inter3. 大人の考え、子供の願い

 アルテミシアがヴァンデと別れ、アルバートと星降る空を渡っていたころ、ユルグは再び雑然とした騒ぎで満ちていた。

 彼らは妖精とクジラがいなくなったことでパニックになっていた。突然現れた蒼色の怪鳥を探す者や、地面にしゃがみこんで世界樹に祈る者もいる。戸惑い涙さえ浮かべる人々を優しい声で慰めながら、ウルトは己の下唇を僅かに噛んだ。

 

 (何故、妖精様は消えてしまわれたのだろう……。あの力はユルグの民だけに使われるべきだというのに)

 

 傍から見たらおよそ信じられないことではあるが、彼は自身の考えを少しも疑問に思っていた。ウルトだけでなく多くの大人にとって、魔法をユルグの民が独占するのは当たり前のこと。傲慢などではなく、奉仕の対価として当然の権利なのだ。

 ウルトが考え込み、大人達が騒然としている時、じっと様子を伺っている者達がいた。子供達だ。

 普段と違うただならぬ雰囲気に、怯えた様子で一箇所に集まっている子供達。その片隅で、マヤとテオもじっと肩を寄せ合っていた。

 密かに視線を交わす二人が思うのは、先程アルテミシアが使った魔法のこと。初めて見た時はとても驚いたけれど……。

 

「綺麗だったね」

「ああ」

 

 そっと耳打ちしたマヤに、テオも頷く。

 小さな妖精が使った魔法は、とても綺麗だった。それに優しかった。遠い地に住む姉の、それを届けてくれたアルテミシアの優しさを表すように。

 

「あれが、世界樹様のお力なのかな……」

 

 遥か天に聳える聖堂を見上げ、マヤが呟く。マヤはいつか「母なる樹の根」に仕える巫女になるため、神官のもとで学んでいた。しかし、未だかの樹の姿を見たことがない。ユルグでは、成人の儀を終えるまでは神殿の最奥に行くことが許されていないのだ。だから、あの紅い光が「母なる樹の根」に関係することも、ユルグの民にとってどんなに大切なものかも知らなかった。

 実際に魔法を見て、自分達が信仰するものの力の一端を知って、その美しさに圧倒された。あの優しい光が、きっと古い御伽噺のようにユルグを救うのだと思った。けれど――。

 

「マヤはどう思う? 爺さん達がしようとしていたこと」

 

 テオの一言に、マヤははっと顔を上げた。彼は表情を変えないまま続ける。

 

「多分爺さん達は、妖精様を捕まえようとしていた。ユルグから出ないように」

「そうね」

 

 マヤは頷いた。多分、テオが言っていることは正しい。長老も神官も、アルテミシアとアルバートを捕まえようとしていたのだ。恐らく、ユルグから出さないために。あの力を独占するために。

 確かに、独占したいと思う気持ちも少しは分かる。魔法にはそれだけの、人を魅了するだけの力があった。自分達は「母なる樹の根」を愛し、その生活に誇りを抱いて暮らす一方、「天空塔」というものを信仰する外の住人は傲慢な搾取者だ。ならば自分達が魔法を、人々を救うという不思議な力を独り占めしてもいいのではないかと思う。彼らが、土地の恵みを独占しようとするように。

 しかし、天空塔やユルグの外に住む人々を嫌悪する一方で、マヤやテオのような多くの子供達は大きな憧れも同時に持っていた。「母なる樹の根」を守ることに誇りはあるし、その使命を全うしてきた大人達は尊敬している。けれど、ユルグという街はあらゆることに想像を膨らませる子供達にとってあまりにも小さな世界だった。

 未だ空想の域を出ない、広い広い世界。見果てぬ空の向こうを泳ぐクジラと歌う妖精。彼らの姿を追いかけるように、マヤは藍に輝く夜空を見上げて囁いた。

 

「テオ、マヤは魔法も綺麗だと思ったけど、空飛ぶクジラも綺麗だと思ったの」

 

