ep25. 暗黒の時代、最悪の再会

 天空塔が墜落した事故から、既に四年もの月日が経過していた。

 「楽園の墜落」と呼ばれた事故をきっかけに、この四年間、ホーラノアの情勢は大きく様変わりした。

 常に上空を浮遊していた天空塔は未だ地に堕ちたまま。大陸最大の工場を巻き込んで崩壊した時、最大の動力源も多くの優秀な魔技師や魔術師も失われ、四年が経った今も復興する目処が立たない。幸いにもアレグラス以外の大司教は各々天空塔から出払っていたため無事だった。が、瓦礫と化した天空塔からは、最早人相すらも判然としないアレグラス大司教の頭部が発見された。同じく塔にいたはずの天空神ティルテリアの遺体はどこにもなく、血で染まり斑に黒くなった純白のドレスと豪奢な装飾、それに一枚の蒼い羽が遺されているのみだった。

 生き残った大司教と天空塔関係者は、アレグラスとティルテリア、他多くの犠牲者の死を悼み、彼らの功績から鑑みれば余りにも細やかな葬儀を行った。というのも、天空塔の墜落とは別に、更に大きな問題をこの時ホーラノアが抱えていたからだ。


 ――それは、南方の街ユルグの民による反乱。


 ユルグの民は圧政と信仰の弾圧を厭い、彼らの神を旗印にホーラノアの政治を牛耳る天空塔に反旗を翻した。今まで幾度となく勃発しては、圧倒的な力を持つ天空塔によって返り討ちにされてきたこと。今までのホーラノアの民や天空塔関係者ならば、そう楽観視していたことだろう。しかし、今回はタイミングが悪過ぎた。最大の研究施設と工場、多くの術者やアティリアを失ったことで、大きく力を削がれた天空塔は対抗する術を持たなかった。ユルグの民はティル・ノグやセルティノで暴動を繰り返した。同時に、ユルグの暴動の陰に隠れるように天空塔関係者を殺害して回る人物も確認され、恐れをなした大司教や高位の神官はティル・ノグの研究施設に閉じこもり、復興は益々遅れることになった。

 ユルグの鎮圧と諸々の設備の復興に手間取った天空塔はその他の生産が追いつかず、信者に配られるはずの魔力の影響を抑える薬も不足するようになった。人々の不満が募って信者は減り、不満を抑えるために奔走する街の長たちは、「母なる樹の根」による独自の魔力無毒化の術をもつユルグに目をつけ、彼らに加担しようとする者も現れた。

 こうして「いつもの」と思われた小さな反乱は様々な要因が重なり、やがて大陸全体を巻き込んだ泥沼の戦争に発展した。


 俗に言う「ホーラノア暗黒の時代」の、幕開けである。


                *


 幾ら世界の情勢が闇に侵されても変わらないものがあるとすれば、それは強い信念だけだろう。例えるなら、もう一度大切な人に会いたいだけのクジラの少年のような。

 四年前、森林クジラとしての身体を失いながらもアルテミシアによって魔物の身体を与えられたアルバートは、彼女を復活させる方法を探してホーラノア中を旅していた。

 最も手っ取り早く、且つ一番話をしたかった相手は「渡りの魔物」であるヴァンデだったのだが、ホーラノアを出てしまったのかどこを探しても見つからない。ツァイトも連日どこかに出払っているらしく足取りが掴めない。彼の協力が得られないとなるとティル・ノグの図書館に入ることもままならず(一度侵入はしてみたがあえなく退散することとなった)、他にも手がかりがないかと街を巡ってはいるが、何も成果を得られずに終わる虚しい日々を過ごしていた。


「それでも、俺は必ずミーシャを取り戻すんだ」


 誰にともなく呟き、アルバートが小さな拳を握り締める。その姿は四年前とは随分様変わりしていた。

 魔物なので、身長や体格に目に見える変化はない。しかし深緑の瞳は凄みを増し、着ている服は暗色の外套マントルが追加されてどれも四年分くたびれている。外套の内側、ズボンのストラップには小さなホルスターが下げられ、ハンドガンタイプの魔銃が収められている。

 普通の魔銃はアティリアを燃料に、魔法で作り出した弾丸を打ち出すための装置だ。しかし、「森の魔物」として潤沢な魔力に恵まれるアルバートはアティリアを使わず、己の身に貯めた魔力を燃料に魔銃を使用する。本来、彼は魔物としての自身の特性により樹木のように魔力を貯蓄、循環させることに長け、魔銃など使わずとも己の身ひとつで魔力でも何でも打ち出すことぐらい造作もないのだが、全ては魔物と悟られず人間に擬態して生きるための策だった。

 魔銃を含め、魔物のアルバートに様々な「人に紛れて生きる術」を教えたのは、大陸北西の巨大湖の街ヴィネッテリアで出会った旅人の風貌をした自称魔獣研究者の男だ。ホーラノアではあまり見ない幅広帽と丈の短い鮮やかな色合いの衣が示す通り、南方の国から調査に来ていた異国人である。彼は突然アルバートに縄を投げると、それを掴んだ相手を見て目を見開いた。


