ep10. 鳥籠の少女と時計塔の魔術師

 風の音が止む。

 街の喧騒も、不思議と遠ざかる。聞こえるのは、きいと鳥籠が揺れる音だけ。

 見えるのは――鳥籠の少女の、感情を失くした二つの瞳だけ。

 

「あ、アル……」

 

 アスティリエの屋台の前、無数の鳥籠に入れられた少女達をじっと見つめたまま、アルテミシアは震える声で呟いた。驚きか恐怖か、全身がガタガタと震えているのが自分でもよく分かる。まるで、身体から何かが飛び出してきそうなほど。喉がカラカラに乾いて、何とか一言呟いたきり声もでない。ただ、それが最後の支えであるというように、アルバートの胸びれをぎゅっと握り締めていた。

 屋台に人々が群がる。老若男女問わず大勢の人が鳥籠を覗く。店主だけではない。集まる誰もが、少女達が売られていることは当たり前であるといった表情をして。

 ざわざわと騒ぐ声が煩い。聞こえなかったはずの人々の声が、あちこちから聞こえてくる。

 

「こいつの魔力保持量は?」

「浄化のために使いたいから、すぐに壊れないのはある?」

「子供がいるから、煩くないのがいいわ」

「こいつは泣き叫ぶか?」「壊れた時の保証は?」「髪の長い奴をくれ」

 

 まるで、人形か道具でも探しているかのような言葉。憐憫さえも感じられない、無感動な声。棒のようなものを籠に入れ、しきりに少女達の身体をつつく者。鳥籠ごと掴んで振り回す子供もいる。

 何をされても、何を言われても、彼女達の表情は動かない。感情を持たないかのように、銀灰色の瞳には何も映らない。

 それでも、アルテミシアは感じていた。少女達の悲しみを。痛みを。背丈が同じくらいの、小さな少女の姿をしていたからだろうか。何も知らないはずなのに、心のどこかが、どうしようもなく彼女達に感情移入してしまう。

 

「私、助けなきゃ……」

 

 未だ震えながら、アルテミシアがよろよろと手を伸ばす。アルバートも、恐る恐るだが前に進んでくれた。二人とも、気持ちは同じだった。怖い。何をしているのか分からない。それでも、彼女達を助けないと胸が苦しくて仕方がない。

 ゆっくり、ゆっくりと近づいて。ようやく人だかりに入ろうとした、その時だった。

 

「待ってください!」

 

 誰か、聞き覚えのない青年の声が二人を止めた。大きな手に、アルテミシアごとアルバートが、がしっと掴まれる。

 

「だ、誰?!」

 

 青年らしき手から逃れるようにもがきながら、アルテミシアが顔を上げる。アルバートも睨みつけるようにして相手の方を見た。

 青年は、深緑のフードを目深に被っていた。下から見上げた状態でも、顔立ちはほとんど分からない。ただ、フードの奥で何かが銀色にきらりと光った。

 彼は質問に答えず、アルテミシアとアルバートを掴んだまま駆け足で屋台を離れた。雑踏に紛れ、十分に距離をとったところで何処かに飛び込む。どうやら路地裏に入ったらしい。

 アルテミシアとアルバートは手から逃れようと暴れていたが、しっかりと二人を掴んでいた青年は立ち止まった途端あっさりと彼らを解放した。

 

「急に掴んですみません。焦っていたので……。どこか、痛いところはありませんか?」

 

 穏やかな口調で声をかける青年。しかし、アルテミシアもアルバートも、彼をきっと睨みつけた。

 

「そんなことより、貴方が誰なのか教えてくれない? どうして私達を止めたのかも」

 

 固い声で言うと、青年は「そんなに警戒しないでください」と言いながら、片手でフードを外した。

 

「俺はツァイト・バーウィッチ。もうひとつ名前がありますが、それは後で話します。とりあえず、貴女の敵ではないことは確かです。俺はティルヤ族を悪く扱ったりしません」

 

 柔らかい笑顔で話す彼は、おそらく二十代の半ば程。青みがかった短い銀の髪に、黄玉トパーズの瞳。白皙の生真面目そうな顔立ち。片目には銀環の片眼鏡モノクルをしている。恐らくフードの中で光ったのはこれだろう。

 

「ティルヤ族を知っているの?」

 

