ep9. 旅路を歩む街

 ――かぁん。かぁん。

 どこからか鐘の音がする。空気を震わせ、どこまでも響いていく澄んだ音。

 音色に導かれるように、無数の白鳩が雲ひとつない空を舞う。純白の羽が陽光を乱反射して、昼下がりの海を綺羅々と輝かせた。

 その海から少し離れたところに、欄干にもたれて佇む人がひとり。薄藍の着流しに、夏の手前にも関わらず紺のフロックコートという奇抜な格好をした、蒼い長髪の青年だ。

 

「わあ……!」

 

 不意に響く小さな歓声。声は確かに欄干の方から聞こえた。だがそれは青年のものではなく、彼の外套のポケットから顔を覗かせた少女のものだ。

 太陽の輝きをそのまま紡いだかのような黄金色のおさげ髪をポケットからはみ出させ、少女――アルテミシアは碧の瞳を輝かせる。好奇心でいっぱいの彼女を見て、青年――ヴァンデはふっと苦笑を漏らした。


「あんまり顔出すと落ちるぞ。……そんなに海、珍しいか?」

 

 ヴァンデを見上げたアルテミシアが、ぷくっと頬を膨らませる。

 

「私、海を見るのは初めてだもの。それに、ちょっとぐらい顔を出してもアルがいるから大丈夫よ」

 

 アルバートは、魔法で小さくなってアルテミシアと同じポケットに入っていた。彼が顔を出すと同時に、背中の樹木がざわざわと揺れる。

 アルバートはアルテミシアの言葉を聞いて、仕方がなさそうにため息をついた。頼られることは満更でもなさそうな様子に、再びヴァンデの口元に淡い笑みが広がる。が、アルバートが喜ぶと同時に何か考えこんでいることにも、彼は気づいていた。

 不意に、アルテミシアが海から視線を外した。きらきらとした碧の瞳が見つめるのは、柵のすぐ下。多くの人で賑わう市場だ。

 

「海も凄いけれど、街も素敵ね。建物も人もとってもカラフルだわ」

 

 白亜の角ばった建物に丸い色硝子の窓。軒先には色とりどりの屋台が店を構え、種々の植物が鮮やかに彩る。初夏の日差しを喜ぶように、行き交う人々の衣の裾がふわりとそよ風に舞う。子供達の笑い声や店先で飛び交う客寄せの声。トランペットの軽快な音色が響き、何か甘いものが焼けるいい匂いが潮の香りと共に鼻腔をくすぐる。

 弾んだ表情で通りを見つめるアルテミシア。ヴァンデはそんな彼女を見て、楽しそうに言う。


「そりゃ、ここは『旅路を歩む街』アスティリエだからな。ホーラノアの入口であり出口。人もモノも、この国で一番集まる場所さ」


                  *


 アルテミシアがウィステリアからアスティリエに来たのには、幾つか理由がある。

 それは、ヴァンデの隠れ家に泊まった翌朝のことだった。彼はアルテミシアとアルバートを居間に呼ぶと、テーブルに一枚の大きな羊皮紙を広げた。ホーラノアの地図である。

(地図参照:https://28485.mitemin.net/i370320/)


「ホーラノアは、昔は幾つかの国がひしめき合う大陸だった。多くの国が滅び、また生まれてきたが、中でも九つの国は突出した特色を持っていた。各国は他の国と競い、時には協調しながらもその独自性を磨いて栄えてきたんだ」


 ヴァンデはその頃のホーラノアも知っているのだろう。懐かしそうに語っていた。しかし、不意に顔を曇らせると、低く抑えた声で「だが」と呟いた。


「だが、中央のティル・ノグと西のセルティノが突如として協調。アティリアで浮かぶ塔を旗印にひとつの組織を作り上げた。その頃は魔力も魔法もあまり人々に知られていなかったから、宙に浮かぶ塔は多くの人を驚嘆させた。組織の協力者はあっという間に増えた」


