ep5. 三つ編み、或いはアルとミーシャ
見上げれば、突き抜けるような蒼穹を乳白色の雲が流れ、見下ろせば、
アルテミシアは、アルバートの背中に乗って森林の上空を移動していた。
アルテミシアが落ちた森はどうやらかなり広いらしく、いくら進んでも一面の緑が途切れない。
「中々見つからないね、エリュシオン」
「そうだねー」
アルバートの声は今ひとつ緊張感がなくて、少しむっとする。
「焦っても仕方がないよ。君も僕も、この場所のことを全然知らないんだから」
彼はそういうけれど、アルテミシアは早く帰りたくて仕方がなかった。ドラゴンに襲われた故郷がどうなってしまったのか。無事な人はいるのか。早く帰って確かめたかった。
再び周囲を見渡すアルテミシア。その焦燥をよそに、泳ぎ続けるアルバートが無邪気に声をかける。
「ねえアルテミシア、エリュシオンってどんなところなんだい?」
「エリュシオン?」
アルテミシアがうーんと首を傾げる。彼女は少し上を向いて囁いた。
「小さな国よ。千人のティルヤ族が住む、小さいけれど幸せな国」
白亜の塔を中心とした小さな街を、広大な森で囲まれていた。森は傾らかな勾配がついていたけれど、街は殆ど平坦で、玩具箱の中身のように人と建物がひきめしあっていた。千人全員と知り合いというわけではないけれど、恐らく男女比は半々ぐらい。全員が金髪で、上手い下手の差はあるけれど、ひとりの例外もなく魔法を使うことができた。
魔法で管理された、狭く何も変化がない小さな国。けれど、アルテミシアはエリュシオンが好きだった。景観は美しく、人々は優しい。そんな素敵な国で、慎ましくも幸せに暮らしていた。
だから、取り戻さなければならない。自らの国を、あの生活を。そのために、今は頑張らなくてはと思うのだ。
「なるほどねー」
自分が聞いたくせに、アルバートの反応はとても薄かった。アルテミシアは文句のひとつでも言おうとしたが、続く彼の言葉が遮る。
「それで、アルテミシアはその国の森の中に住んでいたんだろう? そこでもそんな格好だったのかい?」
言われて、アルテミシアは自分の服装を見下ろした。クリーム色の柔らかい雰囲気のワンピース。要所にリボンやレースが施されたそれはとても可愛らしいのだが、あちこち破れたり汚れたりしてボロボロになっている。そして更に不思議なことに、アルテミシアはこの服に全く見覚えが無かった。
動きづらくないのかとアルバートに問われるが、そもそも全く着た記憶がない。ボロボロな上、アルバートの上でも動きづらいので、早めに別の動きやすい服を得る必要があった。
不思議なことは他にもある。エリュシオンでは三つ編みにしていたはずの髪が、全て解けてしまっていたのだ。多分落ちた時に解けたのだと思うが、結んでいたはずのリボンは探してもどこにも見つからなかった。仕方がないので、服についていたほつれかけのリボンを取って結ぶことにした。
「別に、そのままでもいいんじゃないのかい?」
アルバートはそう言うが、やはりずっと同じ髪型をしていたので首元に長い髪が当たる感触が落ち着かないのだ。
柔らかい金の髪を纏めている、くすんで沢山の細い糸が飛び出しているリボンを摘んだ。毛先を指で弄りながら思う。
(どこかで、可愛いリボンとか見つからないかな……)
アルテミシアも女の子。可愛いものは好きだし、ずっとボロボロのリボンで結んでいるというのも気がひける。
服やリボンに加えて、もしエリュシオンが中々見つからないのであれば、必要と思われるものは沢山あった。
(生活に必要なものもだけど、アルバートの森も手入れしてあげたいし)
やはり、沢山の植物を見ると両手がうずうずしてくるもの。蕾をつけた合歓の木も、他の沢山の木も、樹木の根元を彩る色とりどりの花も、もちろんこのままでもとっても綺麗なのだけれど、手入れをすればもっともっと綺麗になる。そう思うのだ。
それに、アルバートの森を大切にしたいという思いもあった。彼も彼なりの理由があってアルテミシアを乗せてくれているのは確かだ。だが、打算があったとしても、アルテミシアはアルバートがついてきてくれたことに感謝していたから。
アルテミシアは、アルバートの顔の方に近づいた。
「ねえ、アルバート……」
エリュシオンを探しながら、使えるものが得られそうな場所があったら降りてみよう。そう声をかけようとして、アルテミシアは唐突に言葉を止めた。
