第二章 Albert

inter4. 約束の結末は

 アルバートが雨降るドンディナンテをふらふらと移動していた頃、セルティノもまた、冷たい雨が降り注いでいた。

 断続的に続く怒号と悲鳴。崩れ落ちた建物。散らばる紅い石と何かの部品。半身を瓦礫の下に沈めたまま白目を剥いた死体。焼け焦げた誰のものとも分からぬ手足。引き起こされた惨状の全てを包み込むように、ただ静かに雨は降る。

 そろそろ昇るはずの陽は厚い雲の下。幾多の悲鳴も、崩れた神の塔も、照らすものは何もない。

 闇と雨に沈む「天空塔だったもの」の一角で、ヴァンデは全身を雨に晒したままじっと項垂れていた。

 だらりと伸ばした腕の先には、一振の美しい刀。握り締めた柄は鈍く藍に輝き、抜き身の刃はひとりの女性の心臓を正確に刺し貫いている。

 純白の豪奢なドレスを真紅に染め、見事な金色の髪を儚く地面に散らした「天空神ティルテリア」と呼ばれていた女性。彼女の顔に手を伸ばし、光を宿さない深緑の瞳を閉じさせながら、ヴァンデはぽつりと呟いた。


「これで良かったんだろ、ティア」


 雨音に紛れるほど幽かな呟きに、答える声はない。当然だろう。答えるべき人の魂は、既に彼自身が奪ってしまったのだから。

 それでもヴァンデは、愛しい人の死体の前で虚しい独り言を続ける。


。天空塔を墜とし、お前は俺の手で殺した。あいつらの思惑通りに。……お前の、望み通りに」


 低い呟きに、僅かに嗚咽が混じる。もう何度も繰り返したこと。今更泣くようなことではない。それでも虚ろな真夜中色ミッドナイトブルーの瞳が涙で溢れるのは、やはり相手がティルテリアだからだろうか。

 ずっと、ヴァンデはティルテリアを殺したくなかった。殺さずに済めばいいと思っていた。しかし、もうどうしようもないと分かった時、彼女自身が望んだのだ。そして、約束は交わされた。

 あの日から、ヴァンデは約束のためだけに生きてきた。そのためなら、誰を騙すのも裏切るのも躊躇しなかった。だが、良心が痛まなかったわけではない。

 特に、アルテミシアと彼女を守るアルバートを見ている時は、自分がしていることが本当に正しいのか何度も悩んだ。アルテミシアがティルテリアに似ているのは勿論だが、事情を知っているにも関わらずアルバートが本当に健気に見えたので。

 最初にアルテミシアに話したことは殆ど本音だ。アルテミシアとアルバートがこの国で幸せでいてくれたなら、自分達も救われると思った。例えそれが、瞬きほどの短い間だとしても。

 他にも、彼らを見ていると何故か本音がポロポロ零れた。まるで昔の自分達を見ているようで、彼らならヴァンデ達では掴めなかった幸せな結末も見つけられるような気がして、何度もするべきことを躊躇った。

 しかし、最早ヴァンデに選択肢はない。、ひとつしか残されていない。だからこそずっと計画を進め――その結果が、「これ」だった。

 ヴァンデは、震える腕で刀を鞘に戻した。強ばる顔を無理矢理笑顔にし、いつもの口調を意識して囁く。


「じゃあまたな。……おやすみ、ティア」


 未練を断ち切るように背を向けた時、不意に誰かと視線が合った。顔をしかめたヴァンデは、相手を思い切り踏み潰す。

 その足の下にあったのは、「アレグラス大司教」と呼ばれた男の頭だった。

 アレグラス自身は、瓦礫に潰されあちこちに殴られ蹴られの跡を作ってとうの昔に絶命している。それでもヴァンデは、まだ足りないというように足に力を込めた。

 憎い天空塔。中でもアレグラスは絶対に許せなかったが、一番に憎むべきなのはこの世界そのものだ。だからこそ「約束」と同時にヴァンデの望みも叶うよう行動し続けた。

 約束は果たされた。しかし、望みが叶ったか分かるまではまだ時間が足りない。それまでは、この地から離れるべきだろう。


(俺を見つけたら、烈火の如く怒りそうな奴らもいるしな……)


 森を背負ったクジラともうひとり、腐れ縁の魔法使いを思い出してヴァンデは苦笑した。

 小降りになった雨の下、蒼色の翼を広げたヴァンデが飛び立つ。巨大な蒼の羽根が一枚、ふわりとティルテリアの胸元に残され鮮血に染まった。

 彼が世界を巡り、再びホーラノアに戻るのはそれから約四年後のことになる。四年もの間ホーラノアはどうなるのか、果たしてヴァンデの望みは叶うのか。この時はまだ、誰も知らないことであった。

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