ep26. 詰め寄る弾丸

 森の魔物であるアルバートが魔力の循環と放出を得意とし、さながらヒトが魔法を使うように魔力を扱えるように、ヴァンデも渡りの魔物として他の魔物にはない特技がある。それは、圧倒的な敏捷性だ。

 ヴァンデの本質は風。優雅に広げた蒼翼は自由のみを友とし、世界を巡る彼を捉えることができる者は誰もいない。それは、魔物となり大きな力を得たアルバートと相対した場合でも同じ。もしヴァンデがそうしようと思ったならば、無数の蔓をひとつも己に触れさせることなく相手の懐に飛び込むくらい何の造作もなくやってのけるだろう。

 だが縦横無尽にうねり無差別にドンディナンテを破壊するアルバートの蔓は、ついにヴァンデを捕獲した。本来有り得ないであろうことを可能とした理由はただ一つ、ヴァンデの方に逃げる意志が欠片もなかったからである。

 地面に捨てた刀を拾うこともせず、ろくな抵抗もしないまま吊り上げられるヴァンデを見ても、アルバートの怒りは収まらなかった。彼はヴァンデを戒める蔓に更なる魔力を込めながら、ホルスターに下げていた魔銃を二丁同時に引き抜いた。左手に一丁下げたまま、右手に構えたもう一丁の銃口をヴァンデに向ける。

 目の前に拳銃を突きつけられても、ヴァンデは少しも怯まなかった。どこか面白がるような瞳で魔銃を操るアルバートを眺める

 

「へえ、物騒なモノを使うじゃないか。誰の入れ知恵だ?」

 

 にやりと挑戦的に上がる口角。その頬スレスレにアルバートは無言で弾丸を打ち込んだ。流石にびくりと顔をひきつらせるヴァンデをぎりっと睨みつける。

 

「答えろ。どうしてお前は天空塔を知っていて、ミーシャにそこに行くように言ったんだ」

 

 鋭い問いかけ。しかしアルバートが「ミーシャ」と言った時、その声が震えたことに、蔓の締めつけが強くなったことに、ヴァンデは気づいていた。

 四年の月日を経ても忘れえぬアルテミシアへの想いが、アルバートの銃把を握る力を強くする。引き金にかけた指が震えるのを何とか抑え、彼は絞り出すような声で繰り返した。

 

「答えられるものなら、教えてくれ。どうして、ミーシャが死ななければならなかったのかを……!」

 

 それは、アルテミシアを失ってから何度も自分に繰り返した問いかけだった。

 アルバートは、アルテミシアに生きて欲しかった。一緒に生きたかった。たとえ自分も彼女も作り物の命で、世界の誰もがその自由な生を認めないとしても。

 長い流浪の中で、アルバートも僅かながら「ティルヤ族」のことや天空塔が彼らにしていたことについて知る機会を得た。四年前の事件で死んだアレグラス大司教はティルヤ族の研究と銀ティルヤの開発の第一人者だったので、その研究内容は彼の大きな功績としてあちこちで語られ、情報を得るのは容易い。そうでなくとも、アルバートはアルテミシアを取り戻すため調べられることは片っ端から調べたのだ。天空塔がアルテミシアとどのように接していたのかや、「偽りの女神の夢」というおぞましい装置の存在を知るまでに時間は掛からなかった。

 あの日、青ざめて生気を失っていたアルテミシアを思うと胸が痛む。たったひとりで残酷な真実に相対させてしまったのが悔しく、今でもどうしてついていかなかったのかと後悔が押し寄せる。そして彼女は何もかもに絶望したまま、アルバートのためにあっさりとその命を手放してしまった。

 

 (俺は、認めない。あれがミーシャの運命とは死んでも認めない。必ず何もかもひっくり返してやる)

 

 アルテミシアもアルバートも誰かに作られて、誰かに利用される運命だというのなら。そんなものが彼女の死んだ理由だというのなら、アルバートは絶対に認めない。必ずアルテミシアを取り戻して、運命でも何でもひっくり返してみせる。そのためだけに彼は四年間生きてきたのだから。

 アルバートの強い意志を宿す瞳を見て、ヴァンデは口元の笑みを消した。暫く明後日の方角を見て唸っていたが、やがてぼそっと呟いた。

 

「アルテミシアのことは、悪かったと思っている」

 

 突然の謝罪に、アルバートは僅かに瞠目した。ヴァンデが決まり悪そうに目を逸らしたまま唇を噛む。

 謝ることに意味がないというのは、ヴァンデも分かっていた。アルバートが納得するはずがない。自分が彼の立場であってもそうだろう。だから、この謝罪はただの自己満足だ。

 自己満足と知りながら、ヴァンデはまず謝りたかった。大切な人を失った悲しみは、彼が一番良く知っているから。

 その上で、ヴァンデは揺るぎない覚悟に満ちた目をアルバートに向けた。

 

