ep27. 目を背けていたものは
まだ陽が落ちるには早い時間のはずだが、鬱蒼とした森には僅かな光も差し込まない。闇の中、対峙する二人の男の眼光だけが強い光を放っていた。
ツァイトの攻撃を避けたヴァンデは、アルバートと会った時と同じように、攻撃してきた相手に対して気安げな笑顔を見せた。
「よう、久しぶりだなツァイト。……あまり、会いたくはなかったけどな」
「俺は会いたかったですよ」
応じるツァイトの声は固い。厳しい顔の裏には、意図して感情を押さえつけているようだ。
「四年前、信じられないものを見たあの日から、貴方に聞きたいことが沢山ありますから」
一瞬、ヴァンデを睨むツァイトの視線が鋭くなった。押さえつけていたものが垣間見える。
その感情は――底知れぬ怒りと僅かな狂気。
ヴァンデは顔色すら変えなかったが、アルバートは直に視線を受けたのではないにも関わらず圧倒され、ゴクッと息を呑んだ。
ツァイトが一歩、足を前に出す。少しずつヴァンデに近づきながら、低い声で呟いた。
「そう、俺はずっと聞きたかったんです。見ただけでは、とても信じられなかった……直接貴方から聞くまでは」
二人の対峙する距離が、腕を伸ばせば届く距離まで縮まる。ツァイトがヴァンデの首元を鷲掴んで叫んだ。
「どうして貴方は、ティルテリア様を殺したんですか……!」
ヴァンデは、僅かに視線を逸らして呟いた。
「……見たのか」
「その瞬間を見た訳ではないですが。どうやら、俺の勘違いではないようですね」
ツァイトが嗤う。普段の彼からは考えられないほど不自然に。――狂っているかのように。
彼があの日天空塔の残骸から見つけたのは、豪奢なドレスを纏い胸元を血で汚したティルテリアの遺体。それに人相が分からなくなった男の頭部と、ヴァンデの蒼い羽根だった。
それだけでヴァンデを犯人と断定し追っていたツァイトに、彼は深々と溜息をついた。
「カマをかけたという割には、随分と容赦なく殺りにきていたが?」
ヴァンデとしてはツァイトの怒りは仕方のないものだと思っている。彼の推論もあながち間違いではない。確かにヴァンデは、この手でティルテリアの心臓に刀を突き刺したのだから。
それでも煽るような口調で疑問を投げかけたのは、ツァイトを多少落ち着かせようと思ったからだ。だが、ヴァンデの首から手を外し
「……正直、俺の勘違いでも構わなかったんですよ。貴方はあの現場に赴いただけだとしても、俺は貴方を許すつもりは毛頭ない。ティルテリア様が天空塔に連れていかれたにも関わらず、何もしなかった貴方を!」
ツァイトの声が激しさを増す。
ティルテリアを見つけ、信じられない思いでその変わり果てた姿を見ていたツァイトは、やがて彼女の衣装を剥ぎ取り遺体を持ち帰った。たったひとりで。
埋葬しながら、思った。どうしてもっと早くこうしなかったのだろう。どうして、ヴァンデは何もしなかったのだろう。否、彼がしないのならば自分がするだけだ。今からでは遅すぎるとしても、最愛の人のために。
――天空塔に関わる、全ての人物の抹殺を。
「天空塔は許せない。ティルテリア様を、父を殺した天空塔を堕ちたくらいで許せるはずがない。俺は、天空塔関係者を皆殺しにする」
「あれは、お前の仕業か」
ここ最近頻発していた、天空塔の関係者が次々と殺害される事件を思い出してヴァンデは溜息をついた。そんな彼を見て目を瞠ったのはアルバートだ。溜息をついたからではない。ツァイトの行動に呆れたように見せるヴァンデの表情の裏に、隠しきれない高揚を感じたからである。
――愉快で仕方がないというような、残虐さと愉悦の混じった狂ったような笑みを。
その表情にツァイトは気づかない。ただ彼は譫言のように天空塔への怨嗟とヴァンデへの暴言を繰り返す。無言で佇むヴァンデに支離滅裂な言葉と四方八方に飛び交う魔法を浴びせていたツァイトだったが、その動きを不意に止めた。杖を持った手をだらりと落とし、ぼそりと呟く。
「それでも俺は、貴方のことがそこまで嫌いじゃなかったんですよ」
「……っ」
それまで余裕を保っていたヴァンデが、初めて小さく息を呑んだ。ツァイトがほろ苦く微笑む。
「貴方がティルテリア様の傍にいたことには釈然としないものがありましたが、彼女は幸せそうだった。俺も、貴方と過ごした日々はそんなに悪いものでもないと思っていました」
ヴァンデとツァイトの付き合いは、そう短いものではない。まだツァイトの父親が生きていた頃から、ティルテリアも交えて三人でいつも一緒に過ごしてきた。幼くもティルテリアにくっついて離れないツァイトと、どこからともなく現れては彼をからかうヴァンデ。会えば必ず口喧嘩になる二人は、それでも互いの存在を認めていた。
だからこそツァイトは、ティルテリアの遺体の傍に見覚えのある蒼い羽根を見つけた時己の目を疑った。あの時、その可能性を一番信じたくなかったのは、他ならぬツァイト自身だった。
思えば、ツァイトはいつも目を背けていた。ティルテリアが天空塔に連れ去られてから、たまにヴァンデが現れても、彼も自分と同じ思いだと信じていた。何を考えているのか分からないのはいつものことだけれど、きっと彼もティルテリアを救おうとしているのだろうと。あの日、ティルテリアの傍にいたのはヴァンデだというのに。
ようやく全てが見えたと思った。愛しい人を一番の親友に殺されて、初めて見ようとしなかった――見ることを拒絶していたものが見えたと思った。だから、ツァイトはヴァンデに杖を向ける。歪に口角をつり上げて、狂った敵意を。
「ヴァンデのことは嫌いじゃない。でも、貴方がティルテリア様の仇だというのなら――俺が、貴方を殺します」
悲痛な声に、ヴァンデは少し笑った。それは、虚ろで乾いた笑みだった。
「殺せるものなら、終わらせてくれ。……俺の、
「えっ」
ツァイトが目を見開く。その隙に、ヴァンデはアルバートの腕を掴んだ。長髪を揺らして、背中に見事な蒼翼が広がる。
「お、おい。ヴァンデ何を」
突然のことに戸惑うアルバートを、ヴァンデは無言で黙らせた。音もなく上空に浮かび上がった彼は、呆然としているツァイトを見て目を細めた。
「俺を殺したいならティル・ノグに来い。……多分、隠れている大司教もそこにいる」
「なっ?!」
唐突な言葉に驚きを顕にするツァイト。ヴァンデは薄く笑って囁いた。
「そこで、俺もお前に何もかも話そう。――それが終わったら、俺を殺してくれ」
最後の呟きは、ツァイトに届いたのか。
木の葉を巻き込み天へ駆け上る風。闇を切り裂く強風に紛れ、どこかへ去っていくヴァンデをツァイトは襲うのも忘れて見送った。
彼は、まだ知らない。隠された真実を。ヴァンデがツァイトに何も言えなかった理由を。
――まだ目を背けていることがあるという事実に、この時のツァイトは気づいていなかった。
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