 アルテミシアは目を丸くした。ヴァンデに続いて、ティルヤ族を知っているのはこれで二人目だ。

 ツァイトはアルテミシアの問いに微笑って頷く。

 

「もちろんです。俺は、ヴァンデと共にティルヤ族や魔法生物を助けていますから」

「ヴァンデ?!」

 

 魔法生物という言葉も聞き覚えが無かったが、それよりもヴァンデの名前が出てきたことに驚いた。ツァイトはヴァンデと協力関係にあるという。ということは、もしかしたら。

 

「もしかして、貴方がヴァンデが言っていた時計塔の人?」

「え、何で時計塔を知っているんですか?」

 

 次に驚いたのはツァイトの方だった。目を丸くする彼に、アルテミシアはヴァンデから預かった紙を手渡す。

 

「ヴァンデに頼まれたの。時計塔にいる人に会うようにって。貴方がそうなんでしょう?」


 ツァイトは不審げな表情のまま紙を受け取る。中身を見た彼は、小さく息を呑んだ後、不機嫌な表情で溜め息をついた。


「あいつ、来ているんですか……」


 憎々しげな声に、アルテミシアは首を傾げた。協力しているらしいことを言っていたが、仲が悪いのだろうか。

 問いかけようとしたが、その前にツァイトがはっと顔を上げた。不機嫌そうな表情から一転、アルテミシアに柔らかい笑みを向ける。


「すみません、取り乱してしまいました。……とりあえず、時計塔に向かいましょう。あそこなら俺の管理下だから危険はありませんし、ヴァンデも来ると書いていますから」


 そう言うと、路地裏の細い道をそのまま歩きはじめてしまった。

 アルテミシアは、ずっと掴まっていたアルバートに声をかけた。


「アル、私達も彼についていきましょう」

「あいつ、もう信用していいの?」


 アルバートが問う。アルテミシアは頷いた。


「ええ。少し変なところはあるけれど、彼がヴァンデの言っていた人だもの。今はついて行くしかないわ」


 そう言ってから、彼女は首を傾げた。アルバートを見る。

 アルテミシアにとって、アルバートは無垢な少年だった。優しく、無邪気で、ただアルテミシアが彼を召喚したという理由で、自分を助けてくれる。独りぼっちだった心を暖めてくれる。それが、アルテミシアはとても嬉しい。けれど。


 ――けれど、優しくしてもらうたびに、彼の冷たい部分に気付くのは何故だろう。


 無垢なはずの彼の瞳が、他者を見る時冷たく光る。いつも、手負いの獣のように周囲をじっと警戒している。……いや、いつもではない。普段は、恐ろしいほど他者に無関心だ。関心があるのは、「自分の魔女」と認めたアルテミシアのことだけ。


(似てると思ったけど、本当は違うのかもしれない)


 アルバートは、一体何を考えているのだろう。何を思って、アルテミシアの傍にいるのだろう。何を話しても、魔法でどんなに大きさを変えて近づいても、ぎゅっと抱きしめてみても、よく分からない。

 視線に気づいたアルバートが、アルテミシアを見てにっこりと微笑んだ。小さな合歓の木がざわりと揺れる。アルテミシアを乗せ、優雅な動きで夕まぐれの風をかき分けていく。ツァイトの方へ。


「大丈夫。僕は、ミーシャだけは信じるよ。絶対に君の傍にいる」


 舞い上がる花弁とともに、少年のように無邪気な、けれど揺るぎない声が響き、薄暗い路地のどこかに消えていった。


                 *


 アスティリエの全ての民に時刻を伝え、海を渡る者の標としての役割も果たす時計塔は、その責務を果たすため、数多くの建物がひしめく港町でも一、二を争う大きさを誇る。象牙をそのまま切り出して組んだような白亜の塔は黄昏の光を浴びて黄金に輝き、様々なものが雑多なまま寄せ集められたような街の中でも異彩を放っていた。草木と天使を象った時計はアティリアによって厳密に管理され、一度として時を違えたことはないという。

 ツァイトは、時計塔の裏手に設えられた小さな木戸の奥へアルテミシア達を導いた。薄い板を番で留めただけの簡素な扉の向こうには、狭く急な階段が伸びている。壁の穴から零れるアティリアの小さな灯のみが照らす薄暗い階段を、アルテミシアはアルバートにしがみついたままゆっくりと進んだ。階段は蛇のように塔の内で蜷局を巻き、古びた空気と濃い魔力に満たされた空間はどこまでも永遠に続くのではないかと錯覚させた。

