ようやく、読書が好きだと言えるようになりました。
この前のお話、『読んでくださいと言われましても』を書き終わって投稿したあと、なんだかモヤモヤした気持ちが沸き立って、それがまったく払拭できないまま夜を越えた。なんだったら書いてる途中から「なんか違くないか……」とモヤモヤしながら書いていた。でも、せっかく書いたのだし、炎上するようなお話を書いたわけでもないしと思って投稿してしまった。
このモヤモヤの原因はなんだろう。
そう思って仕事をしていると一つのことに思い当たる。
「私は読書が嫌いなんだろうか?」
私はこの創作界隈に入ってきたとき、読みたい気持ちより書きたい気持ちの方が上回っていた。だから読書より執筆を優先するのは当然のことなのだが、イコールで嫌いと言うわけではなかったはずだ。それなのに今なぜこんな気持ちになっているのだろう。
そもそも読書が嫌いなら自分の作品だって読めないはずだし、なんで小説書いてるのって話になる。
これは改めて自己分析をしなければいけないと思った。
そこで、小説を書き始めたころにまで記憶を遡らせた。
僕は『ブギーポップは笑わない』を読んで感動し、自分も作品で人を感動させられるようになりたいと思い、筆を執った。
そのときの僕はとにかくブギーポップシリーズを読んでいた。図書館で借りられるまでの作品を読み終えると、次は友達のお薦めでいくつかライトノベルを読んだ。自分はこのとき、かなり読書が好きだった。読むのが楽しくて楽しくて仕方なかった。だから多分、読むスピードも人生で一番早かったと思う。
なぜそんなに早く読めたかと言うと、なにも考えていなかったからだ。なにも考えずにただひたすらに『面白い』を摂取し続けるだけの読書は、本当に面白かったし楽だった。
しかし、小説家を目指すからには、ただ読むだけではなく、要点をピックアップして物語のテーマを考えたり、自分がなぜ面白いと感じたかを分析したりしなければならない。このまま娯楽として消費するだけの読書ではいけない。だから一つ一つの作品を丁寧に読み解いていく方向へシフトチェンジした。
さらに、自分が面白いと思えるものだけを読んでいてはいけないということで、今までならそのコーナーに立ち入ったこともないようなところから本を手に取るようになった。最たる例を挙げるなら、ハーレクイン小説だろうか。ぶっちゃけ全然好みではなかったので、めちゃ苦痛だった。いや、ハーレクインが好きな人には申し訳ないけれども。……あれだ。女子が男子の好きそうなエロエロなやつを読んでもあんまりおもしろくないのと同じだと思ってもらえばいい。普通の読書なら「合わないな」と思ったら読まなければいいのだけれど、僕には「小説を書くため」という理由があるのでどんなものでも食わず嫌いをせず最後まで読み切った。それにより自分が面白くないと思ったものにも、客観的に見れば必ず読者を面白がらせる要素があることを知った。
結果、僕は読書の質が変わった。
そう。質が変わっただけ。一つの作品に掛かる時間が増えて数を読めなくなってしまったが、分析をして作品をより深くまで理解できる楽しみができた。好みではないジャンルを読むのは苦痛だったが、おかげで幅広いジャンルを楽しめるようにもなった。
苦痛も増えたが楽しみも増えたという塩梅で、自身の創作のためになると言う点を挙げればプラスになっている状態だった。
こうして質の変わった読書スタイルで、自作の執筆にも力を入れていく。なかなかうまくいかないことが多く、書いては消す日々。メモに出したけれどそのまま蒸発したネタもたくさんあった。当然その間、読書は進まない。
しかし、学ばなければ書くこともできないと思い、ない時間の中で無理矢理読んだりしていた。自分は書けてないのに。こんなことをしている場合ではないのに。そんな焦りが募る中、それでも読んでいた。
ある日、こんなことを聞かれる。
「趣味はなに?」
僕は当然こう言う。
「読書です」
すると、予想外の質問が来る。
「年間何冊読むの?」
「え?」
答えに窮した。
考えたこともなかった。読むのが楽しくてとにかく読みまくっていた時代ですら、数えたことなんてない。だって作品を何作読んだかなんてそんな重要なことだと思わなかったから。そしてその当時は月に1作読むかどうかと言う程度だった。
正直にそう答えると、「それは読書が趣味とは言えないんじゃない? 私は多いときなら100冊(記憶が曖昧なので本当は50冊くらいかもしれないけれどとりあえず100で)くらい読んでたかな~」と返された。
100冊……。それは僕がたくさん読んでいたころよりも多かった。多分。
とにもかくにも僕は、読んだ冊数マウントを取られたことで、「読書が趣味です」と簡単には言えない状態になってしまった。
同じ小説家を志す仲間で話をしているときもこういうマウントは散見された。
「○○ならまず△△を読まないとね」
「SFは□□を押さえておかないと」
「小説家を目指しているのに××も読んだことないの?」
などなど……。
今にしてみれば、それは自分の尺度で言いたい放題言っているだけなのだけれど、当時の僕は、それが小説家を志す者としての正解の姿のように感じた。
それからショートショートで賞を獲ったものの書籍化プロ入りに繋がる賞は取れず、自分もこれまでかなあと才能に見切りを付けて仕事に没頭するようになった。
ある日、仕事に疲れ、癒しを求めて小説を買って読もうとしたのだが、体が拒否反応を示した。
なぜならそれは——その読書スタイルは……小説家になるために身に着けた読書スタイルだったから!!!!
