ep24. 僕達は「人形」じゃない

 天空歴九百四十四年夏の月アスティ百日未明、天空塔が原因不明の制御困難によって落下する事故が発生。天空塔全体の指揮を任されていたアレグラス大司教が懸命に塔の移動を指示するも叶わず、天空塔及びセルティノ第一、第二工場、並びにセルティノ中央局に甚大な被害が発生した。死者、行方不明者数の詳細は未だ把握できず、アレグラス大司教の行方も分かっていない。工場並びに天空塔の復興の目処も立っていない模様。

 同時刻、天空塔の主力動力源であったティルヤ族が森林クジラとともに逃亡。聖騎士を向かわせたものの、ドンディナンテの方角へ向かったきり未だ発見の報告はない。地元民の話では、「金髪の少年を見た」という噂があったが信憑性は定かではない。


                  *


 夜明けとともに厚い鈍色の雲がドンディナンテ上空を覆い、やがて霧のように細い雨が降り始めた。夏の終わりを告げる秋雨。まるでひとつの終わりを嘆き悼むかのように、ただしとしとと透明な雫が落ち続ける。

 雨に煙る森に紛れ、聖騎士が追ってくる前にアルバートはさらに山奥に移動していた。

 辿り着いたのは、古い鉱山跡。いつ頃破棄された場所なのか、近年の鉱山事業には欠かせないアティリアの動力炉は見当たらない。残っていたのは錆びた線路、朽ちたトロッコ。それに、倉庫か鉱夫が寝泊まりしていた場所であろう、屋根を失い半分壁も崩れた小屋がいくつか。それだけだった。

 ふらふらと鉱山跡に近づいたアルバートは、ほとんど家屋の形を成していない小屋の壁にもたれ掛かり、そのままどさりと座り込んだ。その姿はクジラのものではない。

 頬骨に掛かる辺りで揺れる淡い金の髪。哀しみを湛えた深緑の瞳。雨で皮膚に張り付いたシャツも、無造作に投げ出されたストラップ付きのズボンも喪服のような黒。華奢な体格にどこか虚ろな表情。それら全てが、年若い少年のもの。それが、魔物としてのアルバートのもうひとつの姿だった。

 ほんの数時間前まで、アルバートは死にかけていた。森林クジラの核である合歓の木を失い、クジラとしての形は崩れ去る運命にあった。そんなアルバートを救うため、アルテミシアは行き場を失った彼の魔力に魔物としての新たな姿を与えるという試みを実践した。

 果たして、アルテミシアの試みは成功した。彼女の望み通り、アルバートは魔物となって一命を取り留めた。しかし引き換えに、アルテミシアはもうどこにもいない。彼女は、全てをアルバートに与えて消えてしまったから。


「……」


 朽ち果てた廃墟にもたれ、泥と雑草にまみれた地面に身を投げ出したアルバートは、一切口を開かずただじっと俯いていた。その両手には枯れたひと枝のニガヨモギ。消えたアルテミシアが残したそれを、固く握り締めたままぴくりとも動かない。細い髪の毛先から雨の雫がぽとり、ぽとりと落ち、顎先からも透明な水が伝い流れていく。

 やがて、彼はぽつりと呟いた。


「ミーシャ……」


 迷子の子供のような、どこかに必死に手を伸ばしているかのような声。細やかに響いたそれは、そのまま雨音の向こうに消えた。ひと呼吸の後、初めて呼びかけても答える者がいないと気づいたかのようにアルバートが息を呑む。震える唇から堰を切ったように声が溢れた。


「ミーシャ、ミーシャ、ミーシャ、ミーシャ……!」


 繰り返し呟く声は、徐々に叫び声に変わっていった。身を切るように、或いは刻み付けるように叫びながら、アルバートは思う。どうして、アルテミシアは彼を救ったのだろう。どうして、彼女は天空塔なんかに追われなければならなかったのだろう。どうして、彼女は消えなければならなかったのだろう。どうして――。


(どうしてミーシャは、僕を置いて逝ったんだ!!)