 組織はやがて宗教となり、神の名を唱えて信者を増やした。やがて巨大化した宗教は、魔力の瘴気化という事件も相まって、大陸全土を治めるのに至った。


「それが天空教。奴らの本拠地が、天を渡る塔『天空塔』ってわけだ」

「そこが、私が目指すべき場所なのね? エリュシオンに帰るために」


 ヴァンデの言葉に、アルテミシアが重ねる。それは昨日彼が言ったことだ。エリュシオンを探すのに、天空塔を目指すのは悪くないと。

 ヴァンデは頷き、窓の外を見た。吹き込んだ風に煽られて、蒼い髪がふわりと舞い上がる。


「ああ。天空塔もホーラノア上空を常に移動しているが、エリュシオンのように場所が全く予想がつかないという訳ではない」


 彼は、再び地図に視線を落とした。九つに分けられた大陸のうち、二箇所を指で差し示す。


「天空塔はかなりの頻度でティル・ノグとセルティノに停泊している」


 それは、天空塔を作った国と同じ名前だった。場所も同じ。不審げな顔でアルテミシアがヴァンデを見上げると、彼は僅かに口角を上げた。


「言ったろ? それぞれ九つの国には、突出した特色があったって。どこも元から力のある国だ。ひとつの国に纏めたところで、すぐに全てを統一することはできない。信仰の深さの違いもある。だから、かつての国は自由都市として名称とある程度の自治権を残しているんだ」


 規模は縮小しているし、天空塔の監視はあるが、とヴァンデが苦笑する。彼曰く、この森ウィステリアも自由都市のひとつらしい。人口が少なすぎて、もう都市とは言えないけれど。

 ティル・ノグとセルティノは九つの都市の中でも力があり、信仰心も深く、重要視されている街だ。天空塔もよく停泊し、日々人々の信仰を集めているのだという。

 アルテミシアは納得したというように頷くと、地図の上に膝立ちをした。ヴァンデが指で示した部分を小さな手で辿る。


「えーっと、ここがウィステリアだから……。セルティノは西の端だから少し遠いけれど、ティル・ノグはすぐ北ね。ここは、どんな街なの?」


 「ティル・ノグ」と書かれた場所を示しながら、アルテミシアが尋ねる。ヴァンデは指で頭を掻きながら、言葉を選んで話した。


「あー……。ティル・ノグは『知識の塔を抱く街』って呼ばれているんだ。二つ名にある通り、遺跡をそのまま使った巨大な図書館がある。情報の中心地ってことだな」


 「情報」と聞いて、アルテミシアの顔がぱあっと明るくなった。


「ティル・ノグに行けば、天空塔が停泊している可能性が高い上に情報も得られるってこと? 素敵じゃない!」


 アルテミシアはすぐに行こうと言うが、ヴァンデは首を横に振った。


「それが、ウィステリアから直接ティル・ノグに行くことはできないんだ」

「どうして?」


 不満げに唇を尖らせて、アルテミシアが問う。ヴァンデは指をティル・ノグの南に当てると、ウィステリアやユルグとの境界線を辿るようにぐいっと横に動かした。


「ここに、こうやってさ。大きな壁があって、南からの出入りは禁止されているんだ。西か東の門からしか、ティル・ノグに入ることはできない。天空教の戒律で、ティアはティルテリア様の略称だから神聖視されるんだと」


 他にも理由はあると思われるが、あえてぶっきらぼうに言うことで話を終わらせる。幸い、アルテミシアも「ふうん」と呟いただけで、それ以上深く聞こうとはしなかった。


「それで、ウィステリアからティル・ノグに行けないのならどうすればいいの?」


 そう聞かれたヴァンデは、待ってましたとばかりに地図の一点を指で示した。その場所こそが、ホーラノアの東海岸に位置する自由都市「旅路を歩む街」アスティリエである。


「アスティリエには多少伝手がある。あいつなら難なくティル・ノグに入れるはずだ。俺もそこまではついて行ってやる。但し、俺はアスティリエに用事があるから、そっちも手伝ってもらうぞ」


                   *


 こうして、アルテミシアとアルバートはヴァンデと共にアスティリエに行くことになったのだった。

 ヴァンデは柵から離れると、脇の階段から下の街に降りていった。ポケットの中のアルテミシアは、落っこちないように裾とアルバートの胸びれを掴んだまま、黙々と歩くヴァンデに声を掛ける。


「それにしてもびっくりしたわ。こんなに早くアスティリエに着くなんて」


 一行がウィステリアを出発してから、半日もしないうちにアスティリエに着くことができた。アルバートと共に移動していた時は、いつまで経っても森を抜けることができなかったのに。

