ep16. ユルグの子供達と魔法

 アルテミシア達が案内されたのは、神殿から少し離れたところにある広場だった。

 天頂から見下ろす太陽の光を受けて、黄土色の土が黄金に輝く。急遽用意された天幕で、神官ウルトと長老、アルテミシアが向かい合った。

 アルバートは大きいまま、天幕の外で人々に囲まれている。彼らが興味深々な様子で見ているのに気づいて、アルテミシアが彼に待っているように頼んだのだ。


『みんな伝説でしか知らないみたいだし、アルのことを怖がる人もいると思うの。だから、貴方から怖くないって教えてあげて』


 今、アルバートは大人達の質問に答えたり、子供達を背中の森で遊ばせたりしているようだ。子供達はユルグでは中々見られない花盛りの森に歓声を上げ、戸惑い怯えた様子で彼を見ていた人々も穏やかに微笑んでいる。

 その様子を横目で眺めてくすりと笑みを零したアルテミシアは、ウルトの「では」という一言にはっと向き直った。


「では、妖精様は故郷を探される途中でユルグを訪れたということですね?」


 高く積み上げた伝説に纏わる資料を捲る瞳が、鋭く問いかける。巨大な石板の陰から顔を上げたアルテミシアは、申し訳なさそうに頷いた。


「ええ。……ごめんなさい。救いにきたのではなくて」


 しゅんと身体を小さくした彼女に、ウルトは首を振って微笑んだ。


「謝ることはありません。例え伝説と違ったとしても、今妖精様がユルグを訪れたことにはきっと何らかの意味があるのでしょう。私達は世界樹の守り手。母なる樹の根を守り、その導きに従うだけですから」


 彼の言葉ひとつひとつがユルグの民であることの誇りに満ちている。アルテミシアは少し首を傾げ、唐突ともとれる言葉を投げかけた。


「もしよければ、私に貴方達の信仰について教えてくれないかしら?」


 ウルトは一瞬目を見開いたが、すぐに大きく頷いた。


「ええ、もちろんです! 神殿もご案内しましょう」

 それから少し話した後、ウルトは神殿を案内する前に準備をするからと言って立ち去っていった。

 残されたアルテミシアはアルバートに近づいた。気づいた彼が顔を上げて、にっこりと微笑む。


「ミーシャ、話は終わったかい?」


 陽気な声に、アルテミシアの頬も自然と綻ぶ。小さく頷いた。


「後で、神殿を案内してくれるそうだけど……。あら」


 ウルト達と話した内容を、アルバートに語る。と、彼を囲んでいた子供達がアルテミシアに近づいてきた。


「妖精様、こんにちは」

「妖精様の大きなクジラさんと遊んでいました」

「妖精様、あの小さなお家は何ですか?」


 可愛らしい笑みを浮かべた顔が、アルテミシアを囲む。彼女はアルバートの胸びれに腰掛けて彼らの話を聞いていたが、家のことを聞かれてはっと顔を上げた。


(そうだ。頼まれていることがあったんだっけ)


 ユルグに行くきっかけになった、アガタに託された贈り物。アルテミシアはそれを、自室にしている部屋の戸棚に置いていたことを思い出したのだ。

 せっかく大勢の子供が集まっているのだ。ひとりくらいはアガタの弟妹を知っているだろうと問いかけた。


「ねえみんな、アガタって人の弟さんと妹さんに用があるのだけど、知ってる人いない?」


 アルテミシアの言葉に、子供達は互いに顔を見合わせた。暫くして、一人の少女がおずおずと手を上げた。

 その少女は他の子供達とは違い、萌葱色の身体を包み込むような上衣を纏っていた。穏やかで優しげな顔立ちに瑠璃の瞳。陽の光を帯びて輝く人参色キャロットオレンジの髪は豊かな巻き毛。アルテミシアはその色にはっと目を見開いた。アガタと同じ色彩。

 少女は、小鳥が歌うような愛らしい声で言った。


「マヤ達がそうだけど、お姉ちゃんを知っているのですか?」


 少女はマヤというらしい。「マヤ達」と言われてよく見てみると、彼女は誰かと手を繋いでいた。短い人参色キャロットオレンジの髪に瑠璃の双眸。顔かたちはマヤとよく似ているが、ひっそりと鋭い気配を纏った少年だ。恐らく、彼がアガタの弟だろう。