 零れ落ちる言葉に込められているのは、憧憬の念。無言のまま、けれど同じように空を見上げるテオに微笑み、彼女は自身に言い聞かせるように言葉を続けた。

 

「魔法を独占したいと思うおじいちゃん達の気持ちも少し分かるよ。でも、妖精様は――アルテミシア様はずっと外の世界を見つめていた。マヤ達と同じように。何かに憧れ、何かを探し続けているかのように」

 

 マヤは魔法より何より、そんな彼女に惹かれた。どこまでも進むアルバートと、遥か遠くを見つめているアルテミシアを羨ましく思った。できることなら自分も、もっと広い世界を――姉が見ているであろうユルグの外を、見てみたいと思った。けれど、それが叶わないことならば。

 

「マヤは、アルテミシア様を邪魔したくないと思ったの。彼らはクジラに乗って、世界を巡る伝説の妖精。彼らの翼は、彼らだけのもの。それなら閉じ込めてしまうより、アルテミシア様がまた来たいと思える場所にしたいなって。……駄目かなあ?」

「いや、駄目なんかじゃないよ」

 

 テオは少し笑って頷いた。無口で表情の変化に乏しいと言われる彼も、マヤと話している時はよく笑う。それが、彼女といるからだと、双子だが自分とは全然違う朗らかな笑みを浮かべるマヤに憧れているからだと、テオは気づいていた。だから、彼は繰り返し頷く。

 

「駄目なんかじゃない。例え爺さん達が違うって言ったとしても、俺はそう思うよ」

「ありがとう」

 

 テオの言葉に、マヤは花が綻ぶように微笑んだ。

 密やかな声でも、話していたら少し落ち着いてきた。大人達は未だピリピリしているようだったが、居なくなったものは仕方がないと普段の生活に戻る者もいる。次第に緩む空気に二人がほっと息をついた時、テオがゴソゴソと懐を漁りだした。

 

「そういえば、これ」

 

 現れたのは、小さな皮の小包。それを見たマヤの表情がぱっと華やいだ。

 

「お姉ちゃんからの!」

 

 アルテミシアが届けてくれた、姉からの贈り物だ。騒ぎが落ち着いたら開けるように言われていて、そのままにしていたのだ。

 

「開けてみるか?」

 

 テオが首を傾げる。マヤはもちろん大きく頷いた。中々開けることができなかったが、実のところ二人とも何が贈られて来たのかとても気になっていたのだ。

 固く結ばれた細い紐を解き、丁寧な手つきで包みを開ける。中に入っていたのは1枚の手紙、それに揃いの二つの人形だった。手紙には、懐かしい姉の筆跡で誕生日を祝う文言が綴られている。

 

 『マヤ、テオ、誕生日おめでとう。

 ずっと連絡できなくてごめんね。お姉ちゃんは元気にしているので、おじいちゃん達にもそう伝えてあげてください。あなた達もいつも健やかであることを、遠く離れた地でも祈っています。

 一緒に同封しているのは、港街アスティリエで流行っているという機械人形です。マヤは洋燈ランプを持っている方。勉強熱心なのはいいけど、きちんと明るくして本を読むこと! テオは剣を持っている方。一流の剣士を完璧に再現するって、店のおじさんが自慢していました。テオも、くれぐれも怪我しないように気をつけてね。

 どちらも良いものではあるけど、おじいちゃん達は多分嫌がると思う。だからこっそり使ってね。

 いつまでもあなた達を愛している姉、アガタより』

 

 手紙を読み終えたマヤとテオは、二つの人形をまじまじと見つめた。マヤの方は洋燈を持った少女の姿。テオの方は正眼で剣を構えた少年の姿。どちらも、ユルグにはない服装をしている。見知らぬ地の格好をした人形に、二人は俄然興味を持った。

 

「これ、どうやって動かすんだろう……?」

 

 人形をくるくると回すマヤ。テオも暫くじっと見つめていたが、不意に彼女の手を抑えると人形の首の後ろを指で指し示した。

 

「ここ、ネジじゃないか?」

「本当だ!」

 

