ep44. 忘れられた地下遺跡で願う
半ばから折れた石の樹は陽の光を浴びて、ただ静かに鎮座している。
大陸ができるより前に造られ、かつてルターシェリエに住んでいた人々に大切に守られていたもの。そこに在るだけで神秘的な雰囲気を纏うこの建物は、アルバートに何を伝えてくるのだろう。彼は巨大で不可思議な建造物を呆然と見上げたまま、ぽつりと呟いた。
「『始まりの樹の根』……」
その言葉は聞いたことがあった。ホーラノア南端の街、ユルグで信仰の要になっていたもの。アルテミシアと街を訪れた時は結局神殿内部には入らなかったので、具体的にどういうものなのかは知らなかったが……。
「前に話しただろ。この星は一本の樹木からできたって。その樹の根っこだよ」
アルバートより一歩前に立つヴァンデが、呟きを聞きとめて説明してくれる。
「魔力によって己が生存できる環境を得た樹木は、土壌となる星全体にくまなく根を広げた。その一部が地上にも露出しているんだ」
寝物語のように語られる話は、正直なところスケールが大きすぎて全然想像がつかなかった。森林クジラの背中に樹木が生えているようなものだろうか?
「……ユルグも同じか?」
詳しく聞くことは諦め、先程まで考えていたことを問いかけてみる。ヴァンデはすぐに頷いた。
「そうだ。『始まりの樹の根』はそう珍しいものではないが、見つかったら神殿が造られて信仰の対象になることが多い。魔力が多いから、魔法ないし不思議な現象が起きやすいのもあるんだろうな」
魔力が多ければ多いほど、些細な願いも叶いやすくなる。例えばその場所だけ雨乞いが成功したとか、疫病が収束したとか。そういった奇跡や不思議な現象の噂が人々の間で広がって、聖域と呼ばれたり神殿が作られたりするのだろう。その中でも特によくあるのが、「始まりの樹の根」を御神体とする神殿らしい。ルターシェリエしかり、ユルグしかり。
「ここもユルグも、神殿とそれを中心とした信仰によって発展してきた場所だ。だが、両者には違いもある。ユルグの方が大陸成立後、紛れもなくそこで暮らす民によって神殿が造られたことに対し、この神殿は現在のホーラノアには存在しない物質で作られた建造物を、ルターシェリエの原住民が建物ごと祀り上げることでできたようだ」
ヴァンデ曰く、石の樹を構成する物質は頑丈さと同時に魔力を増幅・純化精選する機能を併せ持ち、
「何故、そんなものが?」
アルバートが問いかける。その言葉には二つの意図があった。失われた技術が何故ルターシェリエに遺されているのかと、何故それは失われたのか。しかし、これまで様々なことを教えてくれたヴァンデもこの時ばかりは両方の問いに首を横に振った。教えないのではなく、分からないという意味で。
「現在の技術では考えられないものが見つかるのは、ルターシェリエに限ったことでも、ホーラノアに限ったことでもないんだ。何故そこにあるのか知らないまま利用されているなんて珍しくないし、未知の物質やそこに隠された謎を求めることに生涯をかける冒険家もいる」
彼らによって様々なものが発見されてきた。使えるものも、使えないものも。各国を渡り歩く中で、ヴァンデも沢山のものを見てきた。だが、そうやって調査や研究が進んでも、それらを作った技術がどうして失われたのかは未だ解明していなかった。
「俺も詳しいことは知らない。精霊に聞いたところで答えないのがオチだろうしな。……ただ、この世界には、かつて全ての人間が忘れた何かがあるのだろうと思う」
そう呟いたヴァンデは、ただ静かに石の大樹を見つめていた。が、おもむろに一歩近づくとその外装の一部を手で押した。ガコンと軽い音を立て、左右に裂けるように分かれるのと同時に内部の様子が顕になる。
「これは……」
アルバートは思わず小さく声を上げてヴァンデを見た。彼は口の端を上げてにやりと笑う。
「この先が、建物のメイン。歴史から忘れられた遺跡の真骨頂は、文字通り地下に隠されているってことだ」
戯るような口調で言うヴァンデ。彼の指が示す先に見えるのは、樹のうろから地下に続く暗い階段だった。明滅する淡い光が僅かに見えるだけで、一体どこまで続いているのか検討もつかない。耳を澄ますと、空洞音とともに幽かにゼンマイを回すような金属音が聞こえてきた。
奈落の底に続くような階段に、アルバートはごくりと息を呑んだ。ヴァンデは笑みを消し、アルバートの方を見る。
「お前の目的地はこの下にある。……さあ、降りるぞ」
風が吹く。アルバートとヴァンデの髪を揺らし階段の方に向かって、まるで彼らの背中を押すように。
