作者が作意を述べること

 ふと気になったことがある。

 僕はわりと聞かれたらなんでも答えるタイプだ。だから、作品に対して「これはどういう意味ですか?」と聞かれれば「こういう意味です」と答える。暗喩に対する考察があれば、そのつもりで書いたかどうかと言うのは述べる。

 この間も『不良少女はテセウスの船に乗れるか?』に対して、「難しいです」と言われたので、ざっくりとした説明はさせてもらった。


 ただこれって、良いことなのか?


 いや、求められたのだから求められるままに行動すると言うのは別に悪いことではないと思うのだけれども。


 一方で『クラゲ虫が湧く、十二月』の解釈は、完全に読者任せだ。

 なんでかって言うと、あれはとしたものだから。いろんな解釈が出来るように種は蒔いたけれど、読んだ人にどんな花が咲いたのかはわからない。土と水と肥料は読者の人生だから。


 こっちの方がかっこよくない?


 カッコイイかどうかでスタンスって決めていいものなの? って思うかも知れないけれど、かわいいが正義のようにカッコイイも正義な気がしない? しないか。そうか。


 ただどの作品にも言えるんだけど、僕の作品はわかりづらいものもあるので、作意とは違う解釈が生まれるってことはあると思う。でも別にそれはいいこと、嬉しいことだ。作品の価値がその分増えて行くわけだから。


 なんで、僕の作品を読んで「こう思った!」と言う意見があれば、コメントにぜひ書いてほしい。Twitterと違って創作の世界にクソリプは存在しない。


 ただ、こいねがうのは、良い影響が読者にありますようにってことだけ。うんうん唸って考えるにしても、直感で決めつけるにしても、読者にとって良い体験であってほしい。

 僕の作品を読んで嫌な思いをしてほしくない。



 話が脱線したけど、総括するとあれだ。そもそも作品の方向性が違うものばかりだから、その都度僕のスタンスも違ってくるなって思う。

 作意を聞かれて「これはこういう意味でこういう暗喩があってですねー」と言うパターンも僕だし、「すべて読者の解釈にお任せします」と言うパターンも僕だ。

 だから、「あれ? この前はあんなに意気揚々と答えてたのに、急に解釈をほっぽりだしたぞ?」とか思っても、そう言うスタンスを取るべき作品だったと言うだけなので気にしないでほしい。

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