「だが、俺には他に選択肢がなかった。誰を犠牲にしようと、あいつとの約束を果たすと決めていたからな」


 ヴァンデの言葉に、アルバートはぴくりと肩を動かした。また、「約束」。思えばヴァンデと話すとき、いつでも彼はそう繰り返したものだった。


「……それは、誰とのどんな約束なんだ」


 今まで幾度となく疑問に思い、けれど一度も聞いたことがなかったことをアルバートは初めて口にした。

 ヴァンデは言葉を探すように口を開いたり閉じたりしていたが、やがてぽつりと呟いた。


「ティア……ティルテリアとの約束だ。俺とティアが交わした、最初で最後の約束だ」


 喘ぐような声は、何かを求めて伸ばす腕のように切なげで。


「天空塔を破壊し、大司教達の横暴を止め。――、な」


 ――あまりにも悲しい決意に満ちていた。


「……っ?!」


 驚きで言葉を失うアルバートに、ヴァンデは僅かに目を細めて自嘲するように哂った。


「それが、俺の宿命なんだ。魔物としての」

「それ、前にも言っていたけどどういうことなんだ?」


 アルバートは、思わず強い口調で問い詰めていた。瞳が困惑で彩られている。


「魔物って、一体どういう存在なんだ? 俺は魔物になった。ミーシャの願いを受けて、『森林クジラ』から『森の魔物』に変わった。でも俺は、まだ魔物がどういった存在なのかを知らないんだ」


 魔物になって、変化はあった。人の身体を得たこともそうだし、できることも増えた。世間一般に認知されている程度ならば、魔物というものについても知っている。魔獣と比べて圧倒的に数が少ないこと、高い魔力を有していることはあの鬱陶しい魔獣研究者が話していた。触れた文献には、魔物がそれぞれ自分の性質に合わせた特技を持っていると書いていたことを覚えている。

 だが、アルバートはヴァンデのいう「魔物としての宿命」を知らない。彼が何度も繰り返す逃れられない宿命というものを、魔物になって四年が過ぎても未だに実感したことがないのだ。魔物はどうして生まれ、どのような宿命を課されているのか。アルバートの知らない己の宿命というものは、アルテミシアの復活という願いと相反するものなのか。だとしたら、誰が決めているというのか。アルバートは知りたかった。もう二度と、誰かに指図されることなく生きるために。未だ己を縛るものがあるというのなら、その軛を壊すために。

 ヴァンデは真っ直ぐに疑問をぶつけるアルバートを真夜中色ミッドナイトブルーの瞳で見つめていたが、やがてため息のように呟いた。


「……、俺はここにいるんだよ。魔女と魔物のことも、ティアとの約束も、ティルヤ族と森林クジラのことも、全部」

「ぜん、ぶ……?」

「ああ」


 アルバートの声が戸惑いに揺れる。ヴァンデはぶっきらぼうに頷き、北の空を睨みつけた。


「多分は、アルテミシアを魔女にしたいと思っている。俺の役目はそのためにお前を説得することだと思うが……俺は、奴らが嫌いだからな。お前を説得しようとも示唆しようとも欠片も思っていない。けど、アルバートが知りたいって思うのなら俺は何でも話す。どうするか決めるのは、お前自身だ」


 アルバートは困惑していた。無理もないだろう。何も知らない彼にすぐに決めろという方が酷だ。少し時間をやりたいが、とヴァンデは周囲を見回した。


(この場所は、ちょっとまずいよなあ……)


 アルバートを呼ぶためとはいえ、情報を撒きすぎた。同じくヴァンデを血眼で探している「彼」が来るのも時間の問題だ。


 ――その時、不意に木々のざわめきがぴたりと止んだ。


 背筋を走る強烈な悪寒。と、同時にヴァンデは渾身の力でアルバートの蔓を破壊した。

 既に縛める力を失っていた蔓はあっさりちぎれた。地面に投げ捨てていた刀を拾って構える。突然の行動にアルバートが「おい」と非難の色を向けるが、構わず怒鳴りつけた。


「いいから伏せろ!!」


 その言葉とほぼ同時に、茂みの向こうから底冷えするような声が響いた。


「【狭間よ】」


 言葉と同時に、何かが二人の方に飛んでくる。色も形もない、を、ヴァンデは刀で叩き落とした。次いで突然襲いかかってきた術者の方を睨む。

 咄嗟にしゃがみこんだアルバートも同じ方を見て、言葉を失った。術者は知っている人物だった。が、彼が自分の知っている彼と同一人物とはとても信じられなかった。

 そこにいたのは、赤黒く汚れたローブを纏い、時計の長針に似た短杖ロッドを構えた、地獄の底を見たかのような瞳をしたツァイトだった。

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