……諦めた夢が、顔を見せる。どろどろに溶けた、腐り落ちる寸前の顔でこっちを見ている。
どうも、お前が捨てたせいでこんなにも腐敗が進んだ夢です。なにか言うことはありませんか? 途中で投げ出してすみませんでした、とか。できないことをうそぶいてすみませんでした、とか。
目を逸らしても、耳を塞いでも、僕を責め続けてくる。投げ出した夢、夢、夢!!
苦しかった。唯一趣味と言えたものが、腐った夢の
投げ出した自分が悪い。うそぶいた自分が悪い。
僕は、一切本を読まなくなった。
※ ※ ※ ※
それから仕事に精を出し、僕は責任ある立場を任されるようになった。
現場のリーダーとして、周りの人とコミュニケーションを取り、仕事の段取りを組み、人員の足りないところにヘルプで入った。
最初は良かった。けれど、僕はどうやらリーダーになるには責任感が強すぎるらしかった。
部下に頼まれたことは必ず引き受けた。仕事がどれだけきつく、物理的に残業をしても頼まれごとを済ませることはできなかった。
「いつになったらやってくれるの」
と言う問いに、僕は「すみません。なるべく早くやりますんで」と言う人間だった。
部下とは言っても全員年上だったし、50過ぎのおじさんの機嫌を損ねないように仕事をするのは楽な事ではなかった。まして、部下は一人ではない。30人規模を1人で見なければならない。
その上、頼み事は部下から上がってくるだけではない。お客さんからも上司からも頼まれる。
「そんな時間どこにあるよ!」
と叫んで逃げ出したくなるような毎日だった。
しかし、リーダーとしての責務は果たさなければいけない。だから僕は遅くまで仕事をした。家に帰ればシャワーを浴びてご飯を食べて洗い物(これも嫁からの頼まれ事)をして寝るだけ。そのころにはもう1時を回っていた。土曜日も出て、あらゆる人からの頼み事を片付けていった。しかし、どれだけ解消・解決しても一生無くならないのが問題点と言うやつで、僕の仕事は増えることがあっても減ることはなかった。
それでも僕は壊れてくれなかった。丈夫にできていた精神と肉体を恨んだ。倒れさせてくれ。入院させてくれ。辞めさせてくれ。さもなくば、会社が潰れろ。
そう、毎朝呪詛を唱えて「おぇ、おえぇっ」とえずきながら出社していた。
本当に僕はずーっと昔から断れない性格で、期待に応えようとする性格だった。
それからなんだかんだあって会社は撤退し、僕は転職をして今は楽な仕事をさせてもらっている。すでにリーダーになってほしいと言う打診が来ていて、断れない状況なのでまた地獄を見ることになるのかなあと今から心配ではあるが、それは未来のお話。
※ ※ ※ ※
再度小説を書き始めたのは、会社が撤退する前の仕事がちょっと暇になったときだった。
そのときはまだ夢が再燃したわけではなく、趣味として書こうと思っただけだ。さもなくばあの夢の腐乱死体が「ちゃんと書け」「プロになれるように努力しろ」と言って来るに違いなかった。
だから僕は、ただ書いた。そして、ただ書こうと思って書いたら、今まで書いてなかったのが嘘のように言葉が溢れ出した。
ああこれが……執筆と言うものだった。
嬉しくて楽しくて、僕は瞬く間に長編を作り上げ、カクヨムに投稿した。電撃大賞に送った。
そして電撃大賞から落選のお知らせ。
悔しいと思った。
悔しいと思えた。
自分にはまだ、作品を愛する力が残っていると気付いた。
夢のどろどろに溶けていた顔が、輪郭を取り戻す。ああそうだ。こんな顔だったな。今までごめんな。
夢は、ため息を吐いて、それからにっこり笑ってくれた。
僕はもう一度、ここから、小説家になる。
そう思って書き始め、創作界隈に身を置いた。