 少年はアルテミシアが瞳を向けても、表情を動かさないまま佇んでいた。人と話すのが苦手なのかもしれない。そう思ったアルテミシアは、特に気にすることなくマヤに頷いた。


「ええ。ティル・ノグで貴女達のお姉さんに会って、届けものを頼まれたの。取ってくるから、少し待っててもらっていいかしら」


 届け物という言葉に、二人はそろって目を丸くした。アルテミシアはくすりと微笑んだ。


「ちょっと待っててね? すぐに戻ってくるから」


 ぴょんっと立ち上がり、アルバートの背中の上へ。風にそよぐ草の間を進んで、アルテミシアは合歓の木の根元にある家に入った。

 二階の出窓がある部屋を、彼女は私室として使っていた。ヴァンデは屋内に家具や道具を一通り揃えてくれていた。柔らかなベッドも、角が丸い小ぶりの棚もアルテミシアは気に入っている。一階の納戸に、ショベルや花鋏が用意されていたのも嬉しかった。

 甘い花の香りに満ちた部屋に入り、クリーム色の棚の抽斗を開ける。雑多な小物に紛れて、けれどそれらのどれよりも大切に収められた革の小包を手にとった。

 家を出ると、マヤと少年と目があった。どうやら二人とも、アルテミシアが出てくるのを今か今かと待っていたようだ。アルテミシアは花の綻ぶような笑顔を二人に向けた。


「お待たせ! 持ってきたわよ」


 手を出してと言う彼女に、二人は恐る恐る両手を差し出した。マヤの手に乗り、少年の手に小包を乗せたアルテミシアは、小さな声で囁く。


「【優しい貴方に、大きく素敵な祝福を】」


 囲んでいた子供達が息を呑む中、紅い光を帯びた小包が少年の手のひら大まで大きくなる。誰もが呆然と目を見開いて声も出さずにいたが、この時初めて少年が震える声で呟いた。


「これは、一体……」

「これが、アガタから貴方達への贈り物よ。私には大きいから魔法で小さくしていたの。……何か、問題があったかしら?」


 ただならぬ雰囲気に、アルテミシアの肩がぴくりと震える。恐る恐る問いかけた彼女に対し、答えたのは彼ではなく、後ろで様子を見守っていた大人達だった。


「あの光は、まさか……」

「紅の、神秘的な光。あれはまさしく……!」


 固い表情で、何やらぼそぼそ呟く大人達。要領を得ない答えにアルテミシアは首を傾げた。


(光って、魔法を使う時に出る光のこと……?)


 彼女も、魔法を使う時に紅の光が出ることは気づいていた。どんな魔法を使ったとしても、魔力を用いる時は必ず現れる旭日の光にも似た閃光。光が出る理由は知らないものの、いつものことなので大して気に留めたことも無かったけれど。


「ミーシャ、何かあった?」


 首をひねるアルテミシアの背後で、アルバートの声が聞こえた。彼も、この異様な空気を不思議に思ったらしい。けれど問いかけられたところで、アルテミシアにも何が何だかさっぱり分からない。そのうち、戸惑っているのは自分達だけではないことが分かりはじめた。


「父さん、光ってどういうこと?」

「お母さんは、大きくなったり小さくなったりする力について何か知っているの?」


 いつの間にか、アルテミシアをじっと見つめていた子供達が大人達の方を向いていた。父に、母に、しきりに何かを呟く大人達に問いかける。彼らは魔法とともに発した光に驚いたのではない、魔法そのものについて知らないのだ。

 アルテミシアは、マヤと少年を見上げた。心細そうに辺りを見回す彼らに問いかける。


「ねえ、貴方達は魔法について知らないの?」


 マヤはアルテミシアを見て、しきりに頷いた。


「魔法……? 聞いたことがありません。お姉ちゃんも、長老のおじいちゃんも神官様も教えてくれなかったし。……テオも知らないよね?」

「ああ」


 隣の少年――テオも頷く。マヤは大人達の反応こそが意外だというように、困惑した表情で言葉を重ねた。


「少し、さっきの光がペンダントが帯びている不思議な光と似ていると思いましたが。母なる樹と関係があるといっても、聖域だからマヤもテオも見せてもらえないし……」

「ペンダント?」


 アルテミシアが首を傾げると、彼女は首元から小さなペンダントを取り出した。親指の先ほどの珠に、不思議な文様。アガタが持っていたものとよく似ている。


「これは、母なる樹の根の一部から作られたのだそうです。信仰の証であり、世界を包む邪悪な瘴気から身を守ってくれるから、肌身離さず持っているように言われています」

「邪悪な瘴気って……もしかして、瘴気化した魔力のことかしら」


 ホーラノア全体を包む、悲しみと絶望に満ちた魔力。その瘴気は、確かにユルグも覆っていた。しかし、人々は誰も痛みに苦しんでいる様子はない。アルテミシアはてっきり、他の場所と同じように薬を飲むことで抑えているのかと思っていたが。