アルバートはぐっと唇を引き結ぶと、ヴァンデに続いて未知なる空間へ一歩足を踏み入れた。
*
地上からは奈落の底のように見えた地下空間だったが、いざ入ってみると階段の両側に仄かな明かりが点在していることが分かる。それは明らかに採光を目的とした照明であったり、明滅する用途不明な機械の一部分だったりした。
地下は全体が今まで見たことのない機械で溢れていた。壁に広がる無数の歯車は複雑に噛み合い、無人の空間で止まることを知らず動き続ける。ガチャガチャ音を立てて左右に揺れるレバー。機械の表面を時折走る紅い光は、魔力が使われているということだろうか。
脆いところがないか確認しつつ、足を踏み外さないように慎重に階段を降りていたアルバートは、現れるものひとつひとつに小さく感嘆の声を上げた。ヴァンデに置いていかれないようにと休みなく足を動かしながらも、今もひっそりと動く機械に視線を奪われる。
その時、突然陽気な音楽と声が頭上から響いた。
「ヨウコソ! ヨウコソ! ハル・インポーター・システムは稼働シテイマス。使用許可ヲ求メル方は、ゲートニ触レ個人用スペルノ詠唱ヲ願イマス……」
「うわあっ!!」
アルバートは思わず飛び上がった。次いできょろきょろと辺りを見回す。ピコピコと不思議な音の組み合わせでできた音楽と抑揚が少ないが聞き取りやすい女性の声は、多少雑音が混じるものの地下全体に響くように聞こえている。しかし、それらを奏でているはずの人物の姿がどこにも見当たらなかった。どこかから自動で流れるように設定されているのだろうか。一応、やろうと思えば現在のホーラノアの技術でもできることではある。ただ、忘れられた場所で延々と言葉を喋り続ける機械はどこか滑稽で哀しく思えた。
暫くの間、アルバートは虚しく語り続ける機械の言葉に耳を傾けていた。目を伏せ、前を歩くヴァンデにぽつりと問いかける。
「……ここは、本当に神殿だったのか?」
アルバートには、この奇妙な地下空間が神殿だったとはとても思えなかった。改めて周囲を見回してみればおかしな点は幾つもある。ピカピカと七色に光る看板。壁に貼り付けられたパネルにはしっちゃかめっちゃかに乱舞する文字。笑顔にペイントされたうさぎに似た
「さあ、どうだったんだろうな」
対するヴァンデの返事はそっけない。彼は周囲を埋め尽くす機械を
「元が何であろうが、『遺跡』で括られてしまったらもう関係ない。どんな出来事もその場にいた人の思いも、そうやってみんな忘れられていくんだ」
それよりもさっさと行くぞ、とヴァンデが先を促す。アルバートも後ろをついて歩きながら、顔を上げて再び動き続ける機械を見た。
「遺跡」になったらそこで起きた出来事も思いも忘れていくのだと、ヴァンデは言う。確かにそうかもしれない。無人の土地の地下でひっそりと稼働する機械のことなんて、殆どの人が存在すらも知らない。いつか多くの人が訪れてこの場所を知られて、調査や研究が進んだとしても、今までの遺跡がそうだったように未知の謎が多く残されたままになるのかもしれない。
それでも、アルバートは思う。ひっそりと動く機械、虚しく響く声を聞いてしまっては。
(かつてここは、どういう場所だったのだろう)
――そう、考えずにはいられない。
アルバートは、この不思議な地下空間について知りたいと思った。まだ「遺跡」と呼ばれていない頃、機械達がどんな役割を担っていたのか知りたいと思った。
その思いは、同情に近かったのかもしれない。アルバートとて、元はそういう存在だったのだ。ティルヤ族の魔法によって生まれ、彼らの力になることだけを使命に生きていた森林クジラ。それは、誰も使わなくなっても与えられた使命の通りに動く哀れな機械と一体どう違うというのだろう。
「【でも、貴方は自分の意志があることに気づいたでしょう?】」
唐突なその声は、優しい響きを伴って地下遺跡を満たした。
言葉は精霊と似ている。だが、違う。アルバートの全てを肯定するような、魔物も何もかも関係ないと語るような穏やかさ。それは精霊が持ち得ないもの。
何よりこの声は。
「ミーシャ……?」
思わず立ち止まってしまったアルバートの口から、半ば無意識に言葉が零れる。それほどまでにアルテミシアと似ていた。
しかし、すぐにアルバートは小さな吐息とともに首を振る。似ているが同じではない。アルテミシアよりも随分と大人びた声。
「まさか」
アルバートが次に目を向けたのは、先を歩くヴァンデだった。いつも飄々としている彼は、珍しく
