一つの作品が放つ無限の可能性

 僕は以前まで、一つのタイトルに対して一つのストーリーしか書いてこなかった。

 何を当然の事を言っているのか。と思われる方も多々おられるだろう。

 しかしこれが全然間違っている事に最近気付いた。


 砂紡ぎの商人というタイトルの作品がある。

 これは12年前に短編(旧題:砂の回廊)として書いた話だが、全然書ききってない感が否めず、12年の月日を隔てて新しく作り出した。自分でも納得のいく長編になったし、世界観の作りこみもより深いものになった。

 砂ばかりがある世界観と砂喰い虫と言う刀剣、キャラクター二人だけをそのままに、ストーリーは全く違うもの。二次創作ですらない、同じタイトルで別の作品を作ったと言って良い。


 で、これがどういう事かと言うと、とりあえず書いてみていいって事の証明になったと言う事だ。

 書き出す前に色々悩む。

 本当にこのストーリーでいいのか。

 本当にこのテーマでいいのか。

 本当にこの世界観でいいのか。

 本当に短編でいいのか。

 などなど。


 で、なんでそんなに悩むかっていうと、失敗したくないからだ。

 何せ書き出したら数十時間も費やすのだ。労力を。

 時間は無限じゃあない。(あ、いや、概念上は無限だけど、一個人が保有できる時間は有限って意味で)

 それにその作品と向き合っている時は、その作品を中心に世界が回る。(これは僕だけかもしれないが)

 そうしてようやく書き上げた作品が駄作では、もはや目が当てられない。


 だから書く前からうんうんと唸り悩み突っ伏しふて寝するのだ。


 しかし、自分は一度書いた作品を全く別の切り口で全く別の作品に仕上げる事が出来ると解ってしまった。


 しかも、10年以上間をおいてそれが出来る事を。


 って事は、駄作の予感が漂っていても、とにもかくにも書いた方がお得と言うものではないだろか。

 それに時代は移り変わる。

 今は世間に埋もれる駄作でも、10年後20年後、そいつが輝ける瞬間が、時代が到来するかもしれない。


 小説とは可能性を探っていく行為だ。と上遠野浩平先生も仰っていた。

(まああの人の場合は「この作品のこれって実はこういう事で、こことつながってんじゃあねえの?」みたいな感じで、タイトルも出版社も違う自作が全て繋がっていると言う事を言っているわけなので、厳密には違うのだけれども)


 だから、僕はこれからまた新しい作品を書こうと思う。(今回はかっこ書きが多かったなあ)

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