あなたはマスプロ? クリエイター? アーティスト?

 マスプロダクター=量産する人

 クリエイター=創造する人

 アーティスト=芸術家


 僕はこの中でクリエイターに分類されると思う。なぜなら創作活動を行うからだ。しかし創作活動と一言に言っても幅が広い。だから創作活動をする人=クリエイターとは一概に言えない。生み出す創造物が芸術的なものであればアーティストなのだろうし、量産体制を取れるならマスプロダクター(以後マスプロ)とも言えるだろう。

 そう言った中で、僕が自分をクリエイターと言い切る理由を下記に並べる。


 まず、マスプロとクリエイターとアーティストの曖昧な線を、明確化して垣根を作る。


 <マスプロとは?>

 量産する人。

 他から取り入れたメソッド構成・設定マテリアルキャラ属性・ストーリーに少々の改変を加え、それに沿って執筆する。


【メリット】

 短期間で多くのものを生み出せる(=量産)。また、一製品にどれだけの時間を費やすか(タクトタイム)が把握しやすいため、納期に合わせて執筆することが可能。

 一つ一つの作品に対してのブレが少なく、品質が保証されている。

 もともとマーケットが確立されているところに必要に応じて執筆をするので製造開始から需要が高く、供給過多になりづらい傾向を持つ。

 問題が発生したときの対応や、アップグレードが容易。(すでに先発の人が解決及びアップグレードをしているので、マニュアル通りにすればよい)

 納期の確約、品質の保証と向上は、読者を安心させることができる。


【デメリット】

 オリジナリティの欠如。たとえ少々の改変があったとしても、他から見て転用であるとわかるレベルなので、その分オリジナリティは落ちる。

 また、読者が注目しているのはあくまでもそのジャンル全体的なものであり、個人単体の作品の良し悪しを注視することはない。(車なら社名や車種には注目しても、どこの工場の誰が作ったかは知る必要がないのと同じ)ただし欠陥品ならばクレームは入る。

 またメソッドやマテリアルはあくまでも借りものなので、自らメソッドを立ち上げたりマテリアルを作り上げたりすることができない。

 マーケットが潰れれば撤退するしかない。



 <クリエイターとは?>

 創造する人。

 自らメソッドを立ち上げマテリアルを作り、創作しやすい状態を構築する。

 他からの転用ではないため、どのメソッドの有効性が高いかを一つ一つ検証していく必要がある。運用までに時間が掛かるが、実装できれば唯一無二のメソッドとなり、オリジナリティを保ちつつも量産可能な体制を取ることができる。

 起承転結や序破急、三幕構成など世に広く知れ渡った手法を基に作ったとしても、それはマスプロではなくクリエイターと言える。(例えば、A社の車作りのメソッドを転用して車を作ればマスプロだが、野菜を作ればクリエイター)