 それもこれも、全てヴァンデのお陰だ。鳥の姿になった彼は、瞬く間に森を抜けてアスティリエの街に入ってしまった。


「そりゃ、俺は渡りの魔物だからな。その気になれば、この大陸ぐらいひとっ飛びだ」


 通りに僅かながら空間を確保したヴァンデは、何やらごそごそと組み立てながら誇らしげに笑った。魔法のように様々な物資が出てくるのを見て、アルテミシアは目を丸くする。その横で、アルバートが小さな胸びれをぱたぱたと動かしながらぼやいた。


「僕もヴァンデみたいに、速く飛ぶことができたらな……」


 それは、通りの雑踏の方が大きいほどの小声の呟き。けれどヴァンデは正確に聞き取って、作業をしている手を止めてにっと笑った。


「俺が速く飛べるように、お前にもお前にしかできないことがきっとあるよ」


 慰めるようにそう言うが、アルバートはすっきりしない表情だった。その理由を知っているヴァンデは深くは聞かず、てきぱきと作業を再開した。

 どのくらい時間が経っただろう。いつの間にかヴァンデが確保した通りの一角に小ぎれいな露店が出来上がっていた。石畳に東洋の意匠の文様があしらわれた紗羅を敷き、そこと桐でできた簡単な作りの棚に商品を陳列している。商品は香辛料や保存食を中心に、雑貨や服飾品も並んでいる。どれも、ホーラノアでは中々手に入らない他国の品のようだ。屋根代わりに立てかけられた東洋風の傘に飾られた土鈴がカラコロと軽い音を立てた。

 アルテミシアは初めて見る他国の品におっかなびっくり近づきながら、ヴァンデに話しかけた。


「ヴァンデが行商をしているなんて、ちょっと意外ね」


 彼は「そうか?」と言って首を傾げた。隈取りの顔が僅かにはにかみ、照れくさいような、どこか誇らしげな表情を作る。


「俺は魔物だが、金は何かと入り用だからな。幸いアスティリエで露店を開く旅の商人は多くいるし、商品も世界を巡る中で手に入れたものばかりだ」


 アルテミシアは、黒曜石みたいに黒光りしている器の中を覗き込みながら「ふうん」と言った。足を片方浮かせた彼女を、アルバートが心配そうに見ている。

 黒い器の内側は朱に塗られ、艶々とした底に陽光が溜まっている。


(綺麗……。光がゆらゆらと揺れて、手で掴めそう)


 アルテミシアが光に向かって手を伸ばす。その時、器が彼女の反対側に傾いた。


「きゃあっ」

「ミーシャ!」


 勢いあまって器から転げ落ちたアルテミシアを、先回りをしたアルバートが受け止めた。紗羅の上でぐるりと一回転し、アルバートの柔らかいお腹に顔から突っ込んだアルテミシアがよろよろと顔を上げる。


「あ、ありがとう、アル」


 ふわふわとした白いお腹を撫でながら、アルテミシアがお礼を言う。


「大丈夫?」

「ええ、平気よ」


 心配そうに聞くアルバートに、元気よく頷いてみせる。が、アルバートの顔は曇ったままだった。


(アル、どうしたんだろう)


 彼は、今朝からずっと悩んでいるようだった。もし、アルテミシアにできることがあるのなら何かしてあげたい。しかし、彼女にはアルバートが何について悩んでいるのかさえ全く分からないのだった。

 もどかしい思いの中、ただアルバートのお腹に両腕を回してぎゅっと抱きしめる。その時、不意にアルテミシアの身体が宙に浮かび上がった。


「おい、商品が壊れるからあんまり暴れるな」

「ヴァンデ」


 顔を上げると、ヴァンデの仏頂面があった。アルバートごとつまみ上げられているらしい。

 アルテミシアはアルバートにしがみついたまま、ヴァンデの真夜中色ミッドナイトブルーの瞳を見つめた。


「ねえ、ティル・ノグにはまだ行かないの?」


 元々、ティル・ノグに行くためにアルテミシアはアスティリエに来たのだ。「手伝ってもらうぞ」とヴァンデには言われたが、小さな彼女にできることはほとんどない。これなら、自分とアルバートだけでもティル・ノグに行った方がいいのではないだろうか。

 アルテミシアはそう思うのだが、ヴァンデはゆっくりと首を振った。


「アスティリエとティル・ノグの間では警備兵が検問をしているんだ。小さなクジラと女の子だけだったら流石に変に思われるだろう。俺も滅多にティル・ノグには行かないが、夜の人が少ない時間なら何も言わずに通してくれる奴を知っている。それまでは大人しくしていてくれ」