 けれど、もちろん終わりは来る。ずっと続いた階段の先に眩い光が漏れる扉を見つけた時、アルテミシアは安堵の溜め息をついた。アルバートと共に扉の先へ行こうとする。その時、何かが彼らの横を通り過ぎていった。


 ――それは、幼い少年少女が笑いながら階段を駆け下りる姿。


 十代に差し掛かった頃であろう金髪の少女が、彼女よりも少し幼いであろう銀髪の少年の手を引いて駆けていく。一瞬、アルテミシアは彼らもツァイトの知人ではないかと思った。だが、すぐに違うと気づいた。

 何故なら、彼らの身体が半分透けていたからである。子供達の身体はアティリアの光をそのまま通し、足は僅かに宙に浮いていた。

 アルテミシアとアルバートが呆然と見守る中、彼らは階段の中ほどでどこかへ消え去った。その後には、ただ紅く光る魔力の光だけが足跡のように残されるだけだった。

 アルテミシアは、後ろを歩くツァイトに尋ねようとした。この不思議な現象のことについて、彼なら何か知っているのではないかと思った。

 しかし、尋ねることは叶わなかった。無言で歩くツァイトが、口を開かないままだが、とても険しい表情をしていたからだ。目は血走り、悲哀と絶望、そして己を燃やし尽くすような激情に染まっていた。食いしばった歯の向こうから、ぎりっという音と荒い息遣いが聞こえる。あるいは彼は無言でいたのではなく、無言で歩かざるを得なかったのかもしれない。

 アルテミシアは彼に声を掛けることを諦め、無言のまま扉を抜けた。これまた非常に簡素な作りの扉を抜けた先に広がっていたのは――歯車の部屋だった。

 壁一面を埋める大小の歯車。所々、紅玉ルビーのような光をゆっくりと明滅させる装置が見える。頭上には細工が施された小さな吊り灯篭ランプとともに革紐や真鍮の棒が釣り下がり、歯車と連動するように上下にゆっくりと動いている。壁際にも床板を貫くように歯車や踏み板ペダルが覗き、それら全てが、まるでひとつの音楽隊であるかのように、コチ、コチと控えめな音色を奏でるのだ。

 それは機械に占拠されたような場所で、しかし確かに人の住む部屋だった。歯車や踏み板のない場所には毛足の短い灰紫ウィステリアミストのラグが敷かれ、樫の板を組んだだけの簡素な椅子と部屋の半分を占めるがっしりとした巨大な机が並んでいる。机の上には何かよく分からない装置と読みさしの本、インク壺と数種類の小筆が散らばっている。歯車のない壁には重厚な本棚や衣装箪笥、釘を打ち付けただけの箱が隙間なく占拠し、唯一空いている小さな小窓にはタイムの鉢植えと小さな額が並んでいた。

 アルテミシアはその小窓に近づいた。開け放たれた小窓から吹き込む夕まぐれの風がタイムの小さな葉を揺らし、柔らかで繊細な香りが鼻腔をくすぐる。隣に置かれた小さな額がかたり、と音を立てた。

 額は、写真立てのようだった。蔓草が刻まれた木枠に飾られているのは、幼い少女の笑顔。それと、優しく微笑む若い男性。古びた羊皮紙に、それでも色褪せることなく永久に刻まれる記憶。

 アルテミシアは、男性の手を掴んで笑う太い三つ編みの少女を見つめた。元気そうな、勝気な表情。頬を染め、幸せそうな笑顔でこちらを見ている。アルテミシアはその表情にはっとした。


(さっき見た、階段の女の子と似ているような……)


 隣の男性は、男の子に、そしてツァイトにもよく似ている気がした。全てが同じではないけれど、生真面目そうな目鼻立ちがそっくり。それにほんのりと頬に浮かぶ、春の綿毛のような優しい笑顔も。

 アルテミシアの口から、ぽつりと一言零れる。あまり、彼女には実感の湧かない存在ではあるけれど……。


「もしかして、ツァイトのお父さんかな……」

「ええ、そうですよ」


 後ろから声がして、アルテミシアがはっと振り返った。ツァイトが、写真の男性とよく似た微笑みを浮かべてアルテミシアを見上げていた。その身体は、ラグをめくった床下に半分埋まっている。

