ep30. 闇夜の星に願う
アルバートがウィステリアでヴァンデと話していた頃、ツァイトはティル・ノグに到着していた。
前と同じように魔法で移動したので、時間はそれほど経っていない。しかし既に陽はどっぷりと暮れ、最後に稜線から放たれる真紅の閃光がかつての「地上側の都」を染め上げる。
かつては互いにしのぎを削る小国の頂点の一角に君臨し、大陸が統一された後も内包する数多の知と静謐さでもって人々の畏敬の念を集めていたティル・ノグだったが、繰り返し激しい戦闘の舞台となった街はすっかり様変わりしていた。
一歩足を進めるごとに、耳をつんざく罵声と叫声。他者を嘲笑うだみ声は、助けを求めるか細い悲鳴は、天空塔とユルグどちらのものなのか最早判然としない。理路整然と並んでいた白亜の建物は大半が瓦礫と化し、半分崩れ落ちながらも何とか建っている幾つかの建造物を互いの軍が勝手に占拠したことで、現在ティル・ノグは両者の支配で混沌とした、一触即発の危険地帯となっている。両陣営は互いに人質をとり、牽制し合うことで自分達の優位性を維持しようとしていた。
繰り返される惨事に目を向けることなく、ツァイトは荒れ果てた街を闊歩する。荒みきった
「どうかお助けください、ご主人様! あたし達が何をしたというのです」
腕を荒縄で縛られ、両足首に枷をつけられながらも恰幅の良い神官姿の男の前で頭を垂れ、小さな額を地面に擦りつけながら懇願する
恐らく、ユルグから出稼ぎに出て神殿で働いていた娘なのだろう。彼女のような者はホーラノアではそう珍しいものではない。ツァイトも、大商人の屋敷の外にいたユルグ出身の娘が小さく肩を揺らしてお辞儀をするのをアスティリエで何度か見ている。好きにこき使っていた下僕がユルグ出身というだけで無慈悲に断罪するというのも、このご時世そう不思議なことではないだろう。神官が総じて己の私利私欲に塗れているなら特に。
本来ならティル・ノグの現状と同じく無視を決め込んで通り過ぎる状況にツァイトが足を止めたのは、極めて打算的な理由があった。
(教会お抱えの侍女なら、何か情報を持っているかもしれない)
実際のところ、ツァイトはこれから先の行動に当てを見い出せずにいた。街をぐるっと巡ったところでヴァンデの姿はどこにもない。どうせいつものように唐突に現れるだろうから、その前に隠れている大司教を探そうと思うのだが、ティル・ノグの現状を見る限り簡単に見つけられるとも思えなかった。
彼らの潜伏先として、一番可能性が高いのはティル・ノグのシンボルである大図書館。天空塔にとっても重要な建物であり、情報収集を目的にするとしても興味深い場所である。しかし、重要な拠点である分警備も厳重だ。特に最下層へ向かう扉は、アルテミシアがいた時ならともかくツァイト程度の魔法技術では到底歯が立たない。
一方教会は、それそのものが小さな要塞であり避難所のようなものだ。通常幾つもの倉庫や隠し部屋を持ち、地下に道が続いているのも見たことがある。人々と貴重な魔法の資料を守るという名目で作られた頑丈な建物は、神聖さを出しつつ人には見せられないようなことを隠すため複雑に入り組んだ構造をしていた。その内部を完全に把握しているのは、教会のかなり重鎮の者だけだろう。
一介のメイドが、どの程度教会内部を把握しているかは定かではない。それでも、助け出したお礼に知っていることを聞かせてもらうというのは中々現実的な考えだと思った。
ツァイトが騒ぎの渦中に足を向ける。突然現れた謎の男を見て、神官達は皆不審げに眉を寄せた。が、「同族殺しの魔術師」として名が広く知れ渡ってしまった弊害だろう。ツァイトの顔を知っていたらしいひとりが血相を変えて叫んだ。
「お前、噂の裏切り者か! 悪魔に心を売り渡し、同族を殺して回る時計塔の魔術師!!」
「……俺は裏切ったとも、お前達天空塔の奴らを同族とも思っていませんよ」
