inter. とある研究者の会話

 苔むした深い森を、二人の男が歩いていた。あの時、アルテミシアがすれ違った男達である。

 二人は、同じ作りの黒い外套を羽織っていた。全身を包むマントのような形をした外套は、撥水性の丈夫なもの。胸元から腹にかけて黒いボタンが二列に並び、その上で首から下げた一本の樹木を象った紋章がきらりと輝く。丈夫な革靴と革の手袋、背に満載した荷物は如何にも旅人の風貌。だが、彼らの本来の職業は旅を生業とする者ではない。天高く伸びる豊穣の樹木は誇りある天空塔の証。彼らは、天空塔中央局に所属する将来有望な研究者だったのだ。

 ホーラノア大陸の春は、もう終わりに近い。たとえ森であっても、闇色の衣装を着込めばじっとりと暑い。だが、外套も手袋も、脱いではいけない理由があった。

 

「先生、遺跡はもうすぐでしょうか」

 

 後ろを歩いていた男が問う。青林檎のような明るい緑髪と気の弱そうなオリーブ色の瞳を持つ、二十代半ば程の青年だ。彼は、前を歩く「先生」と呼ばれた男の助手をしている。同期の中でも飛び抜けて頭がいいが経験はまだ浅く、この「ウィステリアの呪われた森」に行くのも初めてだ。そのためか彼の口は常に真一文字に引き結ばれ、片手には鳥籠を、もう片方の手は自らの外套の襟元をしっかりと握りしめていた。

 助手の問いに、前を歩く先生も緊張した声を返した。

 

「ああ。この辺りは特に魔力が濃い。気をつけろよ」

 

 そう言って、先生も外套の襟や袖を念入りに正した。僅かな隙間からも、魔力が入ってこないように。

 ホーラノア大陸は、全土が余すところなく「魔力」という不可視の力で覆われている。それは、どこから来たとも未だに知れない未知のエネルギーだ。そして、その力は人を害する瘴気でもある。皮膚を傷つけ、吸い続ければ毒になって生命を脅かす。そのため、年中全身を覆う外套と手袋が欠かせないのだ。

 とはいえ、それは以前までの話。技術が発達し魔力の影響を抑える薬も出来たので、ここウィステリア以外では比較的自由な格好もできるようになっていた。

 だが、ウィステリアは別だ。この深い森の魔力の濃さは、都市部の比ではない。調査・研究にはもってこいの立地である分、孕んでいる危険も大きい。

 アイボリーの長髪をひとつに結い、銀灰色の瞳で正面を睨む先生は三十代後半。この若さで森での単独の任務を与えられるほど、有能でベテランの先生も、些か緊張した足取りで歩を進めていた。

 暫く、無言の時が続いた。張り詰めた空気が二人の間を漂う。風は止み、鳥の声も鳴りを潜め、ただ湿り気を帯びた黒い土を踏む、二人の足音だけが響いていた。

 不意に、先生が足を止めて肩の力を抜いた。助手の方を振り返る。

 

「もうすぐ着く。だが、その前にあそこでひと休みとしよう」

 

 先生が指を指したのは、小さな洞窟だった。よく見ると内壁が苔むした石煉瓦でできており、明らかに自然にできたものではない。どういった用途で作られたのかは分からないが、恐らくかつての遺跡の住人の所有物だろう。休憩ついでに、調べる価値があるかもしれない。

 二人が向かっている遺跡とは、かつてこの地に住んでいた「魔法を使う人々」が遺した建物のことだ。

 遥か昔、魔力は人を害するものではなかったという。人々は魔力をエネルギーとした魔法と呼ばれる技術を用い、日々の生活に役立てていたそうだ。

 天空塔は、魔力を「神の記憶」として讃え、魔法やその痕跡について研究することを重要な使命であると考えている。そのため、かつて魔法が使われていたことをありありと示す遺跡は、重要な調査対象なのだ。

 慎重に洞窟に入った先生は、石煉瓦をじっくりと観察し始めた。彼は小さなハンマーで煉瓦を叩いたり、ルーペのようなものを覗き込んだりを繰り返していたが、やがて小さく溜め息をついた。