何故ここに、という思いがアルバートの胸に過ぎる。復活するのはアルテミシアではないのか。だがそんなことよりも、彼は目の前の光景に唖然とした。
「この、花は……?」
地下遺跡の最下層を満たす、黄金色の花。鈴なりの花は僅かに紅の光を帯び、さながら本物の鈴であるかのようにりん、と澄んだ音を奏でる。
いつの間にか、長い階段は終わりを迎えていた。忘れられた機械で作られた長い道の果ては、それら全ての墓場であるかのように満開の花畑だった。
「【墓場とは失礼ね? これは、私からのお祝いなのに】」
ティルテリアの声がくすくすと笑う。少女のようないたずらっぽい声はまさしくアルテミシアのようで、ほんの少し胸が痛んだ。
「お祝い?」
アルバートが問う。ティルテリアはそうよ、と囁いた。詠うように続ける。
「【サンダーソニアは未来を夢見る祝福の花。これからを生きるあの子には、ニガヨモギよりもこっちの方が似合うと思うから】」
「……それは」
「【アルテミシアを、呼びにきたのでしょう?】」
アルバートが瞠目する。その時、花畑が左右に割れて細い道ができた。広がる地下の最下層。その中央に至る道。果てには苔むした石のサークルに守られ、或いはそれらを侵食するように地面から突き出す太い木の根。
おっかなびっくり道を進んだアルバートは、むせ返るような濃い魔力を纏った古木の根を見て思わず息を呑んで足を止めた。こんこんと湧き出し、同時に集めるように吸われ続ける魔力。魔物である己がちっぽけに思えるようなその量に一歩たりとも動けなくなった。
「【大丈夫。怖がらないで】」
戦き躊躇うアルバートに、ティルテリアが優しく声を掛ける。まるで母親が、愛しき我が子の背中を押すように。
「【魔力は願いを叶えるもの。再誕の準備は整い、アルテミシアは今すぐにでもこのホーラノアの地に帰ってくることができる。でも、他ならぬあの子がそれを怖がっているの】」
それは、仕方のないことに思えた。絶望の中、アルバートを救うためにその命を捧げたアルテミシア。彼女は今でもアルバートは魔法の命令に従って自分を助けたのだと、己は他人に示されるまま動く小さな人形だったのだと思っている。
「【だから、貴方が呼んであげて】」
ティルテリアの声で、アルバートの瞳に光が灯る。深緑の炎は、彼が背負う森のように雄々しく力強い。
立ち上る魔力がアルバートを呼ぶ。サンダーソニアの鈴の音に、教え導く魔女の声がさながら祝福のように重なる。
「【アルテミシアがこの世界に求められていることを、貴方が教えてあげて。怖がらなくてもいいと、貴女も自由に生きられるのだと。あの子の存在を、貴方が願ってあげて】」
ティルテリアの声は切実で、アルバートは文句を言うことも忘れて聞き入った。天空塔を壊すためにアルテミシアを作った魔女。しかし他ならぬ彼女こそが、アルテミシアの幸せを願っているのだと分かってしまった。
もはや、躊躇う必要はなかった。アルバートはさらに一歩木の根に近づき、ほっそりとした手で触れた。眩い光の中で目を閉じる。瞼の裏には忘れるはずもない、アルテミシアの優しい笑顔があった。
「ミーシャ、聞こえる? アルバートだよ。聞こえるなら、ここに来てよ。俺は、ミーシャに会いたい」
願う言葉は、あまりにも拙かった。胸が詰まって上手く声にできない。閉じたままの瞳から零れた雫が頬を濡らした。
「天空塔の奴らから逃げながら話したことを、ミーシャは覚えてる? 俺は今でも、ミーシャと一緒にまた旅がしたいよ。一緒に色々なものが見たいってずっと思っているよ」
あの時、アルテミシアと天空塔から逃げた時。求めていた故郷が幻と知った彼女に、アルバートは自分が居場所になると言った。一緒に旅をしたいと語ったその願いは、今も消えていない。
あの時からずっと、アルバートは自分の意思でアルテミシアを求めているのだから。
「ヴァンデと精霊の話を聞いて、ミーシャを魔女にすることを知って、一度は連れ戻さない方がいいかもしれないとも思った。それでも、俺はミーシャに会いたいんだ」
ずっと、アルテミシアを取り戻すことを支えに生きていた。自由を願われても、それだけしか考えられなかった。だから今、ただ会いたいと繰り返す。眼裏に満ちる光の向こう、きっと彼女に届くと信じて。
「ミーシャ、また一緒に生きよう。どんなに辛いことがあっても、今度こそ俺が君を守るから。今度こそ、誰よりも自由に生きていこう」
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