いつの間にか誇張され随分大層なことになっている噂にため息混じりの返事をしつつ、ツァイトはまた一歩足を踏み出した。神官のお抱えか、あるいは騒ぎを聞きつけ集まってきたのか、彼の目の前に何人もの聖騎士が立ち塞がる。だが、針山のような殺意を向けられてもツァイトは少しも動じない。ただ僅かに目を細め、右手に隠し持った杖を小さく揺らして囁いた。
「【狭間よ】」
呟きと同時に、音を立てて空気を切り裂く波動が聖騎士を襲う。亜音速で四方八方から攻撃を仕掛ける不可視の波動に、騎士達は為す術もない。避けるどころか受け流すことさえ許されず、全員が胴から夥しい血を噴出させて倒れた。
「凄い……」
捕らえられていた少女が、状況も忘れて茫然と呟いた。一方、彼女を折檻していた神官は真っ青になってその場に尻餅をつく。豪華な衣装を纏った小太りの身体はガタガタと震え、滝のような汗を流しながら口の端を引き攣らせて言った。
「その魔法は何だ?! 何故、たかが時の魔法でそんな騎士に勝る戦闘力を得られる……?! あのオズワルド様とて、他人と争うような魔法はお嫌いだと仰っていたのに……」
ツァイトは、神官の未練がましい言葉を涼しい顔で聞き流していた。が、突然出てきた父の名前にぴくりと眉を動かした。
父が攻撃魔法を嫌っていたことも、彼に教わったツァイトの魔法が戦闘に適さないことも良く知っている。父が作り上げた魔法が汚されてしまうことに罪悪感を覚えながらも、ツァイトはそれを攻撃手段として使うことを決意したのだ。全てを破壊し、奪い傷つけてきた者達に報いを受けさせるために。
しかし、何故神官ごときが父を知っているのか。何故一介の天空塔の関係者が滅ぼした国ウィステリアの大賢者の魔法どころか心情まで詳しく知り、「オズワルド様」と尊敬と親しみを込めた呼び方をするのだろうか。
(父は、天空塔と何か関係があった……?)
父が、或いはウィステリアそのものが天空塔と何らかの関係があったとすれば、神官の言っていることは辻褄が合う。だがツァイトは首を振り、己の考えを即座に否定した。
(有り得ない。天空塔は侵略者だ。奴らは己の私利私欲を満たすために父を殺し、ティルテリア様を奪い、俺の故郷を滅ぼしたのだから)
恐らくこの神官は、自分と同じウィステリアの出身なのだろう。どんな手を使ったのか、或いは魔法の才にとても秀でていて重用されたのか、天空塔に従属した後神官の地位を得たのに違いない。
そう考えたなら、同郷のよしみとして少しは同情もできよう。だが、ツァイトは無言で神官の首元に杖を突きつけた。仇に与えられた地位に溺れ、魔法使いとしての誇りを忘れて他者を虐げる愚か者をウィステリアの民とは認められない。せめて苦痛を感じさせることなく殺してやることが慈悲というものだ。
しきりに化け物と罵る神官に、ツァイトは氷のような視線を向けた。薄い唇から小さな言葉が漏れる。
「貴方のことは忘れません。俺は時の賢者オズワルドの息子、ツァイト・ディア・オズワルド。己のしたことを悔いるのならば、地獄へ堕ちる前に父とティルテリア様に謝るように」
別れの挨拶は、聞こえたか否か。
一瞬の後には、神官は両目を驚愕で見開いたまま全身を無数の波動に引き裂かれ絶命していた。
「ふう……」
ひと仕事終えたツァイトは、小さなため息を吐いて杖をしまった。突然始まった目の前の惨事に、捕らえられたまま言葉も出せずにいた少女にかつかつと歩み寄る。
枷を破壊し荒縄を解いてやると、彼女は小さく頭を下げて礼を述べた。その華奢な肩はガタガタと震えている。
助けられたのにしては反応の乏しい少女に首を傾げながらも、ツァイトは当初の予定通り彼女に大司教の潜伏先や教会内部について尋ねた。
少女は、大司教が隠れている場所は知らないと言った。しかし、最近教会の礼拝堂の地下室に珍しい物が運ばれていると言う。
「普段はただの通路なんですけど、天空塔の残骸から見つけた重要な資料や遺物を置く場所に困っているそうで」
一時的にティル・ノグの教会を保管場所にするということで、運ぶのを手伝ったことがあるという。