 マヤは声を弾ませると、嬉々としてネジを回し始めた。姉の忠告を――周りに人がいるということを考えることなく。

 この時、マヤの人形が洋燈を灯すものではなかったら、後の結果は違うものになったかもしれない。

 しかし、洋燈は灯された。夜のユルグを明るく照らすように。アティリアの――魔法の輝きで満たして。

 マヤもテオも、それが魔法の輝きだとすぐに気づいた。大人達の視線に気づいて急いで隠そうとした。だが、その輝きは瞬く間に大人達の目を射抜いた。そして、二人は全く気づくことができなかった。大人達の驚愕に満ちた視線の理由も。それが、アティリアの原動力について大人達が知ったことが、どんなに恐ろしい意味を持つのかを。

 彼らは、もちろんアティリアを知っている。それは忌むべき歴史の象徴だ。上空には空飛ぶ塔が現れ、服従を要求してくる兵士は強力な武器を持っていた。それらは全て、ユルグの民が知らない技術を使っている。

 だが、彼らはアティリアの仕組みを知らなかった。人々は襲い来る兵士を拒絶し、彼らが持ち込むもの全てに対して触れることすら拒んだ。出稼ぎの子供達が送る金品や食料には関心を寄せても、彼らが見聞きした技術に関しては一切知ろうとしなかった。

 ある意味それは、良いことだったのかもしれない。彼らが無知だったからこそ、世界は偽りの均衡を保っていた。人々は天空塔を恨み、国を滅ぼした他国の民を嫌い、ユルグの国としての復活を誓っている。が、一方で彼らは今のユルグが天空塔に決して敵わないことも理解していた。だからこそ出稼ぎの辛酸を舐めてでも辛い日々を乗り越えようとし、伝説の妖精がユルグを繁栄させることを心から願った。全ては、まずユルグを再び豊かな場所にするために。それから国の形を取り戻そうと思うだけの理性が、彼らには確かにあったのだ。

 しかし、人々は知ってしまった。憎むべき敵の技術の源泉が、彼らの崇拝する「母なる樹の根」の力と同じだと。彼らだけの力を、ユルグの民だけに与えられるべき恩恵を、あろう事か敵も享受していることを。

 すぐに、ウルトは普段の生活に戻ろうとしていた人々を呼び戻した。同時にユルグの各村に伝令を飛ばした。神官の意志を――天空塔と戦うという決意を告げるために。

 血走った目は怒りに燃えていた。最早、国の復活など待っていられない。無謀でも何でもいい。今すぐティル・ノグにでもセルティノにでも攻め込み、ユルグの民だけに与えられるべき力を取り戻す。ウルトの全身がそうありありと物語っていた。

 長老に人形を取り上げられたマヤとテオは、そんな神官の姿を悲しげな瞳で見つめていた。彼らは天空塔との争いで両親を亡くしている。そのせいで、姉とも離れて暮らすことになってしまった。しかし、自らの行いのせいで、今度は自分達が攻め込む形で再び争いが始まろうとしているのだ。

 マヤは俯き、震える声で呟いた。


「どうしよう……。マヤのせいで、また沢山の人が死んじゃう……」


 ガタガタ震える華奢な肩を、テオは無言で抱きしめた。姉の手紙がはらりと地に落ちる。遠い場所で自分達のために働く彼女を思い、テオは少し考えた。

 再び、争いが始まる。ユルグが国から街になった時と同じように。きっとまた、ユルグは天空塔の圧倒的な力の前にひれ伏すのだろう。どんなに誇りを抱き、勇ましく戦ったとしても。絶対的な武力差を前にしては何の意味もなさないことをテオは知っている。両親を亡くしたあの時、肌で感じている。だから、戦うのではなく守るために自ら剣をとったのだ。

 そして、その後はどうなるのか。争いが終わった後は。多くの人が亡くなり、ユルグの民は再び復讐を心に誓うのだろうか。土地はますます貧しくなり、姉のように出稼ぎに行く子供が増えるのだろうか。

 それが本当に正しいことなのか、テオには分からない。間違っていると思ったところで、無力な子供の身では何を変える力も持っていなかった。

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