「うん? 何だい、アルテミシア?」
アルバートが訝しげに瞳を上に向けるが、アルテミシアは首を傾げるばかり。
暫く顎に手を当てて何か考えていた彼女は、やはり唐突に呟いた。
「ねえ。アルバートって呼びにくいから、『アル』って呼んでもいい?」
あまりに突然の言葉に、アルバートは暫しぽかんとした。だが、直ぐに楽しそうな声を上げる。
「いいよ。君が呼びやすいなら。でも、アルテミシアだって『アル』じゃないか」
言われて気づく。そういえば、少し名前が似ていたのだった。
アルテミシアは少し考えて、それからにこっと口角を上げた。
「確かにそうね。なら、私の呼び方はアルが決めてよ。『アル』以外で」
「ええっ、そんな急に言われても」
素っ頓狂な声を出して、アルバートが空中で飛び上がった。危うく落ちかけたアルテミシアが、近くに生えていた樹木に掴まる。思いっきり叫んだ。
「アル、危ないじゃないの!」
「ごめんっ! でも、呼び名かあ……」
申し訳なさそうに眉を寄せ、アルバートは再び考え始めた。胸びれをパタパタと動かしながらぼそぼそと何か呟いていたが、やがてぱあっと瞳を輝かせた。
「ミーシャ。ミーシャはどうかな?」
「アル」が駄目なら「ミシア」の方を取ってきたと笑うアルバート。アルテミシアは暫く「ミーシャ」という名前を繰り返し呟いていたが、不意にアルバートの頭にぎゅっと抱きついた。頬を緩め、はずんだ声で言う。
「ありがとう! とっても素敵!」
貰った名前は、不思議なぐらい心にすとんと落ちてきた。知らず小さな笑い声が漏れる。
アルテミシアはニガヨモギの別名。植物に罪はないけれど、この植物にあまり良い謂れはない。だから、あまり好きな名前では無かった。
けれど、アルバートは「自分と名前が似ている」と喜んでくれた。更に、ミーシャというとても素敵な呼び名をつけてくれた。それだけで、自分の名前がほんの少し好きになれそうだった。
アルバートにぎゅっとしがみついたまま、アルテミシアは喜びのままに囁く。
「アルとミーシャ。これが、私達だけの名前なのね……」
くすぐったいような、胸の中に小さな小鳥か蝶でもいるかのような気持ち。
両足をバタバタと動かして浮かれていたアルテミシアは、未だその気持ちの名前に気付かないでいた。ただ、少し激しくなっている鼓動を不思議に思う。
ふわふわとした気持ちのまま、地上を見下ろした。と、その時、アルテミシアは何やら奇妙なものが地面に落ちているのを見つけた。木々の間、草に埋もれた淡い
「アル、あれ!!」
アルテミシアはアルバートに声をかけた。背中から降り、恐る恐る近付く。
塊は、よく見たらふわふわの羽毛だった。アルテミシアの一〇倍くらいは大きい。灰混じりの黄色い
「大きな、蒼い鳥……?」
アルテミシアが呟いた時、鳥らしき塊がぴくりと動いた。
「痛た……。お前、誰だ?」
呻いたその鳥は、アルテミシアに気づいたらしくゆっくりと顔をこちらに向けた。
アルテミシアは、鳥が喋ったことにも驚かずただまじまじとその姿を見つめる。くすんだ蒼色の羽毛に覆われた顔は鷹か鷲のような鋭さを持っている。瞳も弱々しくはあるが、きりりとした
鳥はアルテミシアを見て、少し驚いたような声を上げた。
「お前、ティルヤ族か? だが、銀じゃない。生き残りがいたのか……?」
その言葉に驚いたのは、アルテミシアの方だった。
「貴方、ティルヤ族を知っているの? 生き残りって、どういうこと?」
問い詰めようとするが、鳥は翼を僅かに動かして待ったをかける。
「待て待て。全部話すから、その前に翼の下に落ちている赤い薬を俺の嘴に入れてくれないか?痛くてかなわんのだ」
言われて、彼の翼の下に潜り込むと手のひらに収まるほどの赤い粒が薄い紙の袋に入っていた。
(薬って、これのこと……?)
そっと嘴に入れる。鳥は飲み込んだ後も暫くじっとしていたが、やがて瞳に力が戻り勢いよく舞い上がった。
「助かった。礼をいうぜ、ティルヤ族の魔女」
彼が高く舞い上がる。その時、不意に強い風が吹いた。
木の葉を散らす風が、鳥を包む。ぶわりと彼の輪郭が歪んだ後、アルテミシアの前に現れたのは、
彼はしゃがんでアルテミシアを見つめると、にやっと笑った。
「俺は風から派生せし渡りの魔物、ヴァンデ。遠く西の島を故郷とする者だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます