもりだったのに、あんな暗いテーマぶっこまれても困る。心の準備ができてない。というか、あれはあれで別の作品で書くべき。公募用に文字数削るならあそこを削るべき」
ふむふむ。いや、その通り過ぎて何も反論できない。
ただ、一読者の意見としては「そこに行きつく前に疲れてしまって本質的なテーマが入ってこない」と言う事なのだ。
そして後日、別の友人と会った時にその件を話すとこう言われた。
「そもそも解る人だけ解って、分からない人は分からないでいいんじゃねーか?」
これはラーメンズというコント師の方のネタ作りの創作論らしく、「全員が全員面白いって思ってもらわなくてもいい。面白いって思ってくれる人がいればそれでいい」と言う事らしい。
なるほど、媚を売らないそのスタンスはなんだかカッコイイし、随分意識が高いし、高尚な感じがする。
実際僕など「嫌われてもいい」と思って作品を書いたのに「わかってほしい」という始末なのだから矛盾と低俗の極みである。
それから数日間、その事をずっと考えていた。
それは、「なんでわかってくれないか?」と言う事ではなく「僕は一体どういうつもりで作品を書いているのか?」と言う事である。
理解を求めずに書く癖に、読み手には理解を求める。
この絶対矛盾を抱いてしまうのはなぜか。
いや勿論、己が低俗で我欲の強い人間であるという事実は鏡を見れば一目瞭然なのだが、そうではない。
考えに考え、思考の奥深くに潜り込んだその先で12年前の僕が「そんな事かよ」と笑った。
「ライトノベルは純文学と違って万人に伝えなければいけないから難しいんだって、そんなことをもう忘れたのかよ」
ああ。そうだった。
純文学は芸術だ。芸術は解る人に解ればいい。分からない人は、分かるようになってから読めばいい。
でもライトノベルは下手すりゃ小学生だって相手どらなければいけない。
そして彼らに対して伝える努力を諦めちゃいけない。
「ライトノベルは逃げない」
そうだ。
どれだけ伝わりにくい内容でも、辛辣な世界観でも、エンターテインメントという要素で包み隠して服薬させるのが、ライトノベルの義務じゃあないか。
じゃあ、この、認められたい! という欲求はライトノベルを創作するうえで当然有り得る願望ではないか。
そして誰に嫌われても書ききる、作り上げる、完成させる。そういう思いは、やはり創作するうえで持っていて当然の熱意だ。
俗人が考え得る当然に則したテーマを書き上げるのも大切だが、それを破壊しつくしてその上に新たなテーマを構築するのもまた小説家の仕事だ。
というか、寧ろ、そちらの方が本質だと思っている。
そういうわけで自問自答の結果、僕は性懲りもなく皆が考えたくないし見たくない世界の真実を書き上げ、エンターテインメントというオブラートで包み込み、服薬させるような所業をこれからも断行する所存である。
今回は中に薬を詰め込みすぎてオブラート破けちゃったけど、次回は薬の量を減らすかオブラートを増やすかして、ちゃんと伝わるように努力しよう。
ああでも、やはりお母さんは魔王さまっは個人的に大好きな作品なので、改変する余地などないと思っている。というか、反対意見で内容を変えてしまう程度の薄弱な決意では、到底あれを書こうさえしないはずであるので、そこは解って頂きたい。
後間違ってもこれはラノベ上げの純文学否定ではないので、そこは「わかってくれよー」である。
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