【メリット】

 オリジナリティの確保。他では味わうことのできない感動や刺激を得ることができると言うのは、読者獲得に繋がる。

 またオリジナリティを持ちつつも、量産体制を整えることで、たくさんの作品を売り出すことができる。

 マーケットそのものではなくて、個人に注目が集まる。仮に売りに出しているマーケットが潰れても、読者は別のマーケットで自分を探してくれる。

 独立したマーケットを自ら作れる可能性を持つ。


【デメリット】

 メソッドを作り上げるまでに時間が掛かる。

 そもそも成功するかどうかもわからないようなメソッドに多くの時間を割くのは、それだけで損失がある。コストパフォーマンスが低いと言える。

 マーケットを間違えた場合、他が上手く行っていても作品は売れない。



 <アーティストとは?>

 芸術家。

 メソッドやマテリアルを持たない。

 一つ一つの作品をすべて一から作る。

 社会の潮流に迎合せず、マーケットは自ら作る。


【メリット】

 オリジナリティの確保。ここはクリエイターと同じ。

 運用のためのメソッドやマテリアルを創る必要がないため、準備期間が短くて済む。

 社会通念や都合に流されず、創りたいものを創れる。

 マーケットを自ら作ることができ、独占市場を確立できる。

 マーケットそのものではなく個人に焦点が当てられるため、個人が有名になりやすく、有名になればまったく別のものを創っても売れる。マーケットを複数持つことが可能。


【デメリット】

 量産ができない。一つ一つの作品の準備期間は短くても、転用可能なメソッドとマテリアルがないため、似たような作品の量産は不可能。

 マーケットを創っても、転用可能なメソッドやマテリアルがないため、広げることができない。

 また、オリジナリティが高すぎるため、誰も真似できないことから、マーケット自体が育ちにくい。マーケットが育たないということは盛り上がらないということなので、話題になりにくい。



 マスプロ、クリエイター、アーティストの三種を大きく分け、それぞれのメリットとデメリットを示してみた。

 どうでしょう? 僕が自分自身をクリエイターと言い切ることも納得頂けたのではないでしょうか。

 僕の周りにはクリエイターが多いように思います。しかもアーティスト寄りの。



 ところで、ここからが本題(というのはうそですが)。

 昨今のこの界隈での商業作家に対する違和感みたいなものをよく目にするのは、この三種が曖昧になっているからじゃあないだろうかと思う。認識する側もさせる側も。

 別にマスプロでもクリエイターでもアーティストでも、作品がおもしろいもから大賞獲ってプロデビューしたわけだ。けれど、読み手側が『アーティストの作品』だと思って読んだが実は『クリエイターの作品』だったなら首を傾げるだろう。

 それだけの話なのだ。

 ただこれは別に読者が思い違いをしたのが悪いと言って読者を責めるような話ではない。そもそもなぜそのような思い違いを抱く羽目になっているのかというのが問題だ。一つは作者自体が己の分類を勘違いして自己紹介をしている。もう一つは出版社も勘違いして作者を紹介している(或いは気付いているが別の分類で推した方が売れるためにわざと勘違いさせるように仕向けている)。

 紆余曲折うしょきょくせつあって、読者の勘違いに至るというわけだ。

 この勘違いが昨今の「なんであんなものが」的な発言へと繋がっているのではないかと思う。

 僕はこのあたりの勘違いにちょっと前に気付いているので「仕方ねーじゃん、マスプロにクリエイター性求めるなよ。それ、ボクサーに蹴りの強さ求めるのと同じだからな」と思うようになった。


 僕は虚淵玄うろぶちげんさんの「私はゲームシナリオライターなので、みなさんには小説を読むのではなくてゲームの方をプレイして頂きたい」という言葉が好きだ。

 自分が何者なのかをきちんと理解されている。こういう方ばかりになれば、勘違いも減り、みんなが文句を言うことなく読書ができるようになると思うのだ。

 別に、『シナリオライターであり小説家である』という人を否定しているわけではない。そう言う人は「私はシナリオライターであり小説家である」とちゃんと認識してほしいのだ。星野源が『俳優でありシンガーソングライターである』ように。

 己がしっかり認識していれば、それを他に認識させるときにも齟齬そごが生じにくい。そうすれば反感も買いにくいだろう。


 そうそう。

 公募もこのあたりをはっきりさせてくれるとありがたい。

「うちはマスプロ求めてます」

「うちはアーティスト求めてます」

 っていうのなら、最初から送らない。就活と同じで、自分の持っている資格を欲しがる企業に就職したいのだ、こっちは。


 ちなみに、間違えてもらっては困るのは、マスプロとクリエイターとアーティストを比べてどれが上って話ではないってこと。

 もしも比べたいのなら分類ではなくて、個人の力量で比べてほしい。

 そして、嫌いなものは嫌いでいいが、相手へのリスペクトは忘れないでほしい。好き嫌いとリスペクトは違うのだから。

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