理由なく人を殺せるのがリアルで、理由がなければ人を殺せないのが小説

 リアルとリアリティは違う。


 リアルとは既にあった事象であり、リアリティは事実に基づいて『こうなるであろう』という推測をしてそこに矛盾が生じないように構築したものである。矛盾がないほど説得力を生み、説得力のあるリアリティには、みなが共感する。



 しかしいくら矛盾していてもリアルの説得力は凄まじい。実際にあったことだからだ。

 だから、いくらリアリティのないことでも、リアルはリアリティに勝る。ドキュメンタリーの強みはこれだ。


 そう考えていたときに、昔読んでいた漫画を思い出した。『はだしのゲン』という漫画をご存じだろうか。

 概要をちゃちゃっと説明すると、戦時中、原爆を落とされて家族を失った主人公ゲンが自分と同じ戦災孤児の仲間と共に逞しく生きていくという物語だ。

 この物語の中でゲンは終戦後に日本に来たアメリカ軍からお菓子を貰うシーンがある。

「父ちゃん母ちゃんピカドンでハングリーハングリー」と言うと、アメリカ軍がお菓子をくれるという話を聞いて、実践してみるのだ。ようは、元敵国の人間に対して「お恵みください」とびているわけだが、これを描くことで『そうでもしないと生きていけない厳しさ』や『ゲンのたくましさ』を描くことができる。

 これは、史実に基づいて作られた漫画なので出来ることだなあと思った。リアルだから、そこにリアリティは要らないのだ。


 僕がここにリアリティを感じないのはなぜか。


 アメリカ人は主人公にとって憎むべき敵であるはずだ。そして主人公と言うのは徹頭徹尾てっとうてつび自分の正義からブレてはいけない。家族を殺したアメリカ軍に『腹が減ったから』と言う理由で媚を売るなどあってはいけないのだ。せめて主人公が行動を起こす前に、「本当は家族を殺したアメリカ軍は憎いが背に腹は代えられないからプライドを投げ打って媚びよう」などと言う心の動きをつまびらかに描かなければいけない。

 それをしないまま行動すると『リアリティがない』とされてしまう。

(はだしのゲン下げではないです。あくまでもリアルを書いているのがはだしのゲンだから、リアリティがないからダメとかそう言う話ではないです。というのは断っておきます)



 たまに「なぜこのキャラクターはこう思ったのか?」という理由を答えられないときがある。自分の中にあるリアルが「こういうやつもいるやん」と思っているから。これは甘えだ。僕は小説を書かなければいけない。ドキュメンタリーを書いているわけじゃあない。ならリアリティを追求しなければいけない。

 それは単に、リアルっぽくしてつまらなくしろ、と言うわけではない。

 僕の小説群をチラ見してもらえばわかるけれども、みんなリアルにいる人間よりも強いし可愛い。あとシモい。ようは魅力的だ。現実的ではない。だがリアリティはある。彼らの根幹に根差したキャラクター性が捻じ曲がることはないし、あらゆる決断には理由が伴う。

 理由なく人を殺せるのがリアルで、理由がなければ人を殺せないのが小説だ。

「こういうやつもいるから」という逃げ道は、いつか読者に気付かれる。

 だから僕は、リアルではないけれども、リアリティのあるキャラに踊ってもらいたい。進んでもらいたい。


 何度も言うけど、別にドキュメンタリー下げではない。ドキュメンタリーに求められるものとフィクションに求められるものはまったく違うし、リアルとリアリティにはこんなにも大きな開きがあるよ。と言うのを伝えたかっただけ。そう、ただそれだけの話。


 いまいちわからないんだよなーって言う人に、少しでも伝わればいいなーと思って、こんな話をしてみたのでした!

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