(ペンダントの文様が魔法陣となって、人々の「瘴気から身を守ってほしい」という願いを叶えているんだわ)


 よく見ると、文様が僅かに紅く輝いているのが分かる。彼らは魔法については何も知らないまま、その力を上手く利用してきたらしい。


「魔法が知られていない場所もあるんだね」


 話を聞いていたらしいアルバートが呟く。アルテミシアも頷いた。


「ヴァンデやツァイトは知っているみたいだったし、アティリアも魔法の応用だと思うけど……。そういえば、ユルグでアティリアって全然見ていないわね」


 夜の道を照らす街灯も、生活を便利にする道具もユルグでは全く見かけない。それがアティリアを知らないが故のことなのか、他に理由があるのかは分からないけれど。


「あ、あの」


 アルテミシアがあれこれ考えていると、不意にマヤが声をかけてきた。


「何だか変なことになっちゃってごめんなさい。お姉ちゃんからの贈り物、届けてくれてありがとうございます」

「……ありがとうございます」


 深く頭を下げるマヤに、ぼそっとした声でテオが続く。アルテミシアは首を振ってにこっと微笑んだ。


「いいのよ、そんなこと。……アガタが『誕生日ぐらいはお祝いしてあげたい』って言っていたわ。そのために贈り物を届けてあげたいって。騒ぎが落ち着いたら、二人で開けてみて」

「はい!」


 マヤが元気よく頷く。テオも小さくだが頷くのが見えた。嬉しそうな二人を見ていたら、アルテミシアの心もほんのり暖かくなった。思わず頬を綻ばせた時、マヤが柔らかい笑顔を向けた。


「大丈夫です。騒ぎはすぐに収まると思いますよ。今はみんな戸惑っていますけど、もうすぐ長老のおじいちゃんや神官様が来られると思いますから」


 そう言い終わるか終わらないかのタイミングで、ドタドタと激しい足音が聞こえてきた。長老を引き連れ、くわっと目を見開いたウルトが大声で叫ぶ。


「これは何の騒ぎですか?!」


 細い身体からは想像もつかないような力強い声に、騒いでいた人が押し黙る。しかし、それも一瞬のこと。すぐに彼らはウルトに先ほど見た事象について話し始めた。


「神官様、先ほど妖精様が我らが世界樹様の光を発したのです!」

「我らが母なる光、聖なる守護の光で奇跡を起こしたのです!」


 口々の訴えに、ウルトと長老は揃って驚きに息を呑んだ。恐る恐るアルテミシアの方を見る。人を救うとされる伝説の妖精を。、世界樹の光を発して奇跡を起こしたという少女を。

 見つめられたアルテミシアは、きょとんと首を傾げた。無垢な瞳の彼女に、ウルトは努めて穏やかな声を発した。


「申し訳ありません、妖精様。準備が整いましたので、これから神殿に向かいましょう」


 素直に頷くアルテミシアを見て、ウルトはひっそりと息を吐いた。騙すような方法ではあるが、彼女を再び旅に出す訳にはいかない。ユルグの民以外のために世界樹の力を使わせてはいけないのだ。


 彼は、神殿の一室にアルテミシアを閉じ込めるつもりだった。


 こっそり長老の方を見ると、彼も深く頷いた。人々もさり気なくアルテミシアの周囲に……彼女を逃がさないように囲っていく。

 そうとも気づかないアルテミシアは、アルバートも連れていくために彼を小さくする魔法を使おうとした。


 ――その時、一陣の風が殴りかかるように周囲を襲った。


 衣服を抑え、舞い上がる砂埃から目を守ろうと顔を背ける人々。その一瞬、アルテミシアはすぐ近くを滑空する一羽の青い鳥に気づいた。見覚えのある蒼色の怪鳥に思わず声を上げる。


「ヴァンデ!!」


 ヴァンデはアルテミシアを一瞥すると、苛立たしげに吐き捨てた。


「ちょっと目を離してる隙に、何とっつかまりそうになってるんだ?! 天空塔に行くんだろ!」

「え……?」


 捕まるって、どういうこと――?

 アルテミシアはヴァンデにそう聞こうとした。が、それよりも一瞬早く、荒れ狂う突風が彼女と巨大なクジラをどこかに連れ去ってしまったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る