後輩が受賞祈願のためにパワースポットへ連れて行ってくれた話
ラノベストリート大賞の最終選考に残った話を創作家リア友のグループLINEに投稿したところ、「受賞祈願にパワースポットに行きましょう!」と後輩Mさんが誘ってくれた。
パワースポット。
正直言うと全然ピンと来ない。今までにそう言う場所に行ったことがないわけではないが、受け取る力が弱いせいか全然パワーが漲ったことがない。しかし、Mさんが僕のために行こうと言ってくれている。
「今、仕事とか忙しいんじゃないの?」
「作りますよ! 詩一さんのためなら!!」
ほら、ね。これはもう行くしかない。と言うか行く前からすでにパワーを頂いている感じがするな。僕にとってはMさんがもうパワースポットだ。パワースポットと一緒にパワースポットへ行くわけだ。これはすごい。さすがに受け取り能力の低い僕でもガッツリ開運して二度と塞がらない
さらにもう一人の後輩Nも誘い、三人で行くことになった。
車はMさんが出してくれた。
参拝当日。
早起きをして高速に乗って静岡県は箱根町へ。
なんでも、三社参りをすると心願成就の強度が増すんだとか。
箱根三社参りと言うと、「箱根神社」「箱根元宮」「九頭龍神社(本宮)」の三社になるのだそうだ。
最初に箱根神社に行って、生まれて初めて『お願い』をすることにめちゃくちゃ緊張した。
僕は神の存在を否定していないし、寧ろ居ると思っているからこそ「僕ごときが願うなど」と思ってしまう。それに、神に願うよりも先に、己で努力すべきであると思っているし、努力をしたあとでもその後の結果に神の力が入る余地などあってはならないと思っている。それに、神の力が必要なのは、寧ろここに参りに来れないような人だろう。例えば親に虐待されて外に出られないとか、病床に伏して死を待つばかりとかそんな人にこそ神は味方すべきである。己の力でなんとかできるような僕が、なおも神にお願いをするのか。
そんな迷いがあった。
「じゃあお前普段初詣とかどうしてんの」
と言う疑問を抱く人も多いだろう。
いつも僕は「○○から参りました詩一と申します。この度はあなた様の領域にお邪魔させていただきました。いつもありがとうございます」と言った具合に感謝を述べている。
道開きの猿田彦神社に行ったときも「私は私の力にて己の道を切り拓いていきますので、見ていてくだされば幸いです」と申し上げた。
そもそも神どころか人にお願いするのも苦手だったりして、いつも嫁に「なんで頼まないの? 私それくらいやるよ?」みたいに言われてしまう。
それくらいって言うけれども、それに対価を払えないと言うか、頼むってつまり借金みたいなものじゃないの? って思ってしまうのだ。
まして、神に借りた御恩など、一生掛かっても返せるわけもない。
だからすごく緊張した!!
しかしMさんもNもいる。Mさんは「試験合格しますように」と言う願い事を持って来ているが、Nに関しては純粋に「詩一先輩が受賞しますように」しか考えてない。狂おしいほどに先輩思いだ。自分がこんな気持ちだなんてなんだかすごく申し訳ない。申し訳ないのだ。律せよ。己の望みを申告せよ!
(〇〇市から参りました詩一と申します。この度は私の大賞受賞のために後輩がここまで連れて来てくれました。こんなに素晴らしい後輩とのご縁を賜ったこと、大変に感謝いたします。ありがとうございます)
やってしまった……。
全然お願いしてない。また感謝だ。いつも通りでした。無理でした! 神にお願いだなんて、僕には無理でした!