 そう言って、彼はちらっと通りの向こうに視線を向けた。露店が並ぶ通りの向こうには広い海。それと幾つかの建物が見えた。その中でも最も大きいのは、白亜の時計塔である。

 細かい草木と天使を象った時計が、海から反射した黄金の陽光を受けて幻想的に輝く。ゆっくりと動く細い針は六の時リーファ・ネガを少し過ぎたところを指していた。

 ヴァンデがつまんでいたアルテミシアを紗羅の上に降ろす。どこからか紙と小筆、インク壺を取り出すと、細長い指で何か書き付けた。


「暇なら、アスティリエを見て回るといい。ついでにあいつにも会ってこい。あの時計塔にいる奴だ。この書き付けを見せたら分かると思うから」

「動き回っていいの?」


 アルテミシアが首を傾げる。先程、クジラと小さな魔女だけは変に思われると言われたばかりなのに。

 ヴァンデは自身の蒼色の長髪を指で弄りながら答えた。


「最近は自分好みにカスタマイズする奴もいるっていうし、この街ならちょっとくらい大丈夫だろ。あ、でも鳥籠が沢山吊り下げてある店には近づくなよ」


                 *


 陽が赤く染まりはじめても、通りを行き交う人々は増え続けていた。

 雑踏の中を、人の頭ほどの大きさのクジラがすいすいと泳ぐように飛んでいく。アルテミシアは彼の胸びれに掴まって、きょろきょろと周囲を見回していた。


「やっぱり賑やかな場所ね。エリュシオンではこんなに人がいるところを見たことがないから、何だか新鮮だわ」


 アルテミシアが呟く。エリュシオンにも街はあったが、アルテミシアは滅多に訪れなかったし、ここまで騒がしい印象はない。

 橙に染まる街を、あちこちに備えられた飴色の街灯が彩る。焼き固めた菓子の袋を持った子供が数人駆けていく。鼻腔をくすぐるのは、香味とともに焼いた魚の香りに、鍋の中で煮詰められている木苺の甘い香り。瓶詰めにした果物の甘煮を売っている店の横では、薄桃の花の髪飾りを手にした女性が店主らしき男性と談笑をしている。沈みゆく太陽を惜しむような、どこか切ないトランペットの音。遠い潮騒とともに流れるその音色を楽しみながら、アルテミシアは活気のある海辺の街を見て回った。

 それは自分の全く知らない、真新しい光景。そのはずなのに、なぜだろう。不意に胸を締め付けられるような思いに駆られる。何だか、あまりにも切なくて。あまりにも、懐かしくて。


 ――思い浮かぶのは、雑踏をかき分けながら誰かの手を引いて走る自分の姿。


 不意に頭に浮かんだ光景にはっと息を呑む。恐らく、自分の幼い頃の姿だ。そう考えるのが妥当だろう。けれど、妙にこの街とよく似ていることが気になった。さらによく思い出してみると、引いていた手が幼い少年のものだったような気がする。


(お祖母ちゃんじゃない……? この人は、いったい……)


 誰なの、と心の中だけで囁く。最近こんなことばかりだ。初めて来た場所。そのはずなのに、自分の家と良く似た家、懐かしい空気、断片的にしか思い出せない記憶。

 急に不安が押し寄せてきて、アルテミシアはアルバートの胸びれをぎゅっと握り締めた。


「ねえ、アル……?」

 私、エリュシオンに帰れるんだよね……?


 吐息混じりの囁きは、途中から音にならずに雑踏の向こうに消えていった。


                 *


 アルテミシアと共にアスティリエの雑踏を進んでいた時、アルバートもまた深く考え込んでいた。

 思い出すのは、昨晩のこと。アルテミシアが着替えていた時の、ヴァンデとの会話。

 急にアルテミシアに抱きしめられて、ふわふわとした気持ちが抜けきれず部屋の中をぼんやり漂っていた時、不意にヴァンデに尾を掴まれた。


『おい、ちょっと話があるんだが』


 アルバートは不満げな表情でヴァンデを見上げた。


『何? 言っとくけど僕は……』

『まだ俺のことを信用していない、だろ?』


 アルバートを試すようににっと口角を上げたヴァンデに、はっと息を呑む。図星だった。アルテミシアが彼を信じるというのなら、アルバートもそれに従う。けれど、それはアルテミシアを信じているからであって、ヴァンデを信用しているわけではない。