 どうやら、床下にも生活スペースがあるらしい。彼は水差しとマグを持ったまま、器用に上に上がってきた。マグは大きなものが二つ、玩具のような小さな陶器の器が二つ。アルテミシアとアルバートに配慮してくれたらしい。

 けれど彼女はそれよりも、ツァイトの格好の方が気になった。彼は深緑の外套を脱いでいた。染みひとつない純白の上衣ジャケット。ズボンもベストも真っ白。唯一、瞳と同じ黄玉の留め具がついたリボンタイだけが黒く、その上で黄金色の樹木を象ったペンダントがきらりと輝いた。

 彼は水差しとマグを机に置くと、真っ直ぐにアルテミシアを見て優美に一礼してみせた。


「改めまして、俺はツァイト・バーウィッチ……またの名を、ツァイト・ディア・オズワルド。元ウィステリア王国の魔法使いであり、天空塔から時計塔の管理のために派遣されている魔術師です」

「天空塔の?!」


 アルテミシアは目を丸くした。天空塔はアルテミシアが目指している場所だ。そこから派遣されている人物だったとは。

 ツァイトは苦笑しながら「はい」と頷いた。


「アティリアは魔力装置ですから、複雑なものを扱うには魔力の扱いに長けた魔術師が必要になるのです。とはいえ、俺はまだまだ下っ端ですが」


 天空塔もひとつの組織。内部には様々な役職が存在するらしい。アティリアを操作する「魔術師」もそのひとつで、時計塔の維持の他塔を浮かばせたり工場を管理したりと様々な仕事をするために各所に派遣されるのだという。


「天空塔で一番権力があるのは、『神官』と呼ばれている人達です。彼らは、天空塔で神様に祈りを捧げながらホーラノア全体の管理をしているそうです」

「元ウィステリア王国の魔法使いというのは……?」


 ウィステリアを含め、各都市が元々ひとつの国だったことは知っている。ウィステリアの森が、魔法使いが集まる場所だということも。けれど、ツァイトの言う魔術師と魔法使いは違う気がする。

 そうアルテミシアが尋ねると、ツァイトは頷いた。


「もちろん違いますよ。ウィステリアの魔法使いは自然と共に生き、自身の力を磨いて、ホーラノア大陸の古い技術である魔法を扱う者のことをいいます。その中でも、特に優れた者は賢者と呼ばれます」


 ツァイトが窓辺に手を伸ばした。丁寧な仕草で写真立てを手に取る。見つめるのは、優しい微笑みを浮かべた男の姿。


「父も、賢者でした。時の賢者と呼ばれ、ウィステリアのために尽力していたそうです。もっとも、俺は父が仕事をしているところを、殆ど見たことがありませんが」


 それでも、少なくない思い出が彼らの間にはあったのだろう。指で写真に触れながら囁く声は、とても穏やかで優しいものだった。

 アルテミシアはツァイトを見上げ、そっと呟いた。


「ツァイトのお父さんは、今どこに……?」


 その時、急にツァイトの表情が変わった。穏やかな笑顔から一転、眉間に皺を寄せた険しい表情に変わる。黄玉の瞳は冷たく、しかし激しく燃えている。固く食いしばった歯の隙間から溢れるように声を漏らした。


「……死にました。天空塔に殺されたんです」

「えっ……」


 思わぬ言葉に、アルテミシアは驚愕した。震える声で告げられる真実は、さらに続く。


「天空塔はを奪い、全てを壊し、ウィステリアを滅ぼしたのです。父も殺されました。全ては、一部の人が利益を得るためになされたことです」


 ホーラノア全体を、天空塔が掌握するために。反対する者を従わせるために。服従しない者は滅ぼすという過激なやり方に、ツァイトは激怒していた。


「俺は、天空塔を許しません。必ず彼女を取り戻し、父と故郷の仇をとって天空塔を滅ぼします。そのために、名前を偽って天空塔の魔術師なんかになったのです」


 唯一残された父親との繋がりである姓を偽ってでも、果たしたい誓いだった。今は下っ端としてこき使われる立場でも、いつか刃向かうために。ツァイトは燃えたぎるような思いを抱えたまま、これまで生きてきたのだ。

