応援にせよレビューにせよ書いた方が良い

 読み専の方はともかくとして、創作者である方は、コメントやレビューを書いた方が良い。

 というのは、僕が書くことによって得ることの大きさを知ったから。

 物凄く丁寧に読んでも、案外読み切れてない部分もあったりする。でもそれは浮上させられてないだけで、心の奥記憶の片隅には確かに存在している。それを浮上させ、考え、解き明かすには、もう書くしかない。


 思い出して欲しい。

 僕らの勉強方法とやらを。


 教科書を読んだだけでなにもかもが頭に入る天才も、まあいるっちゃいるが、大概そうではなくて、何度も何度も書いていたと思う。

 覚えるため、というのがあるので、当然そのために筆を執っていた部分もある。というか勉強はそちらが大部分を占める。しかし、教科書や黒板の内容をより理解するために書いていたのではないだろうか。


 僕は今回カクヨムコンで色々な作品を読んで(1/19現時点で短編40作品、長編3作品)、そのすべてに応援コメントとレビューを残してきた。元々の理由ってのは、単純にその作品が素晴らしいと思ったからだし、個人的な願望としてカクヨムコンが盛り上がればいいなというのがあったからだが、書くほどに作品への理解が深まるのが解った。


 小説を書いたことがある人なら解ると思うけれど、本文を書き始めたら、プロット通りにキャラクターが動いてくれないってのがないかい?(僕は大いにある)

 これは自分のプロットの組み立て方、キャラクターの深堀ができてないってのもあるかも知れないんだけど、文章として起こしたときに新たな発見があったから、行動が変わっていったという見方もできる。


 なんでいきなり本文とプロットの齟齬そごの話をしたかというと、これがまさしくコメントやレビューを書くことと同じだからだ。

 作品を読んだときに訪れる感動や思いというのは紛れもない真実なんだけどでも、書き起こしてみないと辿り着けない真実もまたあるよってこと。


 勉強方法にせよ、小説にせよ、書くことで新たなる理解を得、気付き、自身の糧となり得るならば、応援コメントや感想付きレビューを自分のために書いてみると言うのは、決して悪いことじゃあない。てーか、作者が喜ぶしね。


 僕だってもともとはブラウザ越しの作者が満面の笑みで僕のコメントを見てくれていることを想像できたから書き始めたのであって……。


 あ。因みにこれは、私の作品にレビューを書いてねーってことじゃあないよ。

 書くほどのものを得られ無かったら書けないんだし。読み解けなかったら、書くきっかけすらないんだし。読み解くために書いても、結局形にならないかも知れないし。だから無理にやれってんじゃあないよ。ただ、せっかく読んで感動して好きになったのなら、どうして感動したのかどうして好きなのかを、冷静にまとめて考察してみるってのは、絶対に間違った行為じゃあないよってこと。


 だから、感動する作品や好きな作品に出会えたら、より深くその作品を知るためにも書いてみて。

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