 アルバートは、ずっとアルテミシアと一緒にいたかった。アルテミシアこそが救われるべきだった。あの時確かに願ったのだ。ずっとアルテミシアの味方でいたいと。ずっと一緒に旅をしたいと。傷ついたアルテミシアから話を聞いて、慰めて。またいつもの笑顔を見せてくれるようになったら、世界の彼方までもずっと一緒に旅をし続けたい。それがアルバートの願いの全てであり、魔力でも何でもなく紛れもない本心だった。

 そう、アルバートも気づいていた。己の魔女を求める心が、魔力によって作られたものだと。彼の本当の姿は一本の樹木。本来ならば生きるための本能しか持たない心に与えられた仮初の願いだと、ティルヤ族の家であり乗り物となるために掛けられた魔法だと、もう彼も分かっていた。

 けれど、それでもアルバートは願ったのだ。魔力は心。魔法は願い。作られた心はアルバートの中で刻々と変化し、いつの間にか彼自身の心を生み出していた。

 アルテミシアは最期、アルバートの自由を願ってくれた。何にも縛られず、どこまでも自由に空を飛んで欲しいと。だが、その空にアルテミシアがいなくてどうするというのだろう。そう嘆くほどに彼女が大切だったのだと、アルバートはようやく気づいたのだった。

 しかし、アルテミシアはもうどこにもいない。ただ故郷を探していただけの優しい少女は、大人の都合に翻弄され、人形のように扱われ、涙混じりの微笑みを遺して消えてしまった。その心も優しい魔力も、もうアルバートの中にしか残っていない――。

 そこまで考えて、アルバートははっと顔を上げた。最早名前とも叫びともつかないものとなっていた声が止む。涙に濡れた瞳を、彼はゆっくりと閉じた。自分の心の奥底を覗き見ようとするかのように。


(そうだ。。ミーシャの心は、僕の中にあるんだ)


 あの時、アルテミシアが言っていたではないか。自分の魔力を全てアルバートに与えると。魔力は心。アルテミシアの心はここにあるのだ。ならばアルテミシアがアルバートを魔物として復活させたのと同じように、

 再びアルバートが目を開ける。深緑の瞳には、燃え盛る決意の炎を宿していた。

 そうだ。アルテミシアの魔力はここにある。その魔力の、心の全ては、彼女だけのものだ。アルバートの願いでもって、アルテミシアを取り戻すためのものだ。

 アルバートに魔法は分からない。本当に彼女を取り戻すことができるのかも確かではない。けれど、それでも必ず方法を探し出す。今度こそ二人で、自由に生きるために。

 雨はいつの間にか小降りになっていた。しかし頭上には、未だ世界を覆い隠すような厚い雲が広がっている。一寸先も定かではない薄暗い森の中で、それでもアルバートは壁に手を付くようにして立ち上がった。握り締めていたニガヨモギがバラバラと地に落ちる。しかしそれには目も向けず、ただ雲の向こうにあるであろう光を睨みつける。静寂に包まれた鉱山跡に、傷つきながらもはっきりとした声が響いた。


「僕達は『人形』じゃない」


 それは、反逆を誓う言葉。

 アルテミシアもアルバートも人形じゃない。ちゃんと自分だけの心と願いを持っている。誰かの利益のために利用されて、己の願いさえも歪めさせられて、そうして傷ついて死んでいくために生きているのではない。

 だから、もう二度と誰にも指図されない。誰が決めたレールも歩いて行かない。もしアルテミシアが消えることもどこかの神が決めた運命だというのなら、神にだって抗って彼女を取り戻す。自分達の道は自分達で決める。その果てにどんな未来が待っていようが、それは己しか知らないものだ。


「僕はミーシャと一緒に、僕達の自由を手に入れる。そのためなら、何だってしてやるさ」


 己に刻み付けるように呟き、確かめるように一歩踏み出す。糸引くような細い雨の中、アルバートの姿は木立の向こうに消えていった。

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