しかし決意が新たになったからと言ってこれまでの自分の性格諸々が変わっているわけではない。
作品を絶対に分析研究してしまう時間の掛かる読み方。
マウントを取られることへの恐怖心。
頼まれ事を断れない性格。
これらのことは解消できていない。
結果、僕は「読書が趣味ではない創作家」という肩書で落ち着くことになった。これならば「その程度で読書が趣味なの?」と言われることもないし、作品一つ一つをきちんと分析研究する時間を得られるし、「読んでくれ」と頼まれることもない。もちろんこのときは無意識だったので、ここまで自分が自己防衛に力を入れていたとは思ってなかった。
しかし、こんなスタンスで創作をしているにも関わらず、やはり数読むことを求められたり、マウントを取られたり、読むことを頼まれたりする。
読書はしませんと言っているのに「○○賞に出すならその賞の作品はある程度読んでおいた方が良い」と言われた。
読書はしませんと言っているのに「○○も読んだことないの?」「××は小説を書きたいなら読むべき本」と言われた。
読書はしませんと言っているのに「読んでください」と言われた。
大切なものが、壊されていく感覚。
必死に守ろうとしていた、自分の領域。
僕に今できることでしか、僕は動かせないのに……無理をしろと言って来る。
もちろんこれは被害妄想も甚だしい。誰も無理をしろなんて言ってない。誰も僕を責めたりはしてない。みんな僕のために良かれと思ってアドバイスをくれているだけだ。けれど、僕は今までの人生で、この手のことに関して疲れ切ってしまっている。だから被害妄想でもなんでも、僕はとにかく責められているという感覚に陥ってしまうのだ。これをわかってほしいとは言わない。だって、僕の人生を体験した人にしか味わえない感覚だろうから。でもだからと言って、僕も黙っちゃいられない。このままだと僕が壊れるから。
ある日から僕は、「読むのが苦手」と言い始めた。
ある日から僕は、「読書が嫌い」と言い始めた。
多分、再燃した夢の灯を消されないための自己防衛本能だったのだと思う。
けれども僕は愚直に、僕の放った言葉を信じた。
僕は読書が嫌いなのだと思った。
そうして昨日、『読んでくださいと言われましても』を書いた。
そしてモヤモヤした。
自己分析の結果、僕は自分に騙されていて、嘘をたくさん吐いていたことに気付いた。
だからこうして、今改めてエッセイを書いた。
僕の、おそらくは本当の思いを。書き記した。
本当は読書が好きなんだと。
これは他の人の尺度で測ると到底そのようには思えない程度の『好き』だ。
バカにされるのが怖かった。だから好きだと言えなかった。
でも、言う。
僕は読書が好きだ。
だから、これまでに書いたレビューもコメントも全部本当のことだ。作品分析シートを作者に送りつけたのも、作品が面白かったから興奮して書いたのだ。
応援の気持ちはある。創作家として一緒に頑張ろうとは思っている。その気持ちも本当だ。
でも、作品を読むのはいつだって「面白そう」だからだ。
コメントやレビューを残したりするのは「面白い」からだ。
また同じ作者のところへ読みに行くのは「面白かった」からだ。
もうこれからは「読書が嫌いなのにすみませんねえ」と思わなくてもいい。本当の思いに気付いたから。僕はあなたの作品が好きだから読む。ただそれだけだ。
そして、僕はこれから読みたいものを好きなように読む。
誰からの指図も受けない。
相変わらず遅いだろうから、1年で1冊しか読めないかも。
それでも読書が趣味だと言う。
誰にも僕の領域は侵させない。
自分の好きは、自分で測る。
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