『お前はそれでいい。……いや、むしろお前は俺を疑っておけ。俺は、確かにお前らの幸せを祈っている。俺たちにはできないことができると信じている。けど、俺がやろうとしていることが本当にお前たちのためになるか、俺自身にも分からないんだ』


 困惑しているような、何かを躊躇しているような、そんな表情。アルバートは首を傾げた。


『そんなによく分からないことなら、止めてしまえばいいんじゃないか?』


 アルバートの言葉に、けれどヴァンデは首を振った。星降る夜空のような瞳が決意に染まる。


『止めるわけにはいかないんだ。これは、俺と「彼女」の約束だから』


 また、約束。何度も繰り返された言葉。アルバートは、「彼女」とは誰なのか、約束とは具体的に何なのか聞こうと思った。そうすれば、ヴァンデへの疑惑も、彼の躊躇う理由も分かると思った。

 けれど、それを問いかける前にヴァンデが言葉を重ねた。


『俺のことは信じなくていい。、自分が正しいと思うことを信じたらいい。けれど、ひとつだけ忠告させてくれ』


 ヴァンデがアルバートを見つめた。真剣な瞳に思わずたじろぐ。彼はアルバートの心に何かを打ち込むかのように、重く力強い声で続けた。


『この国は歪んでいる。お前たちにとって辛いことも沢山あるだろう。理不尽な選択を迫られることもあるかもしれない。けど、お前は絶対に後悔するな』


 燃えるような言葉は、必死さとともに切なさも感じさせる。まるで、ヴァンデは後悔したことがあるかのように。

 アルバートは食い入るようにヴァンデを見つめた。彼は少し微笑み、けれど真っ直ぐな瞳は緩むことのないまま言葉を続ける。


『大切なものは、決して取りこぼすな。旅路の果てにどんな事実が待ち受けていても、お前だけはアルテミシアの味方でいるんだ。何があっても傍にいてやれ』


(僕は、どうすればいいんだろう)


 茜に染まりゆく空の下、胸を穿つようなヴァンデの言葉を思い返しながらアルバートは考える。

 確かに、アルテミシアは大切だ。彼女は、アルバートがずっと探していた人だから。アルテミシアが、彼を解放してくれたから。アルバートを求め、頼ってくれる彼女のために、できることがあるのなら何でもしたい。それが、何もなかったアルバートが、ようやく見つけたするべきことだと思った。

 けれど、時々不安になるのだ。自分が、本当にアルテミシアの役に立っているのか。いつだって遠くを見つめる彼女のために、アルバートに何ができるのか。


(ミーシャが見つめているのは、いつだって同じだから)


 彼女が求めているのは、いつでもエリュシオンだけ。それは分かっている。アルバートもそれでいいと思っている。アルテミシアの望みが叶うまで、傍で支えられたらいいと。けれど、本当に支えられているのか分からない。アルテミシアのためにありたいと思ってはいても、彼女と同じ情熱でエリュシオンを求めることができない自分が助けになっているのか定かではない。


(あるいは、僕にもそれだけの情熱を捧げられるものがあれば……)


 アルテミシアのことをもっと理解して、彼女の支えになることができるのだろうか。

 そんな考えが、ふっと頭に浮かんだ時だった。

 ぎぃっと、何かが揺れる音が響いた。


「っ!?」

「ミーシャ……?」


 アルテミシアがはっと息を呑む。アルバートを掴む彼女の手が、小刻みに震えていた。

 アルバートは訝しく思いながらもアルテミシアが見る方を見つめ……言葉を失った。


 ――それは、無数の鳥籠。


 太い板を渡した屋台の天井に、無数の鳥籠が吊るされている。籠の中には、銀髪に銀灰色の瞳の、年端もいかない少女達が閉じ込められている。


「さあ、どんどん見ていっておくれ。今朝セルティノから仕入れたばかりの、傷ひとつない銀ティルヤだよ!」


 籠を掴んで、当たり前のような顔で彼女達を売り捌く店主。品定めをするように店を取り囲む人々。籠を揺らされても大声で呼びかけられても、殆ど表情の動かない少女達。

 アルバートもアルテミシアも、呆然としたまま動くことができない。

 揺れる街灯の光。伸びる黒い影。寄せる波の音も人々の喧騒も遠ざかったその先で。


 ――銀髪の少女の感情のない瞳が、二人をじっと見つめていた。

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