「残念だが、ここに魔法の痕跡は残っていないようだ。仕方がない。目的の遺跡の方に期待しよう」


 細い眉をしかめつつ、先生はどっかりと腰を下ろした。旅荷物の中から、水筒と固形の携帯食料を取り出す。

 助手もそのそばに腰掛けた。自分も遅めの昼食にすることにする。

 あまり美味とはいえない携帯食料をもそもそと食べていた時、先生が助手のすぐ脇に置いてある鳥籠を見ていることに気づいた。

 中にいるのは、美しいが感情の剥落した瞳をした、手のひら大ほどの銀髪の少女。鎖に縛められた彼女を特に何の感慨も示さず眺めた先生は、虚空を見上げて深々と溜め息をついた。


「全く、選りすぐりのを渡してきたとはいえ、何故我々がこのような辺境の地に来なければならないというのだ。こういうことは、本来私の仕事ではないはずだが」


 彼がぼやくのも無理はなかった。本来彼らは研究者。確かに実地調査は重要だが、それも戦闘に能がない者だけで行くのは考えられない。ましてや先生ほど有能な研究者であれば、数人の優秀な護衛がつくというのが筋というものだろう。

 気難しい顔をした先生に、助手が考えながら答える。


「おそらく、『王女』が逃げ出したことに関係があるのでしょう。聖騎士団は捜索のために出払っていますし……。慢性的なエネルギー不足に対するアーキア確保のため、私たちが急遽駆り出されたのでは」


 至極まっとうな発言に、先生は苦笑しながらも頷いた。


「十中八九そうであろうな。特に、今回の遺跡は大きいと聞いている。今回の調査の実りが良ければ、新たな採掘所にしたいという魂胆なのだろう」


 アーキアというのは、遺跡で得られるかつての人々の「遺物」のことだ。書物や石版、古い魔具や実験器具など、魔法と関わりのあったものを指す。それらはまだ瘴気となっていない古い魔力の残滓が残っていることがあり、人を害さない分現在の魔力よりも扱いやすい。現在の魔獣の魔力なども度々使われることがあるが、アーキアと比べ使用するのに幾つか複雑な過程が必要となり、少なくない犠牲も伴うため、アーキアを用いることの方が多かった。

 だが、そのアーキアも遺跡で採れる量が減ってきていた。年々使用量は増大する一方、南のユルグでは、未だにアーキアの採掘に強固に反対する者も多いという。『王女』の逃走でより魔力の不足が危惧される中、新たな採掘場の確保は絶対に必要なのだ。

 そこまでは、助手もよく分かっている。だが、ひとつ疑問に思うことがあった。


「それにしても、『王女』は何故逃げたのでしょうか?」


 『王女』は天空塔の最高機密だ。簡単には逃げられないはずなのだが。

 先生は、荷物をまとめながら助手の問いに答えた。


「私も人に聞いた話だが、どうやら仲間の魔力が残っていたらしい。流石、ホーラノアでも屈指の魔力量を誇る人形というべきか。仲間内でも大切にされていたようだな」

「人形……ですか?」


 助手は、手に持ち直した鳥籠を見た。銀髪の少女が俯いている。確かにぼんやりとした表情をしているが、彼女を人形と呼ぶにはあまりにも――。


「人形だ」


 助手の思考を遮るように、先生が言う。その言葉には少しの揺ぎも見当たらない。

 先生が立ち上がる。荷物を背負って歩き出そうとする彼を、助手は慌てて追いかけた。

 洞窟を抜け、森の中へ。陽は天頂を大きく過ぎ、木立でその姿を見ることはできない。ざわざわと不気味な音を立てる葉。赤子が泣き叫ぶような鳥の声。遠くで狼の遠吠えも聞こえてきた。

 不吉で危険な空気の中、遺跡の方を見ていた先生が助手に挑戦的な笑みを向けた。


「何、心配することはない。『王女』の件はじきに解決するだろう。なんたって、あれにはティルテリア様が直接魔法をかけているからな」


 ティルテリア様は、天空教の主神であり、その力を引き継いで天空塔の主人となっている女性の名前である。ホーラノアで現在唯一魔法を使える者であり、最高の魔女だ。

 彼女がいる限り、この世界は安泰だ。先生はそう言って、遺跡の方を向いて高らかに笑った。

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