鍵が掛かっているのではないかと問うと、彼女は鍵は神官が持っているだろうと話した。天空塔にあった資料という思わぬ収穫に口元の笑みを隠せないまま、体温を失い死後硬直を始めた神官の死体を漁る。無駄に装飾が多い衣装の内側から何とか金色の鍵束を見つけ出したところで、背後から少女がツァイトに声をかけた。
「あたしも、幾つか貴方にお聞きしたいことがあります」
ツァイトは何も返事をしなかったが、視線だけを少し少女の方に傾けた。それを了承と受け取ったのか、彼女が再び口を開く。
「あたしの弟と妹がユルグにいるんです。お役目があるから国を出ていないとは思うんですが、心配で……。何か、どんな些細なことでもいいので聞いてはいませんか?」
必死な少女の言葉に、ツァイトは知らないと小さく首を振った。目に見えて落胆する彼女を見て、「でも」と呟く。
「でも、ユルグそのものが酷い攻撃を受けたという話は聞いていません。……まあ、時間の問題だとは思いますが。そんなに心配なら、早めに帰ってあげたらいいと思いますよ」
突き放したような口調ながら、その言葉は思いの外優しい。神官達を皆殺しにしていた時とは全く違う態度に、少女は驚いた。
「ありがとうございます。……あ、あの」
お礼をした口が、他にも何か言いたそうに口ごもる。ツァイトが「何?」と続きを促すと、少女は暫く口をもごもご動かした後二回大きく首を振り、それから深く頭を下げた。
「どうか、お気をつけて!」
ツァイトは不思議そうに小さく首を傾げた後、一応小さく礼を返して鍵束を手に教会に入っていった。
その姿を見送った少女は、教会の壁にもたれてそのままズルズルとしゃがみ込んだ。緊張が解けると同時に、身体中から嫌な汗が吹き出る。
彼女は、かつてアルテミシアとアルバートと出会ったあのアガタだった。運命的な偶然でアルテミシアに出会い、魔法というものの美しさを知った彼女は、ツァイトが攻撃に使った魔法の恐ろしさに震えた。昨日まで普通に仕えていた主人に訳も分からず捕まって折檻を受けるよりも、ずっと怖かった。それこそ、恨みや憎しみしか込められていないかのように。
(本当は、もっと色々聞いてみるつもりだったけれど)
本当は、どうして戦っているのかとか、大司教を探しているのかとか、聞いてみたいと思っていた。
アガタは争いが嫌いだ。両親は天空塔との戦争で死んだし、大切な故郷も度重なる諍いで何度もボロボロになった。ユルグの民の誇りは大事だけど、それでも争いはしたくない。だから、あんなに無感動に他人を殺せる人の気持ちを聞いてみたいと思ったけれど。
彼も、本当は戦いたくないのだと分かってしまった。別に人を殺すのなんて好きじゃないけど、悲しくて悲しくて仕方がないから戦っているのだと。本当はとても優しい人なのだと、その細い身体を見て、不器用ながら優しい言葉を聞いて感じた。だから、何も言えなくなってしまったのだった。
よいしょっと、勢いをつけてアガタが立ち上がる。視線は、既に大切な故郷の方を向いていた。
闇夜に紛れるように駆け出しながら、アガタはユルグにいるはずの弟妹の無事を祈る。と同時に、戦争が早く終わることを、優しい人が優しいままでいられる時代が来ることを、夜空の星に願わずにはいられなかった。
*
教会に入ったツァイトは、程なくして地下室を見つけた。
室内には、殆ど誰もいなかった。恐らく揃いも揃って侍女の断罪を見物していたのだろう。他人を虐げることに欠片も痛みを感じていない彼らに苛立ちが募り、ツァイトは思わず拳を握りしめた。
鍵を開けて地下室に入ると、室内は様々な物で溢れていた。雑に積み上げられた書物の海の合間に、実験道具と思われるものやアティリア、アーキアと思われるよく分からない破片が散らばっている。
物を掻き分け、辛うじて歩けそうな場所を探しながらあちこち眺めていたツァイトは、手元に落ちていた一冊の本を拾い上げた。
「これは……」
それは天空塔を設立する上での詳細な記録が記された、何人もの人物が書き残した手記だった。
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