行きつけのコーヒー豆店の店長はかく語りき
行きつけのコーヒー豆店の店長が大変親切でおしゃべり好きなので、豆を買ったあともついつい長居してしまうことがある。
彼女はいろんなところへ焙煎を学びに行ったりしてからお店を立ち上げ、その後も勉強のために色々見たり聞いたりしているので、コーヒーに対する知識が豊富だ。まったく知らなかった知識を得ることもあれば、僕の知識が間違っていて修正することもあった。
そんな中でしばしば議題に上がるのは、『美味しいコーヒー』についてである。
彼女は言う。
「自分が飲んで美味しいと思ったコーヒーが美味しい。それでいいじゃないですか」
これは僕にとって金言であり、真実であると思う。
元々小説でも『面白い』について考えることはしばしば。だがいつも結局好みだよなあ、で結論が付く。それと同じようなものだと捉えるとコーヒーと小説は親和性が高いのかもしれない。
しかし、この世には『美味しいとされるコーヒー』があるのも確かで、長蛇の列ができるほど評判のカフェなんかも存在する。これは、好みを超越してみんなに選ばれるものがあるということではないのか。
これについても彼女は答えを持っている。
「結局この業界言ったもん勝ちで、それぞれの豆や焙煎の良さをより『それらしく』
豆や焙煎の良さがあるということは、逆に悪さもあるわけだ。
(焙煎なんか知らないって人にもわかりやすく言うと、焙煎度合いが浅いと酸味が強く苦味が弱い味わいになり、深いと酸味が弱く苦味が強い味わいになる。豆の特徴をとらえて、個性が一番光る焙煎度合いを探るのが焙煎屋の仕事らしい)
この、良いところを言ったもん勝ちと言うのは、悪いところに言及しないことで信者に対して、より「これしかない」と思い込ませる力のことを言うらしい。
酸っぱいのが苦手な人は浅煎りなんて飲まない。それは別に悪いことではない。好みの問題だ。しかし、浅煎りがいかに素晴らしいかと言うのを布教して浮動票が浅煎り派に流れてしまうと、コーヒー好き界隈に『浅煎りこそ至高』という価値観が生まれ、深煎り好きな人は『わかってない人』になってしまうわけだ。
カップオブエクセレンスのように、どの農園のコーヒー豆が美味しいかを決める大会がある。のみならず、注ぎ方が上手い人、焙煎の仕方が上手い人を決める大会もあるらしい。
店長もそう言った大会に見学しに行ったことがあり、票を入れる側に回ったことがあるのだそうだ。
そこには彼女以外にも焙煎屋さんの人々が来ており、それぞれに票を持っていた。正式な審査員が居るので、焙煎屋さんたちの票はおまけみたいなものである。
今大会は、豆と注ぎ方は一緒で焙煎の仕方だけが違うというもの。審査対象は焙煎に絞られた。
AさんとBさんのどちらが美味しかったか。と言うところで、焙煎屋さんは全員Aさんを選んだが、審査員は全員Bさんを選び、Bさんが優勝した。
これを彼女は「コーヒー会の闇」と言っていた。
「明らかにAさんの方が美味しかった。そしてそれは同業者のみんなも思っていた。けれど優勝はBさん。初めから決まっていたんですよ。結局、どの店のコーヒーを流行らせるかって言うのは、もっと前から決まっていて、説得力を持たせるための大会でしかなかった。バカバカしいと思ったからそれから二度と行ってません(個人の意見です)」
それを踏まえたうえで、前述したように『それらしく』語れば、『美味しいコーヒー』は出来上がるのだ。
こう考えると、周りの意見に振り回されて、自分の舌や鼻に合ってないコーヒーを飲んだり、本当に自分が美味しいと思えるコーヒーを飲む機会を逃したりするというのはつくづくバカバカしいものだなあと思う。
これは多分コーヒーに限ったことではない(料理、スイーツ、映画、アニメ、漫画、小説などなど他にも当てはまることがあると思う)ので、これからも自分の感性を大事に、本当に自分が必要とするものを求めて行こうと思った。
(まー、「お前こそ行きつけの店の店長の信者なんじゃん」って言われちゃえばそれまでなんですけどね)
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