失敗に対する怒りであったり許しであったり
少なくとも同じ志を持ったリア友くらいには誠実でありたいと思う訳で。
でも、そうじゃない人っていうか、相手の生活スタイルもわかんないような人に怒ったりするのは絶対に違うと思う訳で。
なにより相手のことを真剣に思えているかどうかって言うのが喜怒哀楽に直結することになるよなとも思う訳で。
なぜそんなことを急に言い始めたのか。事の発端は僕の「で、カクヨムコンには出したんですか?」という発言に対しての「あ、忘れてた」というリア友創作家の回答だ。
「え、ええ!? 出してないんですか!?」
「う、うん。今からでも間に合うかな?」
「もうおせえよ! 終わったよ! 読者選考期間すら終わったよ!」
「えええ。……ご、ごめん」
「なんで出さなかったんですか!」
「書き終えられなくて」
「既存の作品でもいいって言ったでしょうが!」
「そうなの?」
「そうなの!」
「ごめん」
「……あなたねぇ、自分では全然理解していないようだから言うけど、あなたは僕よりも才能のある人なんだよ。その才能を『出し忘れた』くらいで潰すんじゃあないよ。確かに今は結果が出てないけど、僕は受賞した(さらっと自慢する)けど、そんな受賞した(さらっと自慢する)僕よりもあなた方が何倍も才能があるんだよ! そりゃ書く時間がないから書けないのはわかる。仕上げられなかったのなら仕方ないって思う。けどさ、できてたじゃんかよ。それをコンテストに参加させるだけでよかったんだよ。なのにもったいねえよ! もったいねえよ……!」
「……本日中に仕上げます」
「もう終わりましたけど」
「いや、コンテスト関係なく、書くわ」
「ん? ……あ、ああ。そうですね。書くことは良いことです。来年になっちゃいますけど、それで参加できますし」
「あんなに言ってもらえるんなら、頑張らなきゃな」
「そうですよ。才能の塊なんですから……あ、これは他の方が才能がないって言っているんじゃないですからね!?」
と、ここからグループ通話していた他の創作仲間に対して謝罪とそれぞれの良さを言って回ったわけだが、なにを書きたかったかというと、私が普段からリア友創作仲間に向けている熱量はこんな感じということで。
ネット上で知り合った方は、ごく一部の人を除きびっくりされただろうと思う。
ところで、これを書いてわざわざエッセイにしようと思ったきっかけは、全然別のところにある。それはTwitterを見ていたときのことだった。
Twitterをやっていると、そのときのホットな情報が
そのときはちょうどオリンピックの真っただ中ということもあり、オリンピックの話がよく流れてきた。(一緒にサイゼの話も流れてきました)(サイゼいいよね。安くておいしいから)
そしてその中でふとした違和感。ある選手の謝罪に対して、「謝らなくていい」という意見しかTLに流れて来なかったこと。もちろん中には過激な誹謗中傷もあったことだろう。(僕もだいたい100いいねあたりからわけわからん絡み方されたり、バカとかアホとか言われたことあるので変なやつが居るのもわかる。だからそういうやつらに出てきてほしいと思っているわけではないと言うのだけは先に言っておこう)でもそのときの僕のTLにはそういった誹謗中傷は一切なく「謝らなくていい」一点張りだった。
やさしいなあと思う反面、どこまで真剣に捉えて「謝らなくていい」と言っているのかなあと、疑問にも思った。
前述した通り、僕はリア友創作家に対してめちゃくちゃ真摯に向き合っている。だから熱も入るし、ゆえに厳しい言葉も飛ぶ。もちろんそれが『絶対の善』というわけではないし、グループの全員がそんなやつだったら正直しんどいだろう。ぶっちゃけそんなグループ嫌だ。早い段階で脱退していると思う。いや、卒業していると思う。
だからこれは僕の向き合い方が正しいんだという己の正当性を主張したいわけではない。こういうやつがいてもおかしくないのに、一人もいないんだなあという話である。
しかし考えて行くうちに「そうか! こういうことだったのか!」というある一つの気付きを得た。「だからみんな『謝らなくていい』というのか!」という気付き。その気付きをエッセイにしたためたくなった次第だ。(前置き長いな)
オリンピックだとどうしてもピンとこないので、カクヨムコンに置き換えてみよう。
例えば、くだんのリア友創作家がカクヨムコンテストに作品を出したとする。
僕は当然読みに行くし、読んだうえで応援もする。長々とコメントも書くだろうしコメント付きレビューだってする。そしてTwitterで「僕の友達がエッセイを書きました! ぜひ読んでください! めちゃくちゃ面白いですよ!」と毎日のように、それこそ自分の宣伝ツイートをおざなりにしてでも
そこまでして、さあ、読者選考が終わります。というタイミングで、間違えて下書きに戻しちゃってコンテストから除外されたら……?
——ちょ、おま、おまあああ!! ちょ、ちょおおおおおおおおおおおおお!
「なにしてんだおまえええええええ!」
と怒りの電話をすると思う。
もちろん、なだめる人も必要だ。きっと他の創作仲間は「まあまあ」「わざとじゃないんだから」「こういうこともありますよ」と言ってくれるだろうと思う。そうだ、そうじゃないと自らの不備でコンテスト除外されたその友達は立ち直れないだろう。彼が一番ショックを受けているのだから。ああ、僕のことをなだめてくれ。頼む。
こういうとき、役割って重要だなって思う。
さてオリンピックの話に戻って、「お前はオリンピック選手のアレについてはどう思うんだよ」と問われれば当然こう言う。
「謝らなくていいと思う」
だって興味ないし。悪い人と思われたくないし。なにより友達でもなんでもないし。そもそも僕はアスリートですらないし。
ようはこれなのだ。僕が前述した気付きとはこれのことなのだ。
ハッキリ言って、自分の生活に支障をきたすレベルで毎日応援している人じゃないと「なにしてんだお前」と言う権利などない。だがどうだ、そんな人はいないだろう。居たとしてもかなりのレアケースと思われる。だからTLに励ましの文章しか流れて来なくて当然で正常なのだ。寧ろそれ以外の文章が流れてきたらおかしい。
ここまで考えて、ようやく僕の違和感は払拭できた。
これからは励ましの文章しか流れて来なくても「そうだよな。みんな他人だし。自分の人生犠牲にするほど応援してないしな。やさしい気持ちで見守ろう」と思えるし、逆に誹謗中傷が流れてきたら「お前は自分の人生を犠牲にするほど応援したのか? ああ? やさしくしてやれよ。さもなくば沈めろぞタコスケ」と思えるだろう。
これは逆説的に、誹謗中傷を食らってしまった人への慰めにもなる。大体そう言うこと言ってくるやつって普段のあなたのこと知らないよね、と。普段の努力を知りもしないで「もっと頑張った方が良い」みたいなこと言ってくるよね、と。一つのつぶやきだけを見て「ネット小説家風情がプロ気取りで草」とか言ってくるよね、と。
そんな方々にはこの言葉を心の中で送りたい。
「うるせえ沈めるぞタコスケ」
いや、いくらなんでも言い過ぎな気もするな。
すみませんでした。
……え?
「謝らなくていいと思う」
ですって?
みんなやさしいなあ!
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