作品におけるテーマ性

 よく応援コメントに「作品のテーマが解り易くて良い」と言うお言葉を頂く。


 本当に嬉しい事だ。

 自分は作品を書くにあたって、「この作品で何を伝えたいのか」と言うのを必ず決めて書くので、その肝要な部分が間違いなく伝わったと言う事は、書き手冥利に尽きると言うものなのだから。


 さらに言えば、僕は本当に運がいいよなあとも思う。

 なぜって、いかに明確にテーマを伝える為に布石を打ち、描写にこだわっても、読む人の価値観が全く違えば伝わりようがないからだ。


 これは読解力ともまた違って、要は辛いものが大嫌いな人に辛い物の良さをどれだけ饒舌に語っても、1ミリも伝わらない事に似ている。


 僕の小説ははっきり言って皮肉なものが多い。

 短編でいうと「クレペリン差別」や「かわいいかわいい」が解り易いかと思う。

 長編でいうと「お母さんは魔王さまっ」。


 勿論、誤解している方もいらっしゃるかと思うが、コメントが荒れないのは、そういう方が退いるからなのかな、と。


 その点においても、読者に恵まれたと言わざるを得ない。



 作家、創作家と言うのは、基本的に自分の意見を述べるべきだと思う。

 誰かからの期待や不満を気にして、本質を描かず、媚びへつらうようでは、書く意味がない。


 勿論、プロの方は違う。クライアントの要望があれば、自分が書きたくないものでも書かなくてはいけない事が多分にあるわけなのだから。



 ただ僕はまだ今のところアマチュアだ。

 ならば書きたいことを書かねば損だ。


 しかし、自分が書きたいことだけをただ只管ひたすらに書き続けるだけならば、別段小説である必要性も無い。


 自分の主義主張を出来るだけ多くの人に届けたい。

 そのためには「僕はこう思うのだがどうだろう?」と言っているだけでは駄目で、皆が面白おかしく読めるものにブラッシュアップする必要がある。

 その過程で本来最も言いたいことが後ろ側に回ってしまう事もあるだろう。

 しかしそれこそが小説であるとも言える。


 まずは読んでもらう事。

 次に考えてもらう事。

 最後に伝わる事。


 この順番でなくてはいけない。


 僕は伝えようとし過ぎて「読んでもらう事」をないがしろにしてしまう傾向がある。

 はっきり言ってそれでは駄目だ。

 何作品も書いて、それを学んだ。


 だからこれからは「作品のテーマが解り易くて良い」ものではなく、「なんだかよくわかんないけど面白く読めた。それに深そうだった。だから後で考えてみるわ。……え、なにこれめっちゃ皮肉効いてるやん、すごっ」と言うものを書いていきたいと思う。

 あくまで願望だが。

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