その後、心願成就のお札を書くことになった。祈りでやらかしたばかりだったので、2000円と言う未曽有の初穂料をお供えするのもやぶさかではなかった。免罪符免罪符(違う概念の神)。
これもMさんが「是非やりましょう」と言うのでやったのだけれど、マジでMさんいなかったらなにもできなかったな。パワースポットへ行ってなにも受け取れない理由って多分これなんだなって思った。
心願成就のお札には叶えたい目標を書いて、それを叶えるために自分がどういう努力をするのかを書くと言うものだった。
えっと……ラノスト大賞受賞のための努力はもう終わっているからな……。
そこで僕は『小説大賞受賞』を目標にして、『小説を書く』『サインの練習をする』『日常で受け取ったすべてのことをありがたいと思う』を実行すべき努力にした。これなら電撃もガガガもMF文庫も多方面での受賞を狙っていける。
正直サインは別に電子のサインスタンプで良いだろうとか思っていたのだけれど、二人とも「直筆が良いですよ! そりゃあ」と言って来たので頑張って練習することにした。多分習字検定とかやったらマイナス五十段くらい取れそうな、もう貫録を感じるほどのドヘタクソ字なんだけれども、サインだけは書けるようになろうと思った。
ちなみにNは僕の大賞受賞をお札に書いてくれました。2000円をお供えして。「いやだったら自分金出すよ!」って言ったんだけれど断られちゃいました。
そんなこんなで一社目を参り、なんだかすごくパワーを貰ったように思えた。
主に二人のおかげなんだけど、でも、ここに来なければこういうイベントはなかったわけなので、神様のおかげなんだろう。ありがたいありがたい。
二社目の駐車場に止めるとき、係員の人に「今日は強風で乗り物系が全部欠航なんですけどそれでもよろしいですか?」と言われ、途端に暗雲立ち込める。
ロープウェイが動かないと言うことは、つまり「箱根元宮」に参れないと言うことで、それは三社参りができないことを意味する。
そこに1000円を払って車を停める価値があるのか。と、係員の方は聞いてくださっているわけだ。良心的である。
まあ、ここで帰る方がいろいろもったいないし、せっかくだから停めよう。と言うことで停めることにした。
三人は九頭竜神社へ向かった。九頭竜神社には湖の中に鳥居があったりした。実はこれ、行きがけの道の駅で見て「なんだろうあれ」って言っていたオブジェクトだった。伏線の回収である。
九頭竜神社から戻るときは、廃屋が立ち並ぶ道を行った。冬枯れに鎮座する栄枯。落葉樹と廃屋がメタファーとしては溜まらないなと思った。
大賞を受賞したからと言って、甘んじてはいけないと思った。常に前に進み続けなければ、栄光など一瞬で過ぎ去ってしまう。そしてまた、季節が巡るように、きっと陰る日は来るが、腐らず歩き続けていれば春を迎えることができるのだろう。
死に際の秋が、僕にたくさんの実りを与えようとしてくれている。ありがたい、ありがたい。
九頭竜神社の近くには白竜神社と言うのもあって、せっかくなので参らせていただくことにした。
「これで三社回りましたね」
「そう言えばそうだな」
「良かった良かった」
そんな感じでご飯を食べに向かった。
とても寒かったのでラーメンを食べて温まった。
ちなみに、九頭竜神社でも白竜神社でも参り方は箱根神社と同様、感謝を述べた。もう開き直りである。でもいいのだ。本当に、感謝しているのだから。それをお伝えできると言うことが、とても幸せなのだ。ありがたい。ありがたい。
駐車場でMさんが不意に山の方へ向かって二礼二拍手一礼をし始めた。「箱根元宮」の方へ向かって祈っているのだ。僕もそれに倣うことにした。
それから三人でカラオケに行った。
僕はamazarashiの『未来になれなかったあの夜に』を情感たっぷりに歌った。
と言うのも、Mさんがずっと「願いは叶ったていでいた方がいい」と言っていたからだ。この歌は、挫折を味わいながらも前進を続け、夢を叶え、挫折したあの夜に「ざまあみろ」と言う内容だ。すべてのプロ作家志望の方々に当てはまる内容なので、ぜひ聴いて涙腺を崩壊させてほしい。僕は以前これを聴いてボロボロに泣いて嫁にすごく心配されたことがあるので、みなさんは周りの状況に気を付けていただきたい。
最後はMさんおススメのパスタ屋で舌鼓を打って、本日のまとめをして終わった。
僕がとかく最後まで言っていたのは、これは本当にありがたいことであるということだ。人のために時間やお金を使えると言うのは誰もができることではない。そんな当たり前ではない人が、僕の傍に二人もいてくれると言うこと。それは本当に尊いことだ。
この旅に名前を付けるなら『感謝』だろう。
ありがたい……ありがたい……。
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