ep2. 黄金のドラゴン

 ――その日は、突然訪れた。

 

 最初、アルテミシアは島が真二つに割れたのではないかと思った。

 それくらい激しい轟音を立てて、島全体が揺れたのである。

 

「な、何の音……?」

 

 地下の研究室で薬草の世話をしていたアルテミシアは、その身をびくりと震わせた。周囲では小さな鉢が幾つか、先程の衝撃で地面に落ちてしまっている。零れた土と植物の苗をそっと元に戻した後、彼女は地上を確認しようと恐る恐る梯子を登っていった。

 

「えっ……?!」

 

 梯子を登りきったアルテミシアは、周囲の様子を見て思わず驚きの声を上げた。

 それは、冗談みたいに綺麗な青空。散らばる木片とレンガの欠片。砕けた屋根瓦に割れて中身が零れた沢山の瓶。

 

 アルテミシアの家は、跡形も無くなくなっていた。

 

 いや、なくなったというよりは壊れた……あるいは潰れたという方が正しいのだろうか。驚きとパニックで纏まらない思考のまま、意味もなくそんなことを考える。

 暫く呆然としていた。が、不意にあることに思い至り、アルテミシアは猛然と駆け出した。

 

「街は……!森の向こうは無事なの?」

 

 アルテミシアの家は街外れの森の中にある。この辺にはあまり人がいないけれど、街の中心部には沢山の人が住んでいたはずだ。街は、彼らは無事なのだろうか。

 打ち倒された木々を乗り越え、突然の砂地に足を取られながらも、家のすぐ近くにある小さな丘を登っていく。

 登った先に見えたのは、可愛らしい家が並ぶいつもの街並み……。

 

 ……ではなく、ただの瓦礫の山だった。

 

「あ、ああ……」

 

 アルテミシアの口から零れるのは声にもならない音ばかり。

 家がない。人がいない。動物一匹として見つからない。人々の笑い声も、どこからか聞こえていたクラリネットも、遠く大聖堂の鐘の音さえも聞こえない。

 一瞬のうちに全てがなくなってしまい、ただ、そこにいるのはアルテミシアひとりだけだった。

 

「一体、何が起きたの……?」

 

 呟いても、答えてくれる人は誰もいない。アルテミシアの頬を、一筋の涙が伝った。

 

 その時、鳥の羽ばたきのような、否、それよりもずっと大きな音が上空から聞こえてきた。

 

 アルテミシアは肩を震わせ、恐る恐る上空を見上げた。見えたものに、再びごくりと大きく息を呑む。

 

 ――それは、アルテミシアの顔ぐらいはありそうな、大きな琥珀の瞳。

 

 全身を包むのは、太陽でそのまま色付けしたかのような金の鱗。頭から尾の付け根まで伸びるたてがみも黄金色に揺れる。背には両腕を伸ばしても足りないくらい大きな翼を持ち、腕と脚には鋭い爪、口には真っ白な牙が覗いている。

 

 そう、それはあまりにも巨大で、あまりにも美しい黄金のドラゴンだった。

 

「何故、ドラゴンが……」

 

 呟くアルテミシアの声が震えている。無理もない。ドラゴンなんて御伽噺の中の存在だったのだから。

 不意に、ドラゴンの視線がアルテミシアの方に向いた。鋭い眼光に射抜かれてその身を強ばらせる。

 

 ドラゴンは、明らかに自分を狙っている。

 

「……っ!逃げなきゃ!」

 

 アルテミシアは脱兎のごとく駆け出した。

 ドラゴンは悠然と羽ばたいてアルテミシアを追う。走っても追いつかれるのは分かっていた。足は動かしたまま、自分の体内を巡る魔力を意識する。

 

「【翼を!!】」

 

 呪文を叫ぶ。が、空を飛ぶことはできなかった。

 

「魔法が発動しない?! 何で?!」

 

 アルテミシアは更にパニックになった。ドラゴンは既に眼前にまで迫っている。

 とにかく逃げよう。そう思ったその時、突然アルテミシアは強い力に引っ張られた。

 

「え……?!」

 

 アルテミシアの身体が宙に浮かぶ。魔法が発動したのかと思ったが、いつもと違う感じがする。地面が、瓦礫が、倒れた樹木や潰された花が、ぐんぐん遠ざかっていく。

 

 そのまま、呆然と見守るドラゴンもボロボロの島も何もかも置いて、アルテミシアは島の外に吹き飛ばされていった。

 

『どうか、貴女は生きて』

 

 消えゆく意識の狭間で、そんな声が聞こえた気がした。

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