 不意に、ツァイトはアルテミシアを見つめた。黄玉と碧玉の瞳が交錯する。


「アルテミシア、と言いましたね」

「ええ」


 名前を呼ばれて、アルテミシアが頷く。ツァイトは険しい相貌を緩めて微笑んだ。嬉しそうな、けれどどこか切なそうな笑顔で彼女を見つめる。


「貴女が生きていて、本当に良かった。ティル・ノグに行きたいという話、ぜひ俺に協力させてください。代わりに、ひとつお願いしたいことがあるのです」

「お願い……?」

「ティル・ノグの図書館で、『オズワルドの書』という本を探して欲しいのです」


 首を傾げたアルテミシアは、ツァイトが告げた書題にはっと目を見開いた。彼が笑顔で頷く。


「ええ。父が書いた書物です。『オズワルドの書』というのは、時の賢者の全ての力の結晶である『記憶書』なんだそうです」

「『記憶書』って……?」


 アルテミシアの問いに、ツァイトが胸を張り誇らしげな表情で言う。


「記憶書というのは、文字通り魔力に残された『記憶』を記した書物です。人ではなく魔力の記憶を元にしているので、術者の力が及ぶ限りあらゆる時間の、どんな場所のことでも知ることができます」


 アルテミシアは、驚いて声も出すことができなかった。それは、魔法としてあまりにも規模の大きすぎる効果だ。世界中全てのことを知るというのは、もはや神の御技というべきだろう。

 神様は全てを知っていて、魔力は神様の記録である。天空塔の教義の中心。「記憶書」は、それを体現するような書物らしい。


「とはいえ、『記憶書』も人が記した書物である以上、得られる情報に限界があります。しかし父は賢者でしたから、人より多くの『記憶』を記すことができたでしょう。もしかしたら天空塔に対抗できる情報が書かれているかもしれない。だからこそ、天空塔に奪われたのかもしれない。そう、俺は考えているのです」


 ツァイトの話は、だんだん熱を帯びていった。黄金の炎を瞳に灯し、アルテミシアに強い口調で訴えかける。


「俺がいくら探しても、『オズワルドの書』を見つけることはできませんでした。けれど小さなアルテミシアになら、俺には見つけられなかったことも分かるかもしれません。書にはきっと、貴女の知りたいことも書かれているでしょう。どうか、頼まれてくれませんか?」


 ツァイトが深く頭を下げる。アルテミシアは少し考えて……「知りたいこと」という言葉でひとつ思い出したことがあった。ツァイトに、聞かなければならないこと。


「その前にひとつ聞かせて。鳥籠にいた女の子達について、まだ聞かせてもらっていないわ」

「あの紛い物のことですか……」


 ツァイトは小さく肩を震わせた後、俯いた。悔しそうな口調で答える。


「あれは、天空塔によって作られた魔力で動く人形ですよ。彼女が作るものよりは大分稚拙な作りですが、魔力の電池や浄化、働き手、最近は愛玩目的で使われることも多いそうで……」

「そんなことを聞きたいんじゃないわ!」


 ツァイトの言葉にアルテミシアが割り込んだ。怒りに満ちた声で言う。


「人形って……。あの子達には、ちゃんと感情があるわ。悲しいって、外に出たいってずっと言っていた。それなのに、何で助けるのを止めたのかって聞いてるの!」


 アルテミシアが聞きたいのは、それだけだった。彼女達のことが、不思議なくらい他人事だとは思えなかった。助けてあげたくて仕方がなかった。


「そんなの、貴女を失うわけにはいかないからに決まっているじゃないですか!」


 アルテミシアの声をかき消すように、ツァイトが叫んだ。


「貴女をここで失うわけにはいかないんです。どうしてここにいるのかは分かりませんが、こんなにも似ているのですから意味がないとは思えません。アルテミシアは、鳥籠の人形とは違います。ようやく見つけた手がかりであり、希望なのです」


 ツァイトが言っていることは、殆ど意味が分からなかった。しかし、重ねて問い返す前に彼はくるりと背を向けた。


「もうすぐヴァンデがくるはずです。あいつが来たらすぐにティル・ノグに行けるように俺も準備をします。貴女達は、ここで待っていてください」


 西日は、殆ど消えかけていた。薄闇の中、扉の向こうに立ち去るツァイト。言葉は冷静だったが、アルテミシアには、そんな彼の背が固すぎる決意と孤独に震えているように見えた。

 去り際、彼はぽつりと一言残していった。


「『オズワルドの書』を見つければ、貴女にも全てが分かるはずですから」

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