『うわ、人間? 変な魔力感じたから魔獣かと……。いや、お前さん魔物だな? あんまり魔力垂れ流していると危ないぞ』

『突然縄を投げてきたあんたほど危険な奴もいない』


 それだけ言ってさっさと立ち去ろうとしたアルバートを、男は慌てて引き止めた。


『そ、それは悪かった! 謝るからさ、ついでに俺と取り引きしないか?』

『取り引き?』

『そ。俺は魔獣について調べてるんだが、魔物っていうのはあまり見たことがないんだ。お前さんも、意思を持つ魔物にしては魔力の扱いが下手に見える。だからさ、人間に紛れられるくらいに魔力の放出を抑える方法を教えるから、お前の身体を調べさせてくれよ』


 男曰く、魔力を人間の力として見るホーラノアでは特に魔獣に対する扱いが悪いらしい。「魔物は分からんが、何かと物騒な世の中だし捕まって解剖とかされたらたまらんだろ」とか「俺ほど友好的で優しい奴は他にいない」とか言う彼をアルバートは胡乱げな目で見ていた。だが、結局「ここで断って、他の研究者に同じように絡まれたら厄介だから」という実に消極的な理由で取り引きを了承した。

 その判断が本当に正しかったのか、彼と別れた今も分からない。無駄に時間を浪費しただけのような気もするが、色々魔物や魔獣について知ることができたのも確かだ。アルバートが魔物になった経緯も聞かれて、アルテミシアの話をしたらボロボロ泣かれた。ついでとばかりに「愛する女がいる男は強くあるべきだ」と力説されて頼んでもいない戦闘訓練に付き合わされたが、魔銃はその後の旅でそれなりに役立ったので感謝すべきことだろう。……男の、「師匠と呼んでもいいぞ!」という要望は流石に断ったけれども。

 それから約二年半後、国交の存続を危ぶんだ男の祖国からの帰還命令によって長いような短いような共同生活は終わった。アスティリエで男を見送ったアルバートは、再び各地を転々とする一人旅を続けた。相変わらず収穫は乏しく、急速に状況が悪化するホーラノアを眺めるだけの日々が更に半年続いて現在に至る。

 現在、アルバートは徐々に秋が深まるドンディナンテの森に分け入っていた。毎年、夏から秋の変わり目はアルバートもアルテミシアを思い出して少し気が滅入る。特に彼女を失ったドンディナンテは普段でも滅多なことがない限り訪れないのだが、今日は訪れるだけの理由があった。「蒼色の翼を持つ大きな鳥を見た」という噂を聞いたのだ。

 その蒼色の鳥がヴァンデだという保証はどこにもない。あくまで偶々聞いた噂に過ぎないが、行ってみる価値はあると思った。何せ、今アルバートが最も会うべきと考えているのがヴァンデなのだ。


(ヴァンデには、言いたいことも聞きたいことも沢山ある)


 アルバートは、アルテミシアと旅をしていた時、二人を助ける様子を見せながらいつも意味深な視線を彼に向けていたヴァンデを思い出していた。

 アルテミシアが天空塔に行けば何が起きるか知っていたこと。それを知りながらアルバートが天空塔に行こうとしたのを止めたことを、彼は絶対に許さない。しかし怒りよりも先に、アルバートはヴァンデが何故そのようなことをしたのかを知りたいと思っていた。

 初めてヴァンデと出会った時、苦々しい顔で彼が零した「魔物の宿命」という言葉。旅の間幾度となく「俺を信じるな」「誰も信用するな」と言ったこと。アルバートに魔物についてあれこれ話した男も、どうやって魔物が生まれたのか、彼らがどのような役目を担っているかは全く分かっていないと言っていた。或いは、それを知ればアルテミシアを甦らせる方法も分かるかもしれないと考えたのだ。

 この時、アルバートは自分が冷静であると思っていた。否、思い込んでいたという方が正しいだろう。アルテミシアを取り戻すためなら、どんなに激しい怒りでも押さえ込めると考えていた。――実際には、ヴァンデのことを思い出す度にマグマのように自分でも制御しきれない暗い熱が溢れようとするのにも関わらず、だ。

 だが、自身の感情を取り繕っていられたのもヴァンデに実際に会うまでの話である。楡の大木にもたれて一振の美しい刀を弄んでいた蒼い髪の男を見た瞬間、アルバートの視界は真っ赤に染まった。

 一方のヴァンデはアルバートを見て肩を竦めると、刀を放り投げて苦笑した。


「よう、久しぶりだな、アルバート……っとぉ?!」


 気安く話しかけてくる彼の話を最後まで聞くことなく、抑えきれなくなったアルバート魔力がヴァンデに牙を剥く。魔銃を使うことも忘れ、全身から這い出した蔓が周囲の木々を打ち据える。

 四年ぶりの最悪の再会を、血のように紅い夕